Holoholo Diary 555blog

自転車とアップサイクルでミニマムインパクトな暮らしへ。55nat.com ナット&カンパニー 白猫屋 のブログ

自販機のなかの生搾りオレンジジュース工場

食料品の価格上昇がとまらない

円安やら気候変動に伴う食糧不足やら人手不足の物流費上昇やらなど様々な影響だと思うけれど、自分を取り巻く生活のあらゆるものが値上がりし続けているご時世では、自動販売機のドクターペッパーもとても気軽に買えるような時代ではなくなったことを実感する今日この頃であります。

生搾りオレンジ100%ジュースの自販機

野暮用で立ち寄った町田の駅で搾りたての生ジュースが飲める自動販売機が目に留まり、飲んでみることにしました。キャンペーン中で定価350円のところ50円引きの300円。QRで決済を済ませて待つこと1分弱。自販機に入っているオレンジが目の前の工場のラインに入り搾られていきます。オレンジが4個か5個か6個から、コップ1杯分の100%生ジュースが抽出されます。

搾りたての美味しさ

やはり、搾りたて生ジュースは美味しいです。物価の高騰がとまらないなか、販売価格以上に満足度が高いと思いました。

ずいぶん前の話しになりますが、ドートールコーヒーショップがまだマイナーだった頃、オレンジジュースを注文すると生のオレンジを二つに割って、手動のジューサー(搾り機)にかけて出してくれていたことを思い出します。

この生搾りのオレンジジュース販売機『IJOOZ』が近くにないかと調べてみたら、成城学園前駅前にもありました。普段、自動販売機など利用しないのですが、100%果汁の生ジュースが飲みたくなったとき、ときどき利用します。

自販機の中のオレンジ工場

さて、1杯の搾りたて100%オレンジジュースにいったいいくつのオレンジが使われているのか。毎回数えるのだがいつも見逃してしまう。次回はしっかり数えることにします。

4個か、5個か、6個か。

 

 

バンフ映画祭2025アップサイクルバッグ

バンフ映画祭 東京開催 10月11日・12日・13日

今年も「バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバル(バンフ映画祭)」ワールドツアーの東京上映が今週末です。

昨年(2024年)の映画祭の時期に製作したバナー(フラッグ)を今年もアップサイクルしました。会場で飾る先上げサンプルバッグが福祉作業所の「なないろ」さんから届きました。毎年この時期、お世話になって15年になります。

マルチカラーのアップサイクルバッグ

今年のバッグは昨年と同じパターンを使いました。ただ色の配色を変えました。昨年までは2種のフラッグのいろから単色のバッグを作成していましたが、今年は違う色を組み合わせてマルチカラーになっています。ポップな雰囲気になって、けっこう気にいています。アイボリーとスレートブルーの生地のマルチカラーにバンフのロゴが映えます。

さて、このアップサイクルバッグをはバンフ映画祭(東京会場)のアンケートプレゼントの賞品として製作しています。ぜひ、映画祭へ足を運んでいただき、アンケートプレゼントに参加してください。

 

スピーディ・ステッチャー(手縫ツール)とVANSのソール剥がれ補修

1909年から変わらぬDIY手縫い機 Speedy Stitcher Sewing Awl

アウトドア用品の修理に欠かせない道具のひとつと言えば、1909年の製造開始以来まったく変わらないデザインの「スピーディ・ステッチャー(Speedy Stitcher Sewing Awl)」。縫製のプロやD.I.Y.愛好家に愛され、100年以上も使われ続けているのには驚きます。日本のアウトドア愛好家のなかにも、自分のように愛用する道具をD.I.Y.で修理する目的でこの製品を使っている人も多いのではないだろうか。

1970年代にスポーツトレインで手に入れた「ガタバウトチェア」のステッチのホツレたとき、ティンバック2のバックパックを酷使しすぎてショルダーストラップが本体からはがれてしまったときなど、修理や補強が自分でも簡単にできてしまうので、とても重宝しました。ヘビーデューティな縫いが必要とされるリペアには必ず登場する道具なのです。

VANSのソールが剥がれる悩み。気にしないことか・・

自転車のフラッドペダルにとても相性の良いVANSのスリッポンシューズですが、ソールとアッパーの屈曲部分がいつも剥がれてしまいます。シューズ用の接着剤やシューグーでリペアを繰り返すのですが、いつも時間の経過とともに100%の確率で剥がれてしまいます。こういうものだよね、という諦めもあり、気にしないで履いていたわけです。

今回、そのVANSのソールの剥がれのリペアにスピーディ・ステッチャーを使ってみることにしました。

ステッチャーの替え針 #4 と替え糸 FINE WAXED THREAD

ステッチャーの本体の標準装備されている針のサイズは太めの#8。蝋引きの糸もそれに対応して太めの粗いタイプだったので、靴のソールの補強にはもう少し華奢な糸で良いかと思い、それより細い#4の針とそれにあわせた細い糸を買うことにしました。

輸入元を調べてみたら赤津さんの会社、A&Fだったのですぐに新宿の直営店へ連絡。お店に在庫はありませんでしたが、取り寄せてもらいました。

お店にピックアップに行ったときに、赤津さんと二人でA&Fの出版部門を切り盛りしているキタちゃんと久しぶりに会いました。お互いの近況報告や情報交換ができて、面白い話もいろいろ聞けたので、また機会があるときでも書こうと思います。

スピーディ・ステッチャーの針と糸を細いものに交換

交換で一番面倒だったのは新しい細い糸をボビンに巻く作業でした。細い糸用のボビンは爪楊枝と厚手ビニール版で自作。このボビンに糸を巻くのがなかなか細かい作業で時間がかかりました。

VANSシューズの手縫いによるソール補強

VANSのソールの剥がれる部分を5ミリ間隔でロックステッチする補強計画。

さてどうなることやら。

どうせ剥がれるたびに接着剤やシューグーで補強を繰り返しても、過去の経験からその結果は同じ。いつもやがて剝がれてしまう。

そう考えると、ステッチャーで補強するのがVANSを丈夫で長持ちさせるベターな手段と信じて、ソールに針を入れます。

ゴムのソール+アッパー表面のスエード素材+アッパー裏のコットン素材と3層に針を通します。意外とスムーズに縫うことができ、まあまあの出来のロックステッチが完成しました。仕上がりはそれほど醜くはないので安心しました。しっかり縫われているし、いままでと同じように履いて歩いてもソールが剥がれる様子はまったくありません。

しばらくは様子を見て、スピーディ・ステッチャーによるソール補強が効果的か否かを検証しようと思います。

 

武相荘の朝顔の種から

田んぼ仲間のユメちゃんからいただいた種から育った朝顔.。もう終わりかなぁと思っていたら、しぶとく10月に入っても花を咲かせてくれて、わが家の狭いベランダの朝は陽気な雰囲気です。

この淡いブルーの朝顔の種は、旧白洲邸・武相荘がルーツです。
武相荘に住んでいた白洲雅子と親交が深かった鶴川の農家の方がユメちゃんの知り合いで、それが縁で自家採種の朝顔の種のお裾分けが広がり、その何十粒かがわが家に辿り着きました。それから3世代、今年も無事に花を咲かせてくれたので安心しています。今年も種とりができます。

武相荘から育った朝顔の種を育てたいという友人知人にはこの種をお裾分けします。

北海道の実家の義母のガーデンでも今年はたくさんの花が咲いたと、とても喜んでいました。

ユメちゃんからもらった白洲雅子の朝顔が、ささやかな幸せを運んでいますね。

 

 

鉄棒

通勤のない生活をしている自分は、世間のいわゆる通勤時間帯をサイクリングにあてていることが多い。

ここ1カ月はサイクリングのかわりにワラーチを履き、団地の公園にある高鉄棒にぶら下がって、カラダの調子を整える生活になった。

かといって自転車が嫌になったわけではない。自転車で走るいつものルートで工事が始まり、通行止めや回り道が増えて、以前のように気持ち良くサイクリングを楽しめなくなってしまったからである。整備という名の工事でまた、土と砂利と雑草の小道のトレイルがコンクリートで覆われてしまうかと思うと、なんとも残念である。

何年か前、鉄棒に久しぶりにぶら下がってみて、いざ懸垂をしようと試みたものの、一度も上げることができずに撃沈。あのときのみじめさを決して忘れることがせきないのは、自分でも珍しくよほど悔しかったのだと思う。

そんなリベンジもあって、団地の公園にある鉄棒で「ぶら下がり」と「懸垂」を(あまり一生懸命にはならず)気軽な気分で日課にしている。

フィジカル的な成果といえば、懸垂がゼロから1回に、1回から2回にとほんとうに少しずつ回数が増えて、その成長をささやかな楽しみにしていることだろうか。

肩回り、肩甲骨まわり、背骨の具合がすっきりして、血行も良くなり、上体が軽くなって気持ちの良さを感じるのも鉄棒を続けている効用かもしれない。

なんとなく、握力と腕まわりが筋肉がついてきたようで、上半身の自転車コントロールが楽になったように感じる。

どこの公園にも鉄棒が備わっていると思ったら大きな間違いである。2mオーバーの高鉄棒となれば、意外と少ないのだ。

懸垂を日課にしてから、高鉄棒の場所をチェックするようになった。見つけると必ずグーグルマップにチェックを入れることにしている。

先日、「懸垂のできる公園リスト」をみつけた。早速近所を探してみたら、何か所かあった。これはありがたい。

いまのところ、両手の手のひらにマメができたことをのぞいて、カラダの調子はとても良い。近くの公園で高鉄棒の懸垂を、ほんの5分、10分。自分のライフスタイルの一部になった鉄棒の懸垂は、とりあえず楽しみながら続いている。

 

 

下北の映画館に友だちに会いに行く【ひみつきちのつくりかた】

友が出演の映画

わが家でいま一番話題になっている映画といえば「ひみつきちのつくりかた」。

映画のテーマと人気はさておき、自転車仲間で俳優さんのKZさんが出演しているのでスクリーンに会いに行こうと思いました。

上映はいまのところ都内で1か所のみ。下北沢「シモキタ-エキマエ-シネマ K2」です。今週末で上映が終わってしまうと聞いて、急いで今日、時間をつくり行きました。

下北沢駅前シネマ

下北沢までは電車で10分。映画館は駅の改札から1分。わが家から行くには便利でラッキーでした。スムーズに映画館に到着したまでは順調でしたが、チケットを購入する手続きのところで大苦戦しました。タブレットに条件、座席を選択し決済方法の画面にたどりつくと、「現金」は使えない、「ペイペイ」も使えない、「クレジットカード」は持ってきてない、「SUICA」は持ってるが残金が少ない。戸惑いとやり直しの繰り返し。結局、映画館を出て駅でSUICAにお金をチェージ。再び映画館に戻り、決済をすませましたという笑っちゃう話です。

コロナ禍以降、初めて行くロードショーとはいえ、変わりゆく下北沢を全身で浴び、キャッシュレス決済のみの映画館の洗礼を受け、現実を実感するのでした。

さて秘密基地の作り方とは? 昭和のオジサンたちの物語

映画はタイトルからうすうす想像できるように、昭和のオジサンたちの心をくすぐります。年を重ねても変わらない幼馴染との友情と人間関係、大人になってからのそれぞれの人生がストーリーに描かれています。

同級生が他界して、葬式で集まった久しぶりの幼馴染が昔を懐かしんでまた連絡をとり合う。自分のまわでもよくある話しで、自分の人生や人間関係を振り返ってこれからを考えるきっかけになるかもしれません。

ロックな映画音楽とオジサンたちの哀愁漂う姿のミスマッチがこの映画をちょっとカッコ良く、印象的な雰囲気でした。気に入りました。

さて、この映画で秘密基地はどんな風に作られたのでしょうか?
ここでは秘密ですので、個人的に詳しい設計のことは関わったKZさんに聞いてみようと思います。

そして懸念材料がひとつ。もし、この映画を、同じ年代のオバサンたちが見たとしたら、はたしてどう思うだろうかと。きっと鼻で笑われてしまうのかもしれませんね。

ともかく、自転車仲間のKZさんがスクリーンに出ている姿を今回初めて観て、感動しています。自分の知り合いで俳優はKZさんだけですから。

 

*映画「ひみつきちのつくりかた」は上映期間が延長されました
~2025年8月28日

 

 

「ヒロシマ1945」が語りかけるもの:被爆80年企画展を訪れて

戦争について考える8月

毎年8月になると、戦争について考えずにはいられません。8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、そして8月15日の終戦の日。この時期は特に、本棚から埃をかぶった第二次世界大戦の写真集を取り出してページをめくり、あの戦争の悲劇から私たちは何を学んだのかを自問するのです。

被爆80年企画展ヒロシマ1945

今年は、広島と長崎に原爆が投下されてから80年という節目の年です。僕は東京写真美術館で開催されている「被爆80年企画展ヒロシマ1945」を訪れました。

会場には初めて見る写真も多く、丁寧な解説が添えられていて、多くの学びがある濃密な展示でした。午前10時の開館と同時に入場したのですが、振り返るとすでに長蛇の列ができており、この企画展への関心の高さがうかがえました。欧米からの観光客の姿も多く見かけました。

広島原爆の記録写真

1945年8月6日に原爆が投下されたその日に撮影された写真5枚には、悲惨な街の様子が記録されていました。それまで見たことのない写真でした。撮影者、撮影日、撮影場所、そして状況を伝えるパネルを読むと、被爆直後の人々と街の様子がさらに詳しくわかり、原子力爆弾投下の理不尽さに怒りを覚えます。

写真の中には、写っている人物の身元が判明し、その後の人生が解説パネルに記されているものもありました。たった1枚の写真から、原爆の悲惨な現実だけでなく、撮影者の想いや被爆して生き残った人の人生を知ることができたのです。

写真が語りかけるメッセージ

焼け野原と化した広島のパノラマ写真は、いつ見ても衝撃的で、この世の光景とは思えない恐ろしさを感じます。また、やけどでただれた皮膚の手当てを受ける被爆者の、魂が抜けたような表情にも、原爆投下の過ちの大きさを痛感しました。

道端に横たわった遺体の写真や、原爆の熱線でできた建物の壁に残る黒い影の写真もありました。この影から爆心地が特定されたそうです。

解説には、悲惨な被爆者を前に、戦争の過ちを後世に伝えなければならないという使命感と、目の前のいたたまれない状況との間で葛藤するカメラマンの苦悩が綴られていました。彼らの使命感がなければ、私たちは事実を知り、過去の反省から未来を学ぶことができません。そのことに心から感謝の気持ちを伝えたいです。

人間の力強さ

絶望的な状況の中にも、人間の力強さを感じる写真がありました。有志たちによって、がれきの街を路面電車が走り始めた写真。そして3か月後、倒壊を免れた家屋に「ビール立飲み所」や「灸院」といった看板がかかっている写真。どんなに思いもよらない災難に遭っても、人間は前を向いて生きていかなければならない、そう強く感じました。

この企画展の最後に、意外な事実を知りました。広島原爆を記録した写真のほとんどは、当時、日本軍が機密文書と一緒に証拠隠滅のために燃やされ、残ったものはアメリカ軍に引き渡されたそうです。今回私たちが目にしている写真は、撮影者自身の判断と責任で守り抜かれ、今日まで保管されてきたものなのです。

燃やされる運命を逃れた貴重な写真が語る戦争のメッセージは重く、深く心に突き刺さります。

私たちにできること

被爆80年企画展ヒロシマ1945」は、残念ながらあと二日で終了します。これほど充実した内容の企画展ですから、期間限定ではなく、日本の過去の歴史としていつでも訪れることができる常設の場所があればいいのに、と思いました。

ヒロシマナガサキを二度と繰り返してはなりません。

さて、私たちは何ができるのでしょうか。