日記 #17

読者諸賢、お久しぶりである。数日間の更新がなかったことここに詫びたい。嘘っぱちを書く日記など聞いたことがないので、真実だけをお伝えすると単純な疲れと怠惰である。かくいう今も少し疲れはあるが、なんとか奮い立たせてパソコンをにらみつけている。ここ数日間で起きた出来事たちをこのブログに要約してまとめることは私の技量においておよそ不可能であると察せられるため割愛させていただく。

そして今日は先日お伝えした外国人とお昼を食べいく約束をした日だった。そしてこれは先日私が申し上げたこととは裏腹に、いややはりというべきか彼らは伝道者であった。日本式で考えれば見知らぬ人間に街で話しかけてランチ行くことなどあり得ぬが自由の国アメリカではそういったことももっぱら行われているのかもと少しでも浮かれた私は手の施しようのない阿呆である。うすうすそうではないかと疑っていたので事前の連絡で確認しておいたのだ。しかしだからと言ってこの好機を逃す手はない。宗教勧誘も覚悟のうえで経験として赴いたが、意外にも彼らは一切そういった話を出さなかった。外堀から埋める手堅いやり口なのかもしれぬが、来月にはこの地を離れる私にとってはモーマンタイである。最寄りのマクドナルドで昼飯を喰らったが他愛もない雑談ですぐに時が過ぎた。依然として私の英語力に復調の兆しは見えず、彼らが多少の日本語を理解しているのをよいことに己が言語力から目を背けることもあった。なんという負け犬魂であるか、恥を知れ。昼食後は教会とやらで卓球をしないかとの誘いがったのでいよいよきたかと勘繰ったが、あえて乗ってみることにした。血みどろの闘いを繰り広げるつもりで、ラケットを握ったが彼らはラリーをすることを目的にしていた。腕に自信のない私とラガーマンのような図体の彼とで100回のラリーを成功するまでひたすら球を打ち続けた。次にトランプをすることとなった。アメリカには大富豪がないと言うが、日本で学びいたく気に入ったらしく大富豪をやることなった。数戦行われた試合のほぼすべてで圧勝できるほどの豪運な引きを見せたが、三人で54枚をわけるので中華二千年の歴史もかくやといわれるほど目まぐるしく革命が勃発し成金貴族の私は早々に打ち滅ぼされることとなった。

いずれの遊びも一段落つき帰路につこうとしたところ、お土産にダイナソーのブロック人形をいただき何とも形容しがたい不思議な気持ちで帰宅した。

この世にはまだまだおもちろおかしいことがわんさか転がっていると思うと武者震いが止まらない。

それでは、また明日。

日記 #16

本日はとても珍妙な出来事が起こった。学生のころより英語が大好きだった私はいつか異国に移り住みたい、あるいは筋骨隆々の屈強なナイスガイや碧眼にブロンズを携えた目目麗しいレディとお近づきになりたいと考えていた。私が京都を好むもう一つの理由として外国人観光客の多さにある。言うまでもなくほとんどの国は日本よりも治安が悪く想像を絶する悪党も跋扈する海外であろうが、日本に来る観光客は基本的に親日家なためとても親しみやすい。中学の修学旅行では自由行動のほぼすべての時間を外国人観光客とお話をするために使ったものだ。そして学生が終わって数年間英語を喋る機会はみるみるうちに失われていき、私と英語をつなぐものは趣味で観ている日本のアニメーションを外国人がリアクションするという動画だけとなり現在のようなディスコミュニケーション男が誕生せられたのである。一年半ほど前そんな状況を打開すべく英語の勉強をしていた時期もあったが、別にやるべきことができ頓挫していたところだった。そして今年に入ってから何度か外国人と話す機会があったが何を言われてもへどもどし拙劣な言語力を披露するだけに終わった。学生の頃よりも信じられないほど退化したあまりの惨めさに私は再起を決意したのであった。そしてそこへきての一人暮らしという好機が到来した。今までは家族の目や騒音問題で実行に移すことができなかった外国人との通話というものを試みることにしたのだ。曰く日本語を学びたい外国人と英語を話したい日本人が話すことのできるなんともありがたい舞台があるらしい。来月からそれを始めようと思っていたまさにその時の話である。街を歩いていると向かいから歩いてくる二人組に声をかけられたのだ。彼らはアメリカ人だった。これも何かのご縁と感じた私は拙い英語でしばらく会話をしてみることにした。瞬く間に打ち解けた我々は連絡先を交換し次の月曜にランチに行く約束を取り付けた。街で相手から話しかけられると言えば道を聞かれるか宗教勧誘かの二択であったが、どうやらそうでもないらしい。初めてできた異国の友達というものに感謝し私の英語力の礎になっていただくことにする。その日までにまた英語の学習を進め自在に言葉を操らねばならぬので今日はこのくらいにしておこう。

それでは、また明日。

日記 #15

包み隠さずに申し上げよう。昨日は寝過ごしてしまった。15回目の更新となりモチベーションにも浮き沈みが出始めたころではあるだろう。そもそもの話ではあるが、日記と銘打ったこのブログで毎日1000字も書くほうがどうかしているのだ。読者諸賢の読み応えも考慮してのこのボリュームではあるが、どこの世界に日記と称して原稿用紙二枚強分も書く奴があるか。文を書くのは楽しいし苦であるとは微塵も感じぬが、特段文を書くのが速いわけでも、ましてや上手いわけでもない。一つのブログを完成させるのに一日の1/24を消費することも珍しくないので趣味にしては時間を使いすぎているし、まずもって眠い。執筆などという大それた言葉を用いるのは気恥ずかしいが、この日記を書くのは深夜である。軽度の睡眠障害を自称する私はなかなか眠らない。それゆえにかなり遅くの時間に書き始め、言葉選びに右往左往しているうちに大変な時間になっていることもざらだ。以上のことを踏まえても今後は少し文字数の調整も考えなければならない。

前にも述べたが、まず一番重要なのは継続だ。継続するために負荷が大きすぎるならば、調整してやるとよい。はじめから100キログラムのベンチプレスが上がらぬように、徐々に体を適応させ習慣にしてしまうのが最も楽な方法だろう。

それでは、また明日。

日記 #14

最近、更新頻度やボリュームが減少しているのには理由がある。と言うより言い訳をさせて頂きたい。まず、一つ目が来月より始まる一人暮らしの為の準備が少し忙しいことである。経済的余裕、社会的信頼の皆無とある私にとって初期費用とは頭を悩ませる種なのだ。そこで友人に勧められたのがジモティーというアプリだった。本来ならば処分するはずの家具家電などを業者を介さず、格安で譲るまたは貰い受けることのできるアプリだ。譲り手にとっては不要になった物を、貰い手にとってはこれから必要な物を双方の利害が一致し再利用されることとなる、実に理にかなったアプリケーションである。全てを新品で購入すれば私の1ヶ月の収入を悠に超える金額がかかるはずの私のところにジモティーという後光がさされた。そして東京中を家具家電集めに奔走していたのだ。

そして二つ目はここ数日、友人たちと熱く語らうことが多かったと言うことにある。この件は先日に少しお話したが、普段の我々はひと月に一度か二度喋り主体のゲームをしたり人生や社会問題などを論じたりして過ごしている。一度話始めれば朝日が昇るまでは当然で長ければ半日以上も熱く議論される場合もある。喋ることが何よりの趣味である私にとって有意義、無意義問わず、人と意見をぶつけ合うことはそれだけで心を満たす事のできる手段なのだ。そして普段ならば期間が空き事前に集まる日を決めるその会が、唐突に二夜連続で開催された結果、更新が滞ってしまったのである。

そして三つ目はここ数日、体調が万全で無いことにある。この世に生を受けこれまでの間、私と身体の関係は実に良好であった。大きな病気をすることもなく、稀に訪れる風邪や感染症なども数日のうちに完治することは当然だった。しかし、最近になって少し我々の関係に暗雲が立ち込めているのだ。数週間前に高熱を伴う体調不良に見舞われたのを皮切りに常に喉が痛く日常生活に支障を来し始めている。そんな中、人生を論じたりするものだから余計に喉を酷使し状態は更に悪くなる一方だった。のど飴やスプレーで必死に抵抗したところで一向に治る気配はない。本日、病院に向かうつもりではあるがそれで治るかもわからない。健康体である時にはいつも忘れてしまうが、身体に異常があるというのはとてつもないストレスである。注意力散漫になりやるべき事にも手がつかないおよそどうしようもない野郎に成り下がってしまうのだ。

以上の事から少し休養しつつ、今後も更新を続けていきたいと考えている。

それでは、また明日。

日記 #13

まず弁明からさせていただこう。先日は友人たちと夜通しおしゃべりをしていたので更新することができなかった。私の趣味は数えきれないほどあるがその最たるものが会話である。人と喋ることが何よりの娯楽である私にとってこの機会は逃すことのできないものであった。そして本日、また友人たちと人生について熱く語らったのでこの時間に書くはめになっている。連続で短い更新になってしまい申し訳ないが、明日も用事があるので今日はこのくらいにしておく。

また明日。

日記 #12

本日は労働の日だった。内容自体はなかなか面白いし不満は特にないが、やはり労働そのものによる疲労はある。特に私の場合、日数が少ない分一度の時間が長いのでより疲労が顕著に現れる。すこぶる眠いし書く文もいつもより精度が低い。心身が健やかに成長し自立というステップが遠目に見えた時、人は労働の過酷さを実感する。日々勤勉に働き自分あるいは家族を支えている方々を深く尊敬できるようになり、社会で生き抜くことに疲弊し思うような生活を送れていない人の気持ちも想像できるようになった。

多くの人々が直面するのが労働との向き合い方だろう。私もごたぶんにもれず、学生が終わってからの数年間常に向き合い続けてきた。夢の実現と労働とお金からの脱却。現在と将来の天秤。人は様々な悩みの中で複雑微妙にバランスを取りながら生きている。もちろん、お金があれば幸せというわけではない。人である限り悩みはつきないし、より解決困難な難題が訪れるかもしれない。つまり何が言いたいのかと言うと、私にもわからない。酩酊時のようなけだるさが全身を支配し脳が文を作り出すことを必死に拒んでいる。仕方がないので今日はもう休むことにする。たまにはそんな回があっても仏様もお見逃しになるだろう。

それでは今日はここまで、また明日。

日記 #11

SNSが爆発的に普及してどれくらいの月日が経っただろうか。今や日本国民の約半分ほどはLINEなどのメッセージアプリを除く何かしらのSNSを使用しているのではないかと思われるほど我々世代はには欠かせないコンテンツである。私が初めてインターネットに触れたころ自ら書き込みをする人間はごく少数で、大多数の人は便利な検索ツールとして使っていただろう。かくゆう私もそうであった。それが変わり始めたのはとある二次小説サイトにしきりに入りびたり始めた時だった。以前お話した進撃の巨人の二次小説を読むことからはじまり他作品、雑談スレッドなど様々なものに手を伸ばしていった。しかし、私はさらの初心者であり子供でもあった。丸腰でインターネットの荒野に放り出された私は隠れることを選んだ。つまりはROMるというやつだ。勝手や文化がわからないのでひたすらみた、みて当時のネットスラングを自分の頭で推察し彼らが一体何を話しているのか理解することだけを考えていた。当時のネットユーザーへの偏見だが、部屋に引きこもりインターネットに経年したシールのように張り付いている人間ばかりに思われた。しかし今やどうであろうか。ユーザーは加速度的に上昇し私の周りでも何のSNSも使用していない人は一人もいない。それゆえに、かつては狭いコミュニティの中で蔓延していた暗黙のルールのようなものが急激に縮小し、無秩序で混沌とした世界になり果ててしまったのだ。

現実社会において人はだれしも嘘をつく。自分の心に重い蓋をして社交性を獲得していくのだ。反面SNSでは現実世界に抑圧された人々が己が欲望をむきだしにしその結果、他者に多少の悪影響があろうがそんなことは考えもしない。人間の根底を写し出すのがSNSというものなのかもしれない。今まで決して知りえなかった人の強い感情を常に浴びてそれを真実だと思い込んでしまう時もある。ルッキズム、男女平等、援助交際、育児、労働、政治...あらゆるものへ強い感情が周囲を巻き込んで風船のように膨らんでいく。そうしているうちに世界の形をSNSの形に捻じ曲げていしまっているのではないだろうか。いいねこそが世界の意思で世の中の普通だと認識している少年少女たちを生んでしまっているんじゃないだろうか。この構造を壊す術は私などには到底考えつきもしないが、日々の暮らしとともにあるSNSに少しずつむしばまれることがないよう現実世界とのすみわけを心得てほしいと願っている。

それでは、また明日。