
清水崇監督の映画というのは、そもそも理屈が通らない。
まあ、理屈や理論がすべて通っているホラー映画というのも、あまりない気がしますが、なかでも清水監督作品は、とにかく理屈が通らない。ひたすら「こんなシチュエーションあったら怖いよね?」というシーンの積み重ねで、一応の伏線は張ってあるとはいえ、意味として、なんでこうなるのかよくわからなかったりする。
以下、一部ネタバレあり。
ある解説者の方がおっしゃってましたけど、J-ホラーというのは基本、短編なのだと、なかでも清水監督は短編作家としての傾向が強いと。
なるほど確かに、清水監督の出世作『呪怨』の1作目ヴィデオ版などを観てみますと、ひたすら怖いシチュエーションの繰り返しで、それぞれのシチュエーションの間には、特に関連性はなかったりする。
これは短編の組み合わせなのだと観れば、納得できる作りになっているんです。
本作にしても、自動販売機の件などは、前作『ミンナのウタ』からの繋がりなのですが、抑々前作の段階から、「なんで自動販売機なの?」という、実はよくわからないシーンなんですよね。
そりゃ確かに、自動販売機の下の狭い空間に”何か”がいたら、そりゃ怖いけど、それだけっちゃそれだけなんですよ。ワン・シチュエーションとしての怖さなのであって、とくに深い意味もつながりもない。
少なくとも私には、そうとしか見えない。
血の付いた足跡とかも、一応の伏線は張ってあるけど、怖がらせるための強引な理由づけであって、やはりさほどの意味があるとは思えない。やはりワン・シチュエーションとしての怖さでしかない。
さなちゃんのお母さんを演じた方の”変顔”ではなく”怖い顔”などは、ホントに意味がわからない。確かに怖いけど、怖いだけ。やはり意味などない。
ねえ、なんでクレーンゲームの機械の中に入ってるの?なんでわざわざ、狭い窓から這って入って来るの?
意味がないんですよ、意味が。
怖がらせようという目的だけのために、清水作品のお化けさんたちは、わざわざ面倒くさいことをしている。
そう、お化けさんたちは、怖がらせることを楽しんでいるんだな。そのためならば、どんな面倒くさいシチュエーションも厭わない。
なるほど伽耶子にしろさなちゃんにしろ、これらお化けさんたちは皆、清水監督の”分身”なのだな。
とにかく怖がらせたい。怖がってさえくれたらそれで良し。
人を怖がらせるのがとにかく楽しい。それだけなのだ。
まあ、ホラー映画というものは本来、そういうものかもしれないね。
だからとにかく、ひたすら怖がりたい方にはおススメの映画ですね。
ホラーであっても、そこに一定の理屈やら整合性やらを求める方には、そもそも清水作品は向いておりません。
ということです。
私ですか?私としては前作『ミンナのウタ』の方が面白かったな。
さなちゃんも前作のほうが怖かったです。
という感じ。それにしても何故、染谷翔太?
そうか、トシオくん繋がりか。分かる人にはわかるね(笑)。