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母子家庭の著者の、家の中には、父親がいる。電車で通勤するサラリーマンだと教えられているが、家には父親の靴は無い(のちに2足買うことになるがそれはさておき)。池袋駅付近の猥雑な界隈で、一家は引越を繰り返している。隣区の板橋で母親が経営する手芸店に住民票を固定しているから小学校への報告は不要だ。そもそも友達にも家の場所を教えてはいけない掟がある。放課後は必ず母親の手芸店に寄って母親と一緒に帰宅する。玄関の鍵を開けてしばらくは喋ってはいけない。ドアを閉じて真っ暗な廊下を電気をつけながら進み、母親が奥の部屋をノックすると、ドアが開いて父親が出てきて、「おかえり。僕もさっき戻ったところなんだ」といつもの台詞を言い、母親が「お仕事お疲れ様でした。すぐご飯にするね」といつもの台詞を返す。その茶番劇に著者が鼻白んでいることを母親は知りながらスルーしている。枕元に各々のボストンバッグ(毎晩中身を入れ替える)を置いて寝る。何かあってもすぐ逃げられるように、という理由だが、その何かが何なのかは教えられない。そして常に「明日の朝、私たちがいなくなっていても一人で強く生きていってね」と言われていた(虐待だろ!)。どんなに困ってもヒャクトウバンしてはいけないと教えられたし、そもそも交番の前を通ってはいけないという謎の掟があった。小さい頃は「いぬのおまわりさん」を家で歌っただけで「コッカケンリョクの犬の歌など歌うな」としかめ面をされた。父親が毎日トイレを流していないことに文句を言ったら父親がごめんごめんと笑ったので「ごめんで済むなら警察はいらないんだよ」と言い返したら母親にたたかれた(虐待だろ!※トイレを流さないのは、階下に音が響くと困るから。工場の上の住居に引っ越したら、機械音にかきけされるので普通に流していた)。音楽の教科書の君が代のページは破って捨てられた。天皇には戦争責任があるというのがその理由だそうで、元号を使うことも禁じられた。昭和48年生まれの著者は、1973年生まれと西暦で言うようきつく命じられた。誰かにもし理由を聞かれたら、テンノーセイに反対しているので元号は使いませんと言えと。
…ってかなりヘビーで稀有な、とんでもない生い立ちなのだが、小学6年のある日ついに、母親から、父親の素性を知らされる。名字も名前もその時初めて知った。
手に持っていたファイルから少し黄ばんだ新聞記事を取り出して、私の前に広げた。
1971年12月25日の朝日新聞一面。「雑踏にクリスマスツリー爆弾」「イブの新宿テロ、ついに市民巻き添え」「通行人ら12人ケガ」「警官1人が重体 派出所横で爆発」「過激派の犯行」ー今から14年前の記事…恐ろしい文字が並んでいる。「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」
小学6年にして人生が濃すぎる…。その後父親は自首して、母親はどうにか逮捕をまぬがれたので、母子は夜逃げのように池袋を出て小金井に引っ越した。家族として面会をするために父親と母親は婚姻届を出したので著者はこの時点で梶原姓に変わり、中高一貫の自由の森学園に進学した。著者にとっては何とも激動の1年で、母親が交通事故にあったことで、祖母(母親の母親)に初めて対面したのもこの年だった。この祖母もただ者ではなくて、伊豆で芸者置屋を取り仕切る女傑。いちいちすごい。
自由の森学園の校風は著者にとても合っていたようで、そのことは本当に良かった。
6年間本当にお世話になったし感謝しかない。ここで出会った人や経験は今も確実に私の中でベースになっているし、心のよりどころになっている。
こんなふうに思えるなんて、本当に恵みだから。当たり前じゃないから。うらやましい。
父親が自首する前に、著者は「何で爆弾なんて仕掛けたの?」のたずね、父親はこう答えた。
「演劇だけじゃダメだと思った」
「どういうこと?」
「演劇の力で世の中を変えたいって思ってたけど、それだけじゃ足りないと思ったんだ」
著者は奇しくも父親と同じ役者の道を選ぶ。
父親は服役して出所して、改めて家族3人暮らしが始まるのだがうまくいかず、約2年で家族は解散した。両親は離婚し、著者(当時20歳)は戸籍を分籍した。ひとりで残った夜、父親に後から送るダンボール箱の中に、父親が事件を起こす前に出演した戯曲の脚本を見つけて初めてそれを読む。チャリティーショーに手製の手榴弾を投げ込む青年の役だった。
この役を演じた時の父親は23歳。今の私より3歳年上なだけだ。そんな未熟な若者が、あの時代の空気の中でこの役にのめり込んでいったとしたら…。表面上の舞台ではなく、内面をも変革せざるを得ないような役作りを求められたとしたら…。真面目な若者はどうなるのだろうか。「おれは走る。おれはとぶ。おれは闘う。おれは爆弾をなげる」父は、現実世界でそれを実践したのだ。そして、人生を棒に振った。(中略)芝居というのは恐ろしい。異世界へ連れて行ってくれるのと同時に、現実をも飛び越えてしまうことがある。作る側はその危うさを常に認識していなければならない。
しかし、その後も父親は何とも情けない風体で再登場したりして、他人ながら呆れてしまう。潜伏中にも服役中にも出所後にも、妻や娘にひどい発言をしていた。誰のせいで苦労してると思っているんだ。甘えてる。この人爆弾なんて仕掛けなきゃよかったのに(そりゃそうだ)。
そして特筆したいのは「おわりに」の良さだ。出自を明かすことへの葛藤。本文にもあるが、かつて「それが君の切り札なんだ」と半笑いされたことに傷ついて、その傷は恐らく少しも癒えていない。それでも明かした理由。そして、「そんな子供がいないことを祈りますが」と前置きをした上で、「もし親がなんらかの罪を犯し、一緒に逃亡生活を送らなけらばならない状況」の子供、「親が服役している」子供に向けて、親身に寄り添う、連帯のコトバをつづっている。文は人なり、と強く思った。その人の文には、生きてきた中で真剣に向き合ってきたあれこれがありのままに表れる。
【ツブヤキ】
著者が脚本を手がけた「夜明けまでバス停で」と「桐島です」の2本立てを、早稲田松竹にて観てきました。
「夜明けまでバス停で」
通称・バクダン(柄本明・演)のありようが秀逸だった。若い頃に新宿伊勢丹前の追分交番に爆弾を仕掛けたバクダンのモデルは、言わずもがな著者の父親の梶原譲二。主人公の「爆弾で何を壊したかったのですか?」の問いに、「…何かを壊したいというよりも、爆弾を持つことによって、自分の存在そのものが変われるということかな」「要するにさ、俺自身は何者なのか、という問いを立てることなんだ」と答えていたが、これは、著者が父親のかつての同志から聞きとったコトバを採用した由。主人公を騙したバクダンが、いひひひっと楽しげに笑う顔がすごく悪くて、すごく良かった。
映画のラストは、主人公が、再会したちいちゃん(解雇されたバイト先の社員で、友人)に、爆弾の話を持ちかける場面だった。ここでいう爆弾とはもちろん危険な爆発物なんかではなくて、パワハラやセクハラやコロナ禍や、その他もろもろ世の中の理不尽すべてに対して、凛とこぶしを挙げる象徴か。ただ屈してたまるか、どん底を知ったからこそぼうぼうと火の付いた決意表明か。後述する「桐島です」の宇賀神寿一(奥野瑛太・演)が書いた桐島聡への追悼文の「やさしさを組織せよ」というコトバが想起される。
その他印象に残った場面をふたつ挙げると…
①主人公が料亭の裏口のポリバケツから残飯をあさっているところに店主が出てきて、コラアッと大声で怒鳴られて、泣きながら逃げる場面がつらくて、胸が締めつけられた。トラウマになるかも。コラアッて、野良犬じゃないんだから…。
②バクダンとふたりで時限爆弾を手作りする場面。主人公の本職はアクセサリー製作者なので、嬉々として器用に工具を操っていて、伏線回収?ちょっと可笑しかった。
「桐島です」
映画の冒頭(事件以前)、「活動」に心酔する桐島は女の子にふられている。「私、大企業に就職したい」「桐島君さ、時代おくれだと思うよ」。…時代おくれ。これはその後何度も流れる河島英五の「時代おくれ」に呼応している。
♬目立たぬように はしゃがぬように♬
そのように暮らしたからこそ、桐島は49年間の潜伏を成し得た。好きな女の子に好きだと告白されても、はしゃぎたい気持ちを必死で抑え込んで、せっかくの告白を拒んだウーヤン(=内田洋。桐島の偽名)。
映画全般において、桐島の優しいひととなりが通底して描かれていた。日雇いで現場に来ていた不法滞在のクルド人が足元を見られているのを知り、日本がこんな国で本当に申し訳ない、と謝る桐島。在日韓国人の同僚について侮蔑的な発言をする若者を「そんなわけないだろう!!」と怒鳴りつけて事務所を飛び出す桐島。困っている人に対して、見返りを求めず自然に手を差しのべる桐島。
あの時代、桐島を含む一部の若者たちは、何かしらに傷つき怒り、その何かしらを正そうともがき、あまりにも見境のない過激な行動に突っ走ってしまった。桐島の場合は、弱者への共感力の強さと生来の優しさが並外れていたのだと解釈した。事実は知りようもないが、少なくとも映画では、そう描かれていたと思う。「活動」の同志たちに「人を殺したり、傷つけてしもうたら、なんもならん」と地元訛りで語っていた桐島だったのに。
目覚まし時計のジリジリという音が、時限爆弾に使った目覚まし時計の音とが被るせいで、桐島は毎朝、起き際にビル爆発の悪夢を見る。それは苦しかろう、と思った。
ところで、「爆弾犯の娘」にも書かれていた「潜伏逃亡犯あるある」が、映画の中で使われていた。逃亡グッズをまとめたボストンバッグを常備しているとか、アパートの台所でくさやの干物を焼いていたら異臭騒ぎになって近所の人に通報されたエピソードとか。
その他印象に残った場面をふたつ挙げると…
①逃走を決意した日、金の無い宇賀神寿一に、なけなしの2万円をためらいなく差し出した手が、すでに桐島の優しさを語っていた。鎌倉の宇賀神社で宇賀神を待つ桐島の横顔や、赤い太鼓橋のてっぺんですれ違うふたりの絵は、とても映画的ではっとさせられた。映画ラストの「桐島君、お疲れ様」は、唐突に現れる中東のAYAではなくて、宇賀神に言わせてよかったのでは…?
②実際の桐島は男性としては小柄で、身長160センチだったらしい。桐島を演じた毎熊克哉は180センチもあるとのことだが、チョコマカとした歩き方や、丈のやや足りないダサいズボン、といった演出が功を奏して、桐島の小男ぶりをまったく違和感なく再現していると思った。
…ところで、上記2作品とも、主人公の歯磨きの場面が繰り返されていた。
「夜明けまで」は、まだホームレスになりきったわけではないというぎりぎりの自尊心のあらわれか。手持ちの歯磨き粉を使い切ったら、わずかな持ち金から新しく買い足していたのだろうか。
「桐島」は、普通の市民として潜伏するためのマナー、そして、保険証が無くて歯医者に行けないのだから、虫歯と歯周病の予防のためか。
寄る辺ない主人公たちの、それでも朝が来てまた1日の生活を開始するための定型作業の絵だな、と理解した。
