人間の生きている世界は、昔から自分たちで作ってきた世界だと言えるように思います。
宗教は昔からあったし、いまだかつて、宗教の無い世界なんてないわけで、人は何らかの宗教を信じているわけです。
もちろん、ある宗教に入信していないから宗教は信じてはいない、という事はありますが、無意識に何らかの宗教を信じて生きているわけです。
昔の人たちは、宗教の世界は自分たちの生きている世界の全てであると信じて生きていたわけで、そこに、神であろうが、神に相当するものであろうが、何らか、神的なものを世界の全てだと信じて、生きてわけです。
ですが、それらは、やはり、自分たちが作ってきた神であり、宗教であるわけで、でも、その絶対性を信じ、というか、絶対的なものであると無意識に信じ、それを前提として生きる事から逃れる事はできないわけです。
確かに、その宗教は、結局、自分たちが作り上げ、ルール化し、運用してしまっている事で成り立っているわけで、そのようにして自ら成り立たせた宗教に、支配されるようにして、一方ではすがって、また一方では、利用して生きているわけです。
ですが、それは人間による創造物であるわけですから、時代とともにそれは実行性を失い、力を失うわけです。
一部の宗教は、今でもその実行性を維持しているものの、昔ほどその絶対性は失われているわけです。
では、現代では、その宗教は何だろうかと想像すると、きっとそれは、お金ではないかと思います。
「お金教」、あるいは「マネー教」とでも言えるのかもしれません。
人は思っているよりこの宗教を信じていて、生まれるより以前からこの宗教を前提としていて、この宗教から逃れて生きるのが困難な状況にあるわけです。
あまりに、力が絶大であり、お金の力無くしてこの世界を生きていく事はできないと信じているものだから、容易にお金無し生きていけるとは思わないわけです。
とは言え、お金は、確かに自分たち人間が作り上げた創造物であり、自分でルール化し、運用しているわけで、その絶対性は自分たち人間が自ら作ったものであるにもかかわらず、それを無意識に信じているわけです。
それを信じ、一方でそれにすがり、またある一方で、それを利用して、生きているわけです。
この時代、お金の力の効力、あるいは、魔力から、容易に逃れられないわけです。
人間自ら作った、人工的な創造物にもかかわらず、それを信じ、無意識に信じ込み、そして、前提として生きているわけです。
その意味で、人は宗教を信じて生きているわけです。宗教はいずれ時代とともにその実行力を失い、力を失うにもかかわらず、その絶対性が有効である限り、人はその宗教を信じて生きるわけです。