I Remember...
Michel Petrucciani

(†1999年1月6日)
ペトルチアーニの曲を聴くとすぐに印象付けられるのは透き通った音とそのエネルギー。彼は若い時から先天的な病である「大理石病」を患っており、ほんのちょっとの衝撃でも骨折してしまうという厄介な不治の病だったらしい。そのせいで彼の人生は結局36年という短いものだったのだけれど、それは凝縮された人生そのものだったのだと思う。 彼の力強いピアノのタッチを聴いてていると、あれでよく指を骨折しないものだと逆に不思議に思えてしまう。といってもただ力強いだけではなく、同時にビル・エバンスばりのメロディアスなピアノでもある。彼は1980年7月憧れていたビル・エバンスにフランスで会っている。しかし、エバンスはその二か月後、酒と薬の果てに他界。
ペトルチアーニは1999年1月6日ツアー先のニューヨークで肺炎のため死去。37歳それも12月に37になったばっかりの若さで…、ということだけど医者には20歳まで生きられるかどうかと言われていたようなので、与えられた残りの人生を精一杯音楽につぎ込んだと言えるかもしれない。彼が残した珠玉の音楽に感謝したい。
[My Best 5+1]
Michel Petrucciani

(1981)
赤いジャケットデザインから通称「赤ペト」と呼ばれるいわば彼の実質的なデビューアルバム。初のリーダーアルバムだが、その時ペトルチアーニは若干18歳。(前年1980年にフランスでアルバム「FLASH」はリリースしていた。このアルバムでは彼の兄弟のルイ・ペトルチアーニがベースを担当している、ドラムスはロマーノ) 彼の曲はベスト盤アルバムJazz Inspiration(2011)を初めて聞いて、その濁りのない透徹した音に力強いエネルギーが加わっているという強い印象に惹かれて、時を遡るようにして他のアルバムを聴いていった。たどり着いたこの初リーダーアルバムで今までの印象がさらに純化されたように感じる。
一曲目のHommage A Enelram Atsenigという不思議なタイトルは、スペイン市民戦争の英雄的女性兵士Marina Ginestaの名前を逆から読んだアナグラム(一部違いがあるけど)と言われているけど彼が敬愛していたのだろうか。不思議なタイトルではある。
2曲目のThe Days of Wine and Rosesは不安げな不協和音的な響きに始まって次第に明るい煌めきを現してくる展開はドキドキするほど若い感性に溢れていると感じる。全曲を通じてロマーノのドラムスが光っている。
このアルバムにはペトルチアーニの作曲した曲が2曲、ロマーノの曲が2曲含まれているけど、どれも素晴らしい。特にロマーノのChristmas Dreamは小気味よくロマーノのドラムも素晴らしい。
[Personnel]
Piano:Michel Petrucciani
Drums:Aldo Romano
Base:Jean-François Jenny-Clark
Live At The Village Vanguard

(2002)
アルバムはエバンスもライブ・アルバムを出しているヴィレッジ・ヴァンガードでの録音。エバンスもよく演奏していたマイルスの「NARDIS」で始まる。エバンスへのオマージュのように感じる。
Jazz Inspiration

(2011)
ブルーノートのマークに惹かれて初めてぼくが買った彼のアルバム。いわゆるベスト盤だが12曲入ってペトルチアーニを満喫できる。
Power of Three

(1990)
タイトルがすごいけど、音源はモントルージャズフェスのライブ。まぁ、ペトルチアーニのピアノにジム・ホールのギター、そこにウェイン・ショーターのサックスとくればこういうタイトルにしたい気持ちもわかる。
Trio In Tokyo

(1999)
36歳で夭折したペトルチアーニの東京での録音。奇跡みたいな一瞬で良い音で残っているのが嬉しい。この二年後に逝ってしまった。最後のSo Whatでの燃え尽きるようなエンディング。
Steve Grossman Quartet with Michael Petrucciani

(1998)
ペトルチアーニのリーダーアルバムではないけど、彼の最後のスタジオ録音かもしれない。
(Jan.2026/org.Jan.2021)
gillman*s Choice
楽園の夕べ

ルシア・ベルリン著
岸本佐知子訳
待望のルシア・ベルリンの三冊目の作品集が出た。彼女の作品集は2015年に出版されたA Manual for Cleaning Woman(掃除婦のための手引き書)でこれは日本では「掃除婦のための手引き書」と「すべての月、すべての年」の二冊に分けて出版されている。 今回出版された「楽園の夕べ」は2018年に出版されたEvening Paridiseの翻訳で22編の作品が含まれている。どれもほぼ彼女の自伝的作品で彼女の作品を貫くオートフィクションという手法で語られている。
オートフィクションとは文芸評論家リディア・デイヴィスの言葉を借りれば「…実際のできごとをごくわずか、それとわからないほどに変える必要はどうしても出てくる。事実をねじ曲げるのではなく、変容させるのです。するとその物語それ自体が真実になる、書き手にとってだけでなく、読者にとっても。すぐれた小説を読む喜びは、事実関係ではなく、そこに書かれた真実に共鳴できたときだからです」ということになる。
作品集はどれを読んでも独特の文体の中にルシア・ワールドが展開されており、読む者にとっては好きになるか全く受け入れられないかのどちらかになりそうである。本屋で手に取って、読むか読まないかのチョイスはその場でできそうな…。感性にあたればすぐに引きずり込まれてしまう。ウイスキーで言えばアクの強のアイラのシングルモルトみたいなものかな。
あとは読んでみてもらうしかないので…。余談になるけど、今回の作品集の最初の作品「オルゴールつき化粧ボックス」の中にこんな一節があった。「…一九四三年当時のエルパソは、どっちを向いても戦争の話だった。祖父は毎日のようにアーニー・パイルの署名記事をスクラップし、メイミーはお祈りした。母は赤十字のボランティアで病院に行き、傷病兵とブリッジをした」
ぼくはこの中の「アーニー・パイル」という名前に引っかかった。どこかで聞いたことのある名前なのだ。調べてみるとピューリッツアー賞もとった従軍記者で沖縄で戦死している。それで何となく思い出した。その思い出は幼いころ見たであろう銀座四丁目の交差点の光景につながっていた。
交差点の真ん中にアメリカ軍のMPが立っててきぱきと交通整理をしている。夏だったような気がする、彼の履く長靴には眩しいような白いカヴァーがかかっていた。ぼくが幼稚園か小学校に入った頃のことだと思うけど、それは夢の中の幻のように浮かび上がってくる。もしかしたらほんとうに幻だったのかもしれない。
その銀座にその頃日本人の入れない劇場があったということを聞いたのはもう高校生になってからのことだが、その劇場の名前が「アーニー・パイル劇場」だった。その名前をぼくはてっきり女性の名前だと思っていた。兵隊のアイドルみたいな女優の名前を冠した劇場だと。でもそれは殉職した新聞記者の名前だった。その劇場がアメリカ軍に接収された東京宝塚歌劇場のことだと知ったのはもっと後のことだった。

(Nov.2025)
gillman*s Choice
ぼくの好きなアーリーカラー写真
Ernst Haas最近またフィルム写真が流行っているらしい。らしい、というのは自分でまたフィルムで撮ったりはしないし知り合いでそうしている人も居ないので、実感はないのだけれどSNS等では確かにフィルム撮影の画像が増えている感じもする。
フィルムファンには色々な理由があるのだろうけど、大概口をそろえて言うのはデジタルは映りすぎる、というのが多い。最初はデジタル写真なんぞは論外だと言われながら今まで血のにじむような努力をしてきた技術者にしてみれば…残念な言われようだ。
ちなみにぼくはどちらが良いというよりは表現手段が多様化したと捉えた方がいいように思う。持ち味が違うのだから表現の幅は広く残しておいた方がアーチストにとっても良いのだけれど、ただフィルムの場合は誰かがフィルムというものを作り続けてくれなけば成り立たない弱みがある。
初期のフィルム、デジタル論争のようにカラー写真の登場した時も、あんなものは写真ではないモノクロこそが写真なのだという論争があったが、これも不毛な論争だと思う。つまり見えてくるものが違うのだから善し悪しの問題ではないと…。ただぼくは何となく感じるのがフィルム写真にノスタルジーを感じるのと似たような感情でアーリーカラーの写真に強いノスタルジーを感じる。
アーリーカラーというのは厳密な定義はないのだが、この言葉は2006年にドイツの出版社シュタイデル社が長い間日の目を見なかったソール・ライターの1950年代の(写真集では1948-1960)初期のカラーフィルムで撮った写真の写真集を出したときに使った言葉だった。
当時はまだ技術的にも発色も良くないこともあって相手にされず世間には出なかったのかもしれないが、今改めて見るとそこにはいわば古き良き時代のノスタルジックな空気感と写真という世界に色を見つけ出した喜びにも溢れている。ぼくもその空気感が好きだ。
Early Color
My Favourite 5
Hut (1958)
ソウル・ライター写真集「Early Color」より
白線の引かれたアンツーカーのような地面の上に真っ白なパナマ帽が置かれている。どういう状況なのだろう。ベンチで観戦していた紳士のものだろうか。見る者の想像を駆り立てる。

フロレット(1954)
ジャック=アンリ・ラルティーグ「幸せの瞬間をつかまえて」展図録より
日常を捉えたラルティーグの写真はどれも動的で生き生きとしている。ヴァンスで妻のフロレットを撮ったこの一枚は色彩の喜びに溢れている。

Location unknown(1956)
ヴィヴィアン・マイヤー写真集「The Color Work」より
死後に発見されたヴィヴィアンの大半の写真は現像さえされないまま放置されていた。ローアングルで都会を活写した彼女の視線は眩しいばかりの色彩もしっかりと捉えていた。

Rush Hour(1957)
エルンスト・ハース写真集「New York Color 1952-1962」より
ウィーン生まれのハースは色彩の魔術師と呼ばれ1950年代からカラー写真を撮り始めている。光の渦のようなニューヨークの光景。ハースのこの写真集はノスタルジックな都会の色で溢れている。

子供二人(1955)
藤田嗣治「藤田嗣治 絵画と写真」展図録より
先日の展覧会で初めて藤田の撮った数々の写真を見て驚いた。もちろん最初は絵を描くための資料として写真を撮っていたが、この写真のようにそれらは次第に写真のための写真、つまり独立した表現手段としての写真を撮りだしていることに驚いた。

(Aug.2025)
gillman*s Choice
映画
パトリシア・ハイスミスに恋して
パトリシア・ハイスミス自身については彼女がどう言う人物かは全く知らなかったけれど、このドキュメンタリー映画の「パトリシア・ハイスミスに恋して」を観てアウトラインが分かってきた。彼女は生涯レズビアンでこの映画では彼女が移り住んだ国々のアメリカ人、イギリス人、フランス人やドイツ人の恋人(女性)たちのインタビューなどで構成されている。
小説で展開される深い闇のもとが彼女の不幸な生い立ちに関係しているかもしれない。彼女の母は彼女が生まれる前に離婚し、母は何とか彼女を流産しないかといろいろと画策したようだ。自分は望まれなかった子供だと感じていたが、ハイスミスの母を慕う気持ちは強かった。
小説家としても名をなしても母に対する思慕は変わらずに面倒もみたが、結局それはずっと一方通行の愛だったようだ。後年ハイスミスは白血病を発症する。最終的にはハイスミスは母と決別し、法的にも離脱、母には遺産も残さないようにしたらしい。
ハイスミスは自分の小説を犯罪小説とは考えていないと言っている。日常生活ではできないことを小説の中でやっているだけと…。そんな様々な思いがいろいろな悪事を働いても逃げおおせるトム・リプリーの姿にダブってくる。
ハイスミスは若いころ一遍だけレズビアン小説「キャロル」を書き、別のペンネームで出版している。当時同性愛者の小説は報いを得て最後は悲劇で終わるというのが通例だが、彼女のその小説はハッピーエンドで終わるところに彼女の最大の主張があったようだ。後年名を成してから彼女はその小説を自分の名前で再出版している。
[
主な映画化作品]
パトリシア・ハイスミス原作の最初のヒット映画はアルレッド・ヒッチコック監督の「見知らぬ乗客(STRANGER ON THE TRAIN/1951)」でぼくの大好きなサスペンス作品だ。ハイスミスの名を知らしめた作品でもある。
ハイスミス原作の作品で一番日本人になじみ深いのがアラン・ドロンの出世作ともなったルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい(PLEIN SOLEIL/1960)」だろう。一見クールな好青年に見える若者リプリーの闇の世界を描いて秀逸な映画だ。
そのリプリーが晩年、贋作づくりの画商として登場するのが「アメリカの友人」(DER AMERIKANISCHE FREUND/1977)で監督はヴィム・ベンダース。画面には北ドイツの暗く陰鬱とした風景が広がっている。あの「太陽がいっぱい」の日の光にあふれた世界とは対照的だ。

(Jul.2025)
Cover Story 01東京都の蓋
カバーストーリーの最初はやはりぼくらの一番身近にある東京都の下水道のマンホールから始めたい。今一番多いのが上のデザインだと思う。東京都を象徴する3つのものがデザイン化して盛り込まれている。大きく描かれているのがソメイヨシノ。その花びらの間にあるのが都の木でもあるイチョウ。そして分かりにくいけど丸く連なっているのは都民の鳥であるユリカモメだ。 このデザインのマンホールは平成4年からだが都内にはまだまだ古い蓋が残っている。そういうのを探すのもマンホーラーの楽しみらしいが、ぼくは特定のマンホールを探しに行くことはない、身の回りや旅先で目に付くマンホールを愛でるのが信条だ。 一番最新の都のマンホール(平成13年から)は下のようなデザインで、大きくは今までのものと変わらないけど、中央にカラーバッチが付いているのが特徴。(ただし、このカラーバッチは色あせたり、欠けていることも多い)
緑色の中の二つが東京都が管轄する下水道エリアにおける座標でそのマンホールの位置を示す。その左のバッチはそのエリアにおけるマンホール設置の順番。一番右のバッチ(黄色)は設置時期をしめす年で2000年以降は色が変わって青色になっている。
なお、蓋の一番上に書かれている「T-20」とはJISで規定された耐荷重性能で20トンまでの車両に耐えうるという表示。デザインをよく見ると雨の日など水が溜まって耐滑性能が低下しないように蓋の上に雨が溜まらないように何回かデザイン変更が重ねられているようだ。東京にはこれらより古い昭和44年からの「東京市型」と呼ばれるいわば伝統的なデザインの蓋もまだ多く残っている。

これも事実上現役で一番古いデザインの東京都のマンホールは昭和44年~平成4年頃まで使われていた東京市型と呼ばれるこのデザインで、調べてみたらウチの周りではこのデザインのマンホールが圧倒的に多かった。しっかり現役である。デザイン的にはこのデザインが今でもJISの基本パターンになっているようだ。
[蛇足]
東京都のマンホールの基本的なデザインが好きでこんなものも買ってしまった。マンホール型のコースターなのだけれど、重さもあって丁度いいので今はペーパーウエイトとして使っている。

*cover Story…
普通Cover Story(カバーストーリー)と言えば、雑誌の表紙にまつわる特集記事でその時のcover は表紙のことを指している。Cover Storyにはもう一つ意味があって、辻褄を合わせるための作り話という意味もあるらしい。つまり嘘をcoverするための作り話という事だ。
でもここではcoverは「蓋」つまりマンホールの蓋の話というつもりで、もちろん英語にはそんな表現はないが…。要は蓋の話(Cover Story)である。英語にそんな意味はないと言われてしまえば確かに「身も蓋もない」話ではある。
(Feb.2025)
今年もよろしくお願いいたします。
本当に今年こそ馬が野に放たれるといいですね。
そう願って止みません。
毎年この誤変換を楽しみにしております。
声に出して読まないと分からない事も多いのですが、わかった時の面白さで初笑いになります。
今年も宜しくお願い申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
パッと文字を見てわからず、声に出してみて吹き出す。
誤変換で初笑い、今年も楽しませていただきました^^
「24時間働けますか」というCMがあった時代を思い出しました。今では、遅くまで残っていると「そんなに働いちゃいけないんですよ」と冗談交じりに言われる。世の中の価値観は変わりますね。どっちがいいのかは、もっと後にならないとわからないけど、主流に従っていればラクなのでしょうね。
誤字返還とても面白く拝見しました。
あははと笑っちゃう...笑えない...いろいろですね。
本年もよろしくお願いいたします。
年初から馬を野に放すどころかベネズエラに…
前途多難な一年になりそうですね。
親しらずさん>
誤変換30年近く続けていますが、ここまで来たら…
ゆきちさん>
今年も元気なニャンの写真楽しみにしています。
taekoさん>
今年は「良い加減」に暮らしたいです。
ナツパパさん>
今年もゆったり旅の記事楽しみにしています。
誤字変換、楽しく読ませていただきました。
Windows についているIME 変換は、誤字変換が、多く、油断すると、間違いだらけの文章になっています。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上ます。
「帰馬放牛」なる程です。平和が一番ですね。
P.S.「西新井大師」ですが、以前「出世稲荷明神」に参拝した事ありです。
また、ボスママの知り合いが西新井大師の近くでビールを作ってます(爆)!?(=^・ェ・^=)
横浜ハンマーヘッド(新港の複合施設)に
コメントをありがとうございます。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
WindowsのIMEは時々誤変換の傑作を生みだしますね。
Boss365さん>
そこ、いつも行くスーパーのすぐ近くなので今度寄ってみます。
親知らずさん>
観ます。
tarouさん>
よろしくお願いします。
私は帝釈天に行ったことがないので、前記事を拝読して是非行きたいと思いました。黒い天丼に興味津々です。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年もよろしくお願いします
私も馬車馬だったのですが
本当に、あの時の自分があったから
今がある感じ、わかります
これからは少し働き方を変えつつ
人生楽しんでいきたいです^^