人間には認知する能力があって、認知する事で生きていると言っても過言ではありません。
人間の認知する領域は大きく、この認知領域の中を体験する事で生きているとも言い換えられます。
自分自身で認知の領域をどのように想像し、構築するか。この事はとても重要です。
想像する認知の領域は、視覚的なものかもしれないし、空間的なものかもしれません。
認知の空間はその意味で自由な空間であり、自分で自由自在に設計して構築する事が可能です。
場合によっては、自分自身で自分の認知空間を構築する事が出来ず、アプリオリの仕組みによって勝手に構築されていて、非常に不自由を感じる事もあります。
認知空間が自分で扱えるかどうかは、自分が自由なのか自由ではないのか、に関わってきます。出来れば、自分の認知空間に対しては、自由であった方が望ましいわけです。
人の認知空間は人によって様々であり、それは主観的であるがゆえに、いかようにしても自分だけの認知空間であり、独自な空間であるわけです。
現在の時点においては、技術的にも、この認知空間を他の人に正確に説明する事は困難だし、再現する事も困難です。
自分の中の認知空間は、実世界の中に基本的には再現されるものではないですが、再現しようとする事は出来るし、再現する事も原理的には可能です。
ですが、たいていの場合は、今すぐ再現する事はできないし、詳細にわたって再現する事は極めて難しい事です。
ただ、今からその認知空間を、実現する為に努力する事は出来るし、絶え間ない努力と実践によっていつしか実現のものにする事は可能です。
その意味で、自分の認知領域における空間は、未来的であって、未来に向かう時間に置き換える事が出来るわけです。
大雑把に言えば、自分の認知空間の事というのは、未来の事でもあるわけです。
実現するかどうかは不確実ですが、未来には実現する可能性を秘めているわけです。その意味で、想像する認知空間は、時間の概念に置き換えながら、未来への実現可能性を含んでいるわけです。
未来的であるわけですから、認知の空間は広い方が良く、開かれている事が望ましく、発展可能性に満ちている事が望ましいわけです。
人はいつも未来に発展性を望んでいるし、不確実だろうがなんだろうが、可能性に満ちていてほしいわけです。
人間の持つ認知は、そのようにして認知空間を想像し、それを大きく広く開かれたものとして自ら構築し、それを実現しようと未来に向かっているわけです。
人間の認知空間が、時間を作り出し、自由を切り開いていくわけです。