毎日のように、人は自分と対話し、何か自分を突き動かす言葉を探しています。
動き出したい自分はそこに居て、でも、なかなか思うように動いてくれない自分がいるわけです。もっと動いて欲しいんですが、動く動機や目的が無いと、なかなか自分は動いてくれないんです。
自分の事でありながら、心は何か常にもがき続け、もやもやとして、感情は揺れ動いていますが、一体自分はどうしたいのか、意外と具体的には分からないのです。
だから、自分を突き動かす言葉を探しているんです。自分に刺さる言葉を探しているんです。
自分の心を的確に表す言葉を探しているんです。
言葉は出会いみたいなもので、どこかに、自分を揺り動かす事があると思っているんです。自分ではなかなか自分を奮い立たせる言葉を生み出せなくて、それで、どこかにそんな言葉があるのではないかと、いつも求めているんです。
心は騒めいています。落ち着かず、揺れ動いています。ですが、だからと言って、それが何を指し示しているのか、分かりやすくは提示してくれません。
心は曖昧で、いつも定まっておらず、浮き沈みも激しく、一体何を求めているのか、具体的に分かりません。
その心に向き合って、一体何を感じていて、何を思っていて、何を求めているのか、自問自答するんです。容易には言語化させてくれませんが、それでも、言葉を使って、何とか心を表す言葉を見つけようとするんです。
だから、心を静めたいんです。心を落ち着かせるんです。
焦っていても、何も心はものを言ってくれません。焦って、落ち着きの無い心に、その心を表す言葉は生まれません。
自分の心に対峙して、繊細さを持って、心の状態を見るんです。感じるんです。いつも落ち着かず気付けない心の状態を、心静かにして気付くようにするんです。
きっと心は何かを秘めているし、何かを訴えているんです。何らかの形でサインは出しているんです。
抑圧され、気持ちを押し殺しているかもしれません。ですが、抑圧された心の奥底には、きっと思いが隠されているんです。
それに触れるんです。心を静かにして、その内側にある心の状態を感じてみるんです。
自分の心に触れ、それを感じ、受けとめ、気付いて、明らかに出来なければ、心は何も動き出そうとしません。
自分自身は動き出しません。心は本当には何かを抱き、動きたい気持ちを秘めていますが、容易に動き出しません。
そこに触れ、感じ、明らかにするんです。言葉にするんです。心を突き動かす言葉を見つけるんです。