どこぞで全裸になって逮捕された者がいるようだ。
当然なことと流してしまいそうになるが、よく考えてみると、逮捕する必要はないのではないか。
自ら無防備な状態になってくれたのだからして。
もう少し想像を働かせれば、尻(ひいては直腸)に凶器を仕込んでいたり、爆弾を飲み込んでいたりといった場合を想定できないでもない。だが、恐らくだが警備員や警察もそこまで考えて逮捕に踏み切ってはいないと思う。
とにかく、広い意味で右に倣わない突発的かつ不規則な行動をとった者を自動思考的にしょっ引いているだと、私は思う。
そういう行動に罪という理屈が後付けされる。これは行為者だけでなく、行為者に反応する我々の行動も含まれる。認めがたいことだが、すべての罪にはある種の共犯関係が存在する。
ヒトの群れにおける変わり者、はぐれ者、のけ者はそのようにして排除される。山猿の営為となんら変わるところはない。
だから、私は擬態を辞められなかった。今も完全には辞めていない。しみついてしまったのだ。シャツに付いた墨汚れのように。とれることはない。
なので、ときどき私は自分が何をしているのか分からなくなる。厳密にいえば、その行為者が果たして“自分”であるのかが、ひどく疑わしく思えてくる。無論それは私で、何をどう言い繕おうとも往来で衣服を脱ぎ捨てた私は、私の肉体を間違いなく晒しているのである。
が、それに納得できなくなる瞬間というのが、増えてきたという話だ。
自我が分裂した者は、これを逮捕する。などという法が制定されていないことを喜ぶべきか、あるいはこの歳までそのような者がのうのうと天下を闊歩できていることに危機感を覚えるべきか。だが、裁かれようにも自首すべき場所も見つからないのだ。
再開して三つ目の記事で書くことでもないが、思いついた端から適当に書き込んでいるのでご容赦いただくとして、当ブログの文章は、このような私の反吐である。
酔っ払いが食道を逆流する吐き気を我慢できんように、私は私の完全に壊れてしまった部分というのを何らかの形とせずにはいられないのである。
読む価値もない。読まれる気もない。そういう類のものであるので、どうかご承知おきを。