友人と会って何気なく「この前、自転車で転んで手をぶつけた」と言った。
友人は心配そうに私の手のひらをじっと見てくる。
袖をめくって、肘の下の紫色のあざを見せると「ああ、腕のことね」と笑う。
その瞬間、こっちも笑ったけど心の中ではため息をついていた。
原因は分かっている。
母は「長袖をまくると手が寒い」と言いながら前腕をさすり、父は「手をぶつけた」と言いながら肩を押さえていた。
学校の理科室で骨格模型を見て正しい名称を教わっても、家に帰ればその知識はすぐに溶けて消えた。
社会的に正しい呼び方より家の中のローカルルールのほうが強かった。
この癖のせいで余計なやり取りが増える。
整骨院で「手が痛い」と言えば、指や手首をぐにぐに触られる。
「違います」と前腕を押さえれば「ああ、腕か」と訂正される。
訂正されるたびに、こっちが悪いのかという気分になる。
料理中に「手を火傷した」と言って母を呼べば、慌てて飛んできて、肘の赤い跡を見て「なんだ腕じゃない」と勝手に安心する。
正しい日本語を使わないやつはこうやって日常の中でちょっとずつ信用を削られていく。
直そうとはしている。
でも、長年使ってきた言葉は、古いカビみたいに脳に染みついていて、落とそうとすると逆に匂いが強くなる。
一度ついた癖は多少の恥や不便では剥がれない。
たぶんこのまま生きることになる。
腕を手と言い続けて、訂正され続けて、訂正されるたびに内心で舌打ちしながら。
単純に増田が舐められてるだけなので、肩にトゲトゲのついたパッドつけると良いと思う
うちの親もこんな感じで言ってる言葉と想定してることが違うので話してていつっもうんざりしてる ラーメンは蕎麦って言うし、電車は車って言うし、スマホのことはファックスって言...
暗号を解いてるようだな
結局母はどっち派やねん
AIだね 最近の商用モデルでこんなに矛盾するとは思えないからgpt-oss-20bかな
あし(足と脚)みたいに四肢の付け根から先を区別しない呼び方はきわめて日本人らしい感覚なのかもしれない
一人称小説の冒頭みたいな文章だな。
ワイもネコチャンの前脚を手と言ってしまうで
グダグダ言ってねえで手のひらに「手」二の腕に「腕」って油性マジックで書いとけよ