人間は、よく分からない状態でいるのが嫌なので、不明なことを明らかにしたいという欲求を持っています。
明らかにしたいという欲求というより、分からないという状態から解放されたい。そっちの方が求めていることかもしれません。
いずれにしても、人間は知的好奇心というものを持っているわけです。
よく分からない事はたくさんあるし、常にあり続けるから、知的好奇心も止むことがありません。
次から次へと知的好奇心が引っ張り出されます。
実際、物事を完全に理解できるかというと、そんな事はありません。科学の仕事は、分からない事を明らかにする事ですが、それでも、それを完全に明らかにする事はできません。
科学の仕事はあくまで事実に対して納得のいく説明をつけるところまでであり、それを越える事はできません。科学的態度とは、そのようなものです。
ですから、分からない事に対しては、人間は考察したり、解釈したり、把握したりする事しかできません。そして、その事を理解と呼んだとしても、あくまでそれは暫定的な理解であって、いつでも書き換え可能であるわけです。
それでも、暫定的だとしても、人は知的好奇心を満たそうと、分からない事を明らかにしようとするのです。
明らかにする方法はいくらでもあります。1つの対象に対しても、あらゆる側面からアプローチができ、あらゆる側面での説明ができるわけです。
そのようにして、よく分からない事を、多面的に、切り崩していくようにして、明らかにしていくのです。
ある側面が明らかになると、それだけで、今まで分からなかった世界が違った世界に見えてきます。
世界が変わると、自分自身のものの見方が大きく変わって、違う世界を生きるような感覚になります。
人はそのようにして、目の前に広がった物理的な景色が同じでも、理解による見方が変わるだけで、世界が全く違うものになるのです。
主観的な人間にとって、そのような認知の世界が、自分の生きている世界を大きく変えるのです。
人間が変わっていくとはまさにそういうことであり、生きている体験そのものが、見ている世界の変化とともに劇的に変わっていくのです。それこそが体験というものです。
確かに、はじめは、よく分からないんです。何も見えず、歩くのも頼りなく、不安がいっぱいであるわけです。
世界は未知であり、不安で満ちているわけですが、その世界を知的好奇心によって理解するのです。そして、生きている世界を変えていくのです。