もはや毎年恒例の「奈良に住む母を訪ねに」行ってきました。
今年はいつもより長めの夏休みが取れたのでゆったりしたスケジュールです。
1年ぶりの母の様子。有難いことに、そして驚く程に変わっていませんでした。
食事を摂る居間のちゃぶ台も同様で、食事時はお膳のスペースを作るために周囲のノートやら何やらをずらしています。
使わないものは全て押し入れ等の空きスペースに収められ、いつも使うものは身の回りの床に直置き。
母は特に足の筋力が弱く、移動も周りのものを掴みながらなので、転倒リスクが増すような環境は本来ならすぐにでも改善したくなるのですが、そんなふうに考えるのをもう辞めることにしました。
身体は衰えても頭ははっきりしている母には母なりのルーティンやこだわり、母にとっての便利さなどがあって、私が口出しするのは余計なお世話と知ったからです。
同居や近くに住んでいるのならともかく、せいぜい一年に一度訪れるだけの子供からの干渉なんてありがた迷惑なだけですよね。
もともと片付けが苦手でものを溜め込みがちな母。世代的にも「捨てる」に抵抗感があります。
ただ本当に凄いことだな、と改めて思うのは、しっかりと自立した生活を送っていること。
少ない年金の中で家計のやりくりをし、未だに毎食自炊、そして水周りはいつも清潔にしています(訪問介護のヘルパーさんも利用させていただいていますが、基本的には母主体)。
仕事で高齢者世帯や独居老人のお宅を訪問していたことがありますが、目立って汚れていたのはトイレ、風呂場を含む水周りでした。
私が母と同じ96歳になっても、こんなにきちんとできるだろうか?と思えば自信が無いし、部屋は雑然としているのに、水周りが清潔に保たれているのがなんだか不思議ではありますけど、感心しました。
単にだらしない、ズボラなどではなく、高齢になればなるほど、元気な頃は当たり前にできていた家事一般の負担が大きくなっていくことを思えば、彼女は毎日生活するということに挑戦しているように感じるのです。
残念なことに長年の積み重ねから母とは良好な関係とは言い難いのですが(どちらが悪いわけでもなく致し方のないこと)、「生きている限りはベストを尽くそう」という母の生き方を尊敬しています。
今回は、これまた1年ぶりの妹と母の今後を話し合いました。
本当に驚く程明晰な母ですが、それでも体はゆっくりと衰えており、いつかは今と同じ生活を送ることができなくなります。
それが余命宣告される病なのか、老衰による緩やかな死への経過なのか、あるいは認知症状態になって独居が叶わなくなるのか...などで、家族の選択肢も変わってきます。
電話やLINEではなく、顔を見てゆっくり話が出来て良かったです。
【伊丹空港でお出迎え】
ミャクミャク、デザインが発表された当初はあんまり好意的な言葉が聞こえてこなかったけど、今ではすっかり人気者になりましたね。

