2026年01月01日

謹賀新年

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2025年12月26日

墓参りと帝釈天

墓参りと帝釈天

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 昨日は年末の恒例で実家の墓参りにいった。最近は父母のお墓だけお参りして帰ってくるのだけれど、盆暮れだけは同じ墓地にある親戚の墓4軒もお参りしてくることにしているので昨日は計5か所のお参りをして来た。

 以前は盆暮れと春秋の彼岸に墓参りに行くたびに5軒全てのお墓に花を供えお参りしていたのだけれど歳とともに全部を回るのが大変になってきたので、墓参りに行く頻度は変わらないけど親戚の墓参りは盆暮れだけにさせてもらうようになった。

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 帰りはいつものように柴又の帝釈天に寄った。正月の準備も整った本堂でお参りをしてから、前回お彼岸の時に寄った時はゑびす家で鰻を食べたので、今日は大和屋の黒い天丼にしようと決めていたのだけれど、生憎お休みだった。それではということでゑびす家に行ったらこれまたお休み。恐らく年末年始の準備か繁忙期を前にして従業員にお休みをとらしているのかも…。残念。

 なんだかなぁ、と落胆して参道を戻ると、川魚料理の老舗の川千家があいていたので入った。ずいぶん昔に入った覚えはあるけどここ最近は来た覚えがない。店内は広々としてリニューアルされているのか、ゑびす家さんの下町の老舗的な雰囲気とは対照的だ。

 席につくと広い窓を通して参道や道行く参拝客の様子が見られるのも面白い。年末と言っても大晦日を控えた参道は人の姿もまばらでインバウンドの人の方が日本人の参拝客より多そうな雰囲気だった。

 カミさんとやはり鰻にしようということで、ぼくはご飯を少なめにしたうな重を食べた。うな重は美味しかったけれど、ぼくはタレの味や身のホッコリ感など鰻はやっぱりゑびす家一択だなぁ。大晦日の喧噪を控えて今はちょっと閑散として静寂の中の帝釈天が好きだ。

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and also...

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2025年12月18日

夕焼け

夕焼け

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 ■夕焼け 高田a敏子

 夕焼けは
 ばら色
 世界が平和なら
 どこの国から見ても
 どこの町から見ても
 夕焼けは
 ばら色

 夕焼けが
 火の色に
 血の色に
 見えることなど
 ありませんように。

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 公園を散歩しているとたまに息をのむほど美しい夕焼けに出会うことがある。その色はオレンジ色だったり、赤紫色だったり、真紅だったりその時の気象条件で異なるし、時の変化とともに刻々と彩りを変え見飽きることがない。遮るもののない公園の広い空をじっと見つめていると、やがて上空から見事な藍色の夜の帳が降りてきて気が付くと青い光に囲まれている。

 この空の下できっと色々な人が今この夕焼けを見ているのだろうなぁ。バラ色に染まった見事な夕焼けを今日一日頑張ったご褒美のように眺めている人がいる一方、悲しみの底で心に滲む赤黒い血の色を思う人、怒りで燃え盛る真っ赤な炎を想起する人、見えているものは同じでも心に映るものは同じではない。というよりぼくらは夕焼けそのものではなく、そこに写されている自分たちの心を見ていると言っていい。だからそれぞれに見え方は違っても、夕焼けの空を覆う光そのものはそれを超越した美しさをたたえており、それに意味を与えているのは人間の心だという事になるのかもしれない。

 ぼくはセバスチャン・サルガドの写真が好きで、かつてサルガドが写真集「アフリカ」を発表した時その写真展を見に行ったことがある。サルガドが撮ったアフリカは、どんな悲惨な光景でも透徹した美しさを持っている。モノクロの画面の向こうに広がるのは惨劇さえも包み込みそして愛しむような光だ。ルワンダ内戦の局面でさえそうなのだ。

 ぼくはその美しすぎることが気になっていた。事実、評論家などの中にもサルガドのアフリカは悲惨な現状を美しく撮りすぎていると批判をする声もあった。それに対しサルガドはこう語っていた。「光はフランスや日本などの豊かな国にのみあるのではない、美しい光はあらゆるところに与えられている。…美しさは写真家が作り出すものではない、そこにあっただけなのだ…」と。そこにある美そのものを見つめること。だがそれは誰にでも出来ることではない。ぼくらが見るのは、やっぱりそこに写しだされた自分の心なのだろう。

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2025年12月01日

錦秋

錦秋

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 錦秋という言葉は(にしき)のように華やかな秋の光景ということなのだけれど、錦自体の豪華さが現在ではピンと来ないかもしれないので若い人にはわかりずらいかもしれない。西陣織のような華麗ないでたちで「故郷に錦を飾」ったり、官軍が掲げた赤地に金の菊章をあしらった「錦の御旗」など高貴で豪奢な色彩が目に浮かんでくる。

 英語にもこの錦秋に似たような表現で“a tapestry of autumn colors”というのがあるらしいが、このタペストリーが正に錦に当たるのかもしれない。ドイツ語にも"ein Farbenmeer im Herbst"というのがあって、こちらは秋の色彩の海という意味だ。秋の彩りは多彩だが深みのある色あいに満ちていて、同じく多彩がだか軽快で生気に満ちた春の彩りとは対照的だ。

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 秋はうだるような猛暑を切り抜けてきた人々をねぎらうように色とりどりの模様で楽しませてくれる。春は暗く厳しい冬を耐え忍んだ人々をこれまた梅や桜の優しい彩りで迎えてくれる。恐らく日本人の季節感でもっとも心情に訴えかけてくるのもこの二つの季節なのではないか。でも、日本人のお気に入りのその二つの季節が年々短くなって、かわりに激しい夏と厳しい冬の季節が長くなっている感じがする。

 日本人は四季をよく人間の一生に例えてきた。パッと華やぐような春を生気に満ちた青春に、落ち着いて静謐だが深い色をたたえた秋を人生の晩年に。それらはどこか奥深いところで日本人の感性や美意識そしてある意味での優しさに繋がっていたと思うけれど、これからは夏と冬という厳しい季節が一年の大半を占めてゆくとしたら、ぼくらの感性もそれにつれて変化してゆくのかもしれない。

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2025年11月02日

週末シェフの憂鬱 最後の一口

週末シェフの憂鬱 最後の一口

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 カミさんの腕の骨折をきっかけにキッチンに立つことになって三年ちょっと、カミさんが回復して現場復帰してからは週末晩飯だけのキッチン担当になったのだけれど、真の週末シェフまでの道のりは遠く、料理が板についたというにはほど遠い。

 やればやる程、これを毎日やっているカミさんの偉大さに気づかされる。ぼくが理想としている、冷蔵庫にある有り合わせのもので料理を組み上げるという事は未だにできていないし、今まで手掛けたレパートリーの料理だって作るたびに思い出しながら、かつ味も一定していない。

 我が家はフードロスを出さないようにしているので作る量の加減もまだ十分とはいかない。レシピ通りにやるときは良いとしても、少しアレンジしようとして材料の種類を増やしたりすると全体も増えてしまう。

 もちろんカミさんがやっているように余ったら翌朝少しアレンジして食べるということにするのだけれども、出来れば食べきってすっきり皿洗いに専念という風に持ってゆきたい。食べきって十分満足して食事が終わるというのがぼくの感覚なのだけれど…。

 この前行った台湾もそうだけど、中華圏ではどうも食事が終わるとき料理が少し残っているというのが贅沢で、すべて食べつくすというのは料理が足りなかったということになるらしいのだが、日本では子供の頃から食べ残すことは「もったいない」といって叱られたものだし、美味しくなかったという意味にもなりそうで。

 ということで、味は別としても自分の作った晩飯がきれいに片付いてかつ満足という状況はとても気持ちがいいのだけれど、人間歳をとると段々と量がそんなに食べられなくなるし、体調に左右されることもよくある。そんなときはあと一歩というところで…食卓にはシュウマイが一個と生姜焼きの肉一切れが残っていたりして…。でも、満腹。

 もうそろそろ卓を片付けようかという時になっても、置き去りにされたシュウマイと一切れのお肉は寂しそうにお皿の上に寝ている。それらをカミさんはそっとぼくの方にズラして「これ、たべちゃってよ」と。「もうおなか一杯、お前食べれば…」「わたしも、もういっぱい…」

 ここで、それじゃこれは明日の朝に…という事にすればよいのだけれど、残ったこれらを小さな皿に移してラップをして冷蔵庫に、という手間を考えるとお腹に入れた方が手っ取り早いというのが、カミさんの脳裏をよぎっている。それに作ったのはぼくだし…。

 でも、ぼくの最後の一口はもう終わっている。我ながら美味しかったなぁ、と思って最後の一口を口に入れて満足して。この余韻にひたる満足感を乱す権利は誰にもないはず、…なのだが。でも、結局はカミさんに負けて最後の一口のそのまた最後の残りを口に入れてモグモグしながらお皿を洗い場に運ぶということになるのだけど。

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2025年10月04日

柴又帝釈天の鰻

柴又帝釈天の鰻

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 お彼岸が過ぎ少し涼しくなったので昨日はお墓参りに行ってきた。盆暮れの墓参りには実家のお墓だけでなく親戚のも含めて5軒ほどのお墓をお参りしてくるのだけけれど、昨日は時期外れでもありウチの実家のお墓だけお参りしてきた。帰りには柴又帝釈天に寄ってお参りをしてきた。亡くなった母が申年だったので帝釈天は昔から行っていたが、いつしかお墓参りの帰りには帝釈天に寄って大和家の天丼かゑびす家のウナギを食べて帰るのが決まりみたいになっていた。

 ウナギは家や他のお店では殆ど食べる機会がないので、たいていはゑびす家でしか食べない。この前に食べた昨年末以来か。春に墓参りの帰りに柴又に寄ったときには大和屋のあの真っ黒な天丼を食べた覚えがある。ゑびす家のうな重はほっこりとしてこの上なく美味しいのだけれど、昨今のウナギ高騰の煽りを食らってそうそう気楽に食べられるものではなくなってしまったのが悲しい。

 店に入ると一番奥に小さな小上がりの座敷があって掘りごたつのように足を延ばすことができる。を連れてきた時にはいつもその席で食べたものだった。今はカミさんと二人なので自動的にテーブル席の方に案内されてしまいますが…。

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 帰りにはこれもいつも恒例になっている大徳の佃煮を買って帰る。通りの真向かいには老舗の佃煮屋があって以前はそこのお店でも買っていたのだけれど他の地域にも多店舗展開をするようになって、なんか高級になってしまったようでお値段のこともあるけど足が遠のくようになってしまった。

 駐車場に戻るとき、帝釈天の玉垣に彫られている寄進者の名前を見ながら歩いていたら、王貞治や元横綱の柏戸や映画「寅さん」でお馴染みの渥美清倍賞千恵子などの懐かしい名前があった。何度もこの道は通っているけど玉垣を気を付けてみたことはなかったので…新しい発見。

 お墓参りと帝釈天詣では家族の習わしみたいになっていたので出来るだけ続けようとは思っているが車に乗れなくなったらそれも難しくなるかもしれない。まぁ、その時できることを、その範囲でやるというのが一番かもしれない。

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2025年09月29日

台湾紀行 旅の愉しみ 人・光・食

台湾紀行 旅の愉しみ 人・光・食

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 旅の愉しみは色々あるけど、コロナ前にぼくが毎年行っていた冬や春先などのシーズンオフの沖縄での楽しみは、散歩・読書・昼寝そして友達や土地の人との夜の酒だった。ぼくは元来不精なので余り観光には熱心な方ではない。

 気の置けない宿と飲み屋が見つかれば、そこら辺を一日ブラブラしていたい方なのだ。とは言えツアーは団体旅行なのでそうもいかない。今回は一度だけ辛そうな工程の散策があったのでそれはパスして、ホテルでカミさんとのんびりしていたのだけれど、それはそれで楽しい時間だった。

  一人旅の時は主に旅先で出会う人たちとの触れ合いが愉しみなのだけれど、ツアーで行った時は同じツアーの人との旅は道連れの愉しみもある。ぼくの友人にはそれが鬱陶しいという者もいるけど、まぁ気の合いそうな人と話していればそう気になることもないし、旅の感動をその場で共有する人がいるというのも悪くはない。

 それに今回は旅の最終日に今も毎週行っている日本語学校のOBがご主人とお子さんを連れてホテルに会いに来てくれた。彼女が日本に留学していたのはもう18年位前になる。当時は独身でウチに遊びに来たこともある。今はご家族と台北に住んでいる。旅の最後に旧知と会う望外の喜びが加わった。

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 前回台湾に来た時も食べ物がおいしいと感じた。特に家庭料理風の中華料理がおいしいと感じた。今回も全般的に料理が美味しかったのは変わらないのだけれど、この二十数年の間にこちらの胃袋が劣化して圧倒的な量の中華料理を受け入れられなくなっていたのが残念だし、何よりも前回は楽しめた食の香りが、嗅覚を失ったために愉しめなかったことが悔しい。

 でも食を目で楽しむという事もあるのでそれは残されていたし、中華文化圏での食事の際のあの喧噪、それも味わうことはできた。大声を出しながら食事を運ぶ店員。円形の食卓のあちこちで大声が行きかって食事がなんかひとつのバトルみたいな雰囲気の店内。中華文化圏では食事はエネルギーを補給する場所であると同時にエネルギーを発散する場所でもあるのだ。

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 旅先で見る光景でいつもぼくの印象に残るのは観光の対象となる光景というよりは、その国での、その土地での何気ない風景、情景なのだ。それはぼくが写真を撮るという事もあるのだけれど、グループで行動してみんなスマホやカメラを向けているけど、ぼくだけ皆とは反対の方にカメラを向けているという事も度々あった様に思う。

 喧噪に包まれた中華レストランを出ると、日本で言えば晩夏とは言え南のここではムッとするような湿気を含んだ空気が一気に肺に流れ込んでくる。迎えのバスが来るまで通りに立っていると、目の前に見事なほどのバイク駐車の列。そういえばここはバイクの国。昔ほどではないが交差点の赤信号ではバイクレースのスタートみたいな光景もあった。

 観光で言えば、前回はまだ存在していなかった嘉義故宮博物院・南院というのが今回のコースに入っていた。故宮博物院といえば台北と決まっていたが嘉義に巨大な建物の博物館を建て、しかも今またその新館まで建設している。蔣介石が中国本土から運んできた美術宝物は数十万点あり、今までは入れ替えをしてもそのごく一部しか公開できなかったが、これからはもっと色々なものが観られるらしい。

 建前的にはそういう理由もあるけど、どうも本命の狙いは台北だけに集中する台湾観光の動線を南にも伸ばしたいというのがあるらしい。そういう極めて戦略的な動きは動的な台湾に相応しいように思える。南院のロビーに鎮座する孫文の銅像の前で写真を撮る母娘の姿に、政治の島台湾のイメージが重なって見えた。優しい光がこの母娘に降り注いでいるように、いつまでも光が人々の上に差し込む国であってほしいと願った。

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愛玉子(オーギョーチィ)

阿里山鉄道の中継点に奮起湖という街があって、そこの老街ではいろいろな地元の産物が売られていました。その中に「愛玉子」を見つけてとても懐かしさを感じました。愛玉子はここら辺の名物のようで、色々なお店で売られていました。

愛玉子は台湾語でオーギョーチィと呼びますが植物の種を揉みだして作ったゼリーのようなもので台湾では昔から作られていたようです。懐かしさを感じたのは、日暮里から歩いて谷中を通って上野の美術館に行くときいつも通る道にこの愛玉子の古いお店があって馴染みになっていたからです。

台湾出身の店主が長年作り続けていましたが寄る年波で今は廃業してしまったようですが、以前はその看板を見るたびに面白い名前だなぁと思っていました。

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   奮起湖の愛玉子売り       谷中にあった愛玉子店

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2025年09月26日

台湾紀行 色の饗宴

台湾紀行 色の饗宴

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 他の土地、とりわけ異国に旅するとまず自分の感覚に飛び込んでくるのは匂いだった。その国の飛行場に降り立っただけで、あるいはその土地の駅に降り立っただけでもうその土地の香りが饒舌に訴えかけてくる。

 もうあれから半世紀以上たっても、モスクワのメーデーの朝もやの香り、饐(す)えたようなモロッコのラバトの通りの匂い、ウィーンの早朝のオペラ座の地下道に漂っていたあの優しいパンの香り、どれも脳裏にしっかりと残っている。

 でも、残念なことに十年位前に嗅覚を失ってからはそういう旅の楽しみ方はできなくなってしまった。どこへ行ってもぼくを迎えてくれるのは温度と湿度という空気自体の単純な要素だけでその時の空気はそれ以上のものを運んではこない。それは旅から現実感というものを奪い、時折自分がどこか映画かVRの中にいるような感覚に襲われることがある。

とまぁ、それは言っても詮無いことなのだけれど、ぼくにはまだ色彩が残っている。その土地の光と影、その土地の色彩はその中に身を投じてみなければ分からない力を持っている。それを感じることはまだ出来ることに感謝しようと思う。


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 旅の後半で訪れたのは台湾南部の高雄市で、二十数年ぶりに訪れたのだけれどその変容、台湾第三の大都市の威容は高速道路からも確認することができた。(つい最近までは台湾第二の大都市だったが、近年急激に発展した台中市が今は第二の都市になっているらしい)

 その高雄で訪れたのがMRT(地下鉄)の美麗島駅で、その駅構内の巨大なステンドグラスで近年有名になった。制作はイタリアの芸術家ナルキッソス・クアリアータ(Narcissus Quagliata)のステンドグラスで4500枚のステンドグラスが使われている。直径は30mもある。名称はDome of Light。

 エスカレーターで降りて地下構内に入ると極彩色に彩られた円形の巨大な空間が広がっている。圧倒されるような光の異空間。訪れた時は時間的には日本で言えば夕方のラッシュ時だと思うのだけれど、構内は乗降客よりもこのステンドグラスを見に来ている観光客の方が多いように感じた。

 駅名の「美麗島駅」という名称は、1979年12月10日に台湾を震撼させた民主化運動の美麗島事件から名付けられており、その後の民主化と融和を願って付けられたらしいが決まるまでには色々と紆余曲折があったようだ。

 台湾に来て感じるのは街なかの色遣いが日本とは微妙に違うことかもしれない。カンボジアやベトナムやタイのように至る所に原色が溢れているという訳ではないけれど、建物や店先や看板や室内に鮮やかな色が使われていることが多い。それはぼくの失った旅の現実感を補ってくれている。

 つづく…

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2025年09月21日

台湾紀行 阿里山森林鉄道

台湾紀行 阿里山森林鉄道

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 台湾に前回行ったのは、まだサラリーマン現役の時代のことだから二十年以上前になる。その時は今のように長い休みは取りにくい時代だったので数日間だったが駆け足で台北、花蓮そして高雄を回った。

 今回も日数は短い。理由は時間はあるのだが体力が…という情けないような理由だが、まぁ行けるだけ良いと考えるし普段のリハビリの進展具合の確認にもなるかなと。と言いながらもカミさんと相談して歩きを中心にするような旅行は無理だから鉄道の旅が良いかなと。そういえば以前はなかった新幹線ができたし、人気の森林鉄道も楽しいかなと。

 阿里山森林鉄道の歴史は古く、工事が着工されたのは日本統治時代の1906年(明治39年)に一部が開通された。阿里山には豊富な森林資源、特にタイワンヒノキの巨木が自生しそれらは日本の神社などの建設にも用いられた。1914年(大正3年)には現在と同じ嘉義~神木間が開通している。


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 今回は台湾中部にあるその嘉義~神木間を乗ったのだけれど、嘉義から阿里山駅までと阿里山駅からひと駅の神木駅までは違う列車に乗り換えた。森林鉄道の印象はとにかく揺れる。左右の揺れ幅が半端ではない。一瞬頸椎の心配をしたくらい。ぼくはいわゆる鉄ちゃんではないので詳しくはないが、調べてみると何しろここの軌道は762mmで至極狭い。日本の在来線の標準軌道幅は1,067mmで新幹線などの高速鉄道では1,435mm(山手線もこの幅)らしいのでかなり狭いことがわかる。

 この森林鉄道は従来から脱線も多く、2003年には十数名が亡くなる脱線事故を起こしているし、その後も倒木などによる脱線事故もたびたび起きている。これらを復旧整備するためにトンネルなども整備し全線が再度開通したのは15年ぶりの2024年ということだった。尤も現地ではそういう話は一切聞かなかったけれど…。

 揺れるのを良しとすれば、2200メートルの阿里山駅までの車窓の変化はとても楽しい。最初は線路の両側に亜熱帯の植物が茂り丁度沖縄の植生のような景色が広がる。色鮮やかなクロトンやクワズイモのような大きな葉っぱに日の光が当たって鮮やかな緑が目に飛び込んでくる。遠くにはヤシの木のような檳榔樹(ビンロウジュ)が見え隠れする。それが次第に海抜が上がるにつれて高山の植生へとかわってゆく。気温も大きく変わる。泊まった阿里山のホテルの近くではまだアジサイが咲いていた。

 阿里山駅に着いた頃にはあたりは一面の濃い霧に包まれて視界が遮られていた。そこで列車を乗り換えて一駅先の神木駅までゆくのだけれど、着くころにはちょうどいい具合に霧が少し薄れてきて実にいい雰囲気になってきた。霧の中から顔を出す真っ赤な日本車輌製のディーゼル車が警笛の雄たけびをあげる。忘れられない光景だった。

  つづく…

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2025年08月24日

左右盲

左右盲

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 ぼくが左右盲という言葉を知ったのは比較的最近になってからだ。最近は色盲や文盲などXX盲という言い方は避けるようなので左右盲も左右失認と言われることがある。いずれにしても、それはとっさに左右の区別が出来ない事や、何もしていない状態だと左右は理解できても、車の運転などの動作をしている場合に同乗した他者から指示されると、一瞬左右が分からなくなったりすることなのだ。

 色々と調べてみたら自分の今まで困っていたことがことごとく当てはまる…のでぼくは左右盲であることがはっきりと認識できた。運転の時の右折、左折は一人で運転しているときは何も問題ないのだけれど、例えば助手席にカミさんが乗っていて「そこ、右ね…」なんて言われると直ぐには反応できない。

 一番困ったのは運転免許をとるときで、路上教習の時など教官は当たり前だけれど、左折や右折を次々と指示してくる。最初の方は教官が「そこを右折ね」というと、ワンテンポおいてぼくが「そこを右ですね」という。すると教官もうなづく。

 どちらが右だか判断するのに少し時間を稼いでいるのだけれど、そのうち教官もぼくがどうやら左右盲らしいということに気づいて、ぼくがワンテンポ置いて「そこを右ですね」というと「そう、右折はみんな右と決まっています」とぶっきらぼうに応えるようになった。その内、教官は「左右が苦手らしいけど、上下はわかるの?」と言ってきた。思い切り急ブレーキを踏んでやろうかと思ったけれど、免許取得が遅れると思ってじっと我慢した。

 左右盲で困ることは結構多いが、例えば目の検査の時、例の「C」の字が並んでいるボードでどちら側が空いているか答える検査だけれど、左右のどちらかが欠けていると、とっさに答えが出てこない。一瞬考えていると大抵は見えていないのだと思われてそこは跳ばされてしまう。で、ぼくは検眼がきらいだ。

 左右盲になる原因は色々あるみたいだけど、その一つに左利きを右利きに矯正したことが一因であるとも。ぼくは子供の頃に矯正された記憶はないけど、子供の頃からお箸と字を書く時だけが右で、あとは投げるのも打つのもみんな左なのだ。

 左右盲の説明では左利きの矯正でも、全てを右利きに矯正したときよりも、箸と書くのだけを右に矯正した場合の方が左右盲になり易いみたいだ。ぼくの場合はそっちの方だ。どうも利き手の混乱が起こるのが一因らしい。ぼくは今でも左手でも右手と同じように字は書けるが字が裏返しに、いわゆる鏡文字になってしまう。

 まぁ、ここまで来たら悪あがきをして治そうとは思わない。先年、運転免許証の更新で高齢者実車教習を近隣の自動車教習時で受けることになった。三人一組で交代に教官の同乗のもと実車教習を受けたのだが、ぼくは一番最後だった。前の二人は右左折の一旦停止で停止線を越えて教官に「左右をよく見てから曲がりましょう」と注意を受けていた。

 ぼくの番が回ってきて、右左折の時は教官の指示にワンテンポを置いて左右を確認してから曲がった。ぼくにしてみれば右左折の指示にワンテンポを置くのはいつものことなのだけれど…。教官の評価は「右左折時に十分注意を払っており、すばらしい運転だと思います」と。悪いことばかりではないな。

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*一説によると日本人の20%くらいが左右盲だという説も。意外と多いのかも。

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