ポケモンSVのプレイ感想:DLC後編・藍の円盤
はい。
はじめに
本記事はタイトルの通り、「ポケットモンスター スカーレット/バイオレット」のDLC『ゼロの秘宝』の後編、「藍の円盤」の感想文になります。
感想の中にはネタバレが多々含まれますので、これからプレイする方や未プレイの方はご注意ください。
あと相変わらずめちゃくちゃ長いです。
そして注意点がもう一つ。
大したほどでもありませんが、本感想文にはシナリオについて一部ネガティブな言説が出てまいります。
八割がたべた褒めなうえ、そこまで批判色強めな内容でもないのですが、念の為ご注意いただければと思います。
そういうアレは求めてない方はお手数ですが薄目で読み飛ばしていただく方向で……
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これまでのポケモンSV感想文↓
3monopera.hatenablog.com
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新たな舞台と回帰する舞台
数々の冒険を経た主人公が今回降り立つのは、キタカミ姉弟の所属校でありアカデミーの姉妹校でもあるブルーベリー学園。
交換留学生としてテラリウムドーム散策中だった主人公はゼイユとの再会に喜ぶも束の間、キタカミでの決別後から自他を追い込んでバトルに打ち込むようになったスグリの姿を目撃する。
主人公は豹変したスグリとの因縁やカキツバタの勧誘により、部員からの賛否ありつつも学園のリーグ部・通称ブルベリーグの四天王とチャンピオン・スグリの打倒を目指すこととなるのだった。
そしてブルベリーグチャンピオン戦の決着がついて間もなく、ブライア先生の念願である<パルデアの大穴探索の同行を任される主人公とゼイユ・スグリ姉弟。
最深部に眠るとされるゼロの秘宝を巡りそれぞれの思惑が交錯しながら、冒険の舞台はイッシュ地方のブルーベリー学園からパルデアのエリアゼロの更にその下へと向かう……
というわけで、後編は冒険の舞台が2つに跨っている。
最新設備を備えた新しい学園から文字通り歴史の深いエリアゼロ最深部という場面転換は、まさしく「過去と未来」をテーマとするポケモンSVらしい空間移動になっていた。
そして場所とは逆に学園ではキタカミでの過去の軋轢に囚われた主人公とスグリがエリアゼロを経て未来を見据えるというベクトルに動く、その場所と感情のグラデーションが印象的だった。
また、物語が学園内では完結せずに外へ向けて進んでいくところに「冒険譚」としてのポケモンの矜持があるのかなぁ、などと感ずるのだった。
まあメタ的に考えると単に新規マップ追加とスカーレット/バイオレットブックの布石回収を両取りする為の構成なのだろうなとも思う。
以下、ブルーベリー学園での出来事とエリアゼロ最深部での秘宝探索とに分けて感想を書いていきます。
ブルーベリー学園編
ストーリー外縁部
ブルーベリー学園編は新たな冒険の舞台が「テラリウムドーム」という学園の屋内に収まっており *1、ストーリー的にも本編から更に人間関係にウェイトを置いた、従来のポケモンらしからぬ「学園モノ」テイストになっていた。
筆者がそう受け取った理由の最たるものはテラリウムドームという場所にあった。
ここには過去作や本作の様々なマップにあった「土地に根付くポケモンの物語」が存在しないのだ。
何故なら、元来物語とは土地の歴史とセットであり、今回のような最新設備ではその物語が生まれようもないのだから。
この側面はDLC本編だけでなく、DLCクリア後解放コンテンツの各種伝説ポケモンの獲得フラグからも見ることが出来る。
この各所伝説ポケモンの獲得手順というのが地味に面倒で、学園でフラグを開放→ゲットのためにパルデアの各所に移動、というワンクッションがある。
利便性を考えたらそのフィールド内でゲットでも良くない!?と思ってしまうけれど、伝説ポケモンは言わばポケモンの中の「物語」を象徴する存在である。
「物語」のない、そして海中ドーム故に侵入経路もないテラリウムドームには存在しないだろうという話の整合性を優先しているわけなのだ。
正直ユーザーフレンドリーではない仕様だけれど、この徹底ぶりに作品のこだわりや矜持が見えてくるような気がして個人的には結構好き。
閑話休題。
とにかく、学園は徹底して歴史や伝説から遠ざけられた「その場にいる人間たちの場所」として存在していた。
ポケモンとの出会いと土地を巡る冒険が物語の主軸にあったポケモンシリーズにおいて、今回のように主人公が1つの場に留まって1人の人間との因縁を主軸に奔走する姿を描くのはDLCならではかつ、土地や歴史にまつわる冒険を既に済ませた時系列の主人公だからこそ出来た取り組みだったと思う。
新しい取り組みの多い本作の中でも特に異色の内容だった。
フィクションのシビアさルーズさ
「バトル専攻」というまさにポケモン的な学び舎のブルーベリー学園であるが、バトルに関わる将来を掴み取れるのはほんの一握りだけだという妙にシビアな現実感がとあるテキスト内で提示されていた。
これまでのポケモン世界はこのような現実的な部分をゲーム内では曖昧にぼかしがちだったので非常に驚いたものの、これは子ども向けの作品で「学校」をテーマに描く以上、避けてはいけない問題だったのかもしれない。
そして、この狭き門について言及したアカデミーの講師・タイム先生は講義を通して夢破れた先にも別の可能性が開けていることを伝えたいと語っていた。
このリアリティを露悪的なだけの表現では終らせず「進む道は一つではない」という前向きなメッセージとセットで扱うのは、SVという作品全体で一貫していて非常に好ましくと思うのだった。
一方、フィクションらしいルーズさを感じたのはテラリウムドーム・ポーラエリアの休憩所にて。
至近距離からブーバーンで暖をとる生徒2人が「1200度〜」「たすかり」と話している光景がかなり印象的だった。
というか字面のインパクトだけで筆者は「ガハハ!」と山賊のように笑ってしまった。
この世界のこどもは数kgあるポケモンを片腕で持ち上げられるし、標高何百メートルから下に着地する衝撃と気圧差に耐えられるし、寒い場所にて1200度の熱はたすかる程度の暖。
フィクション世界において変に現実的な物理法則を出されるよりも超常的なことを当然のように示される方が面白いし、こっちも気が楽だなと思ったのだった。
こんな感じで学園編はシビアさとルーズさのどちらも内包していて、その落差がまさしくフィクション的な愉快さで楽しかった。
学園と部活とバトルと人間関係と
そして学園編のリアリティの最たる部分はリーグ部の人間関係にあるように思う。
主人公はストーリーの中で学園内の部活動「リーグ部」に深く関わるわけであるが、部内四天王やゼイユスグリ姉弟たちの関係が本当〜〜〜に絶妙な距離感で構築されていた。
彼らの間には連帯感こそあれど全員が意を同じくする友人!と言えるほどの仲ではなく、かと言ってエリアゼロ投下直後のネモペパーボタンのようなよそよそしさでもなく……
部活内で競い合うチームメイト間にある意識の温度差と共同体的仲間意識、そしてティーン特有のそこはかとないラブの波動が妙な実在感を醸していた。
ただ、この実在感についてはむしろ「学校」「部活」という現実的かつ身近な存在によって、プレイヤーこと筆者が勝手に受信しただけのような気もする。
リーグ部のゴタゴタを追っていたらどこからともなく聞こえてきたのだ。
遠い学生時代、いつもは気のおけないチームメイトたちが大会前にやる気や実力の違いによって生みだしはじめるあの体育館の軋んで轢いてな不協和音が……
筆者にはポケモン世界の人々がバトルに向ける熱量がわからない一方、部活動における機能不全を起こしかねない危うい実力社会と共同体意識、そして勝ち負けの悲喜交交であれば覚えがあった。
だからこそ学園編のリーグ部に渦巻くそんなギスギス感にやたらシンパシーを抱いたわけである。
そしてこのシンパシーは後編に限らずポケモンSV全体に当てはまることでもある。
本編の各個人が抱える心情や人間関係の問題に向き合うストーリーや、DLC前編の誤解や劣等感による友情の決裂の、真に迫った描かれ方には何度も胸を打たれた。
本作のストーリーが良く出来ていたのは、正しくこういった誰もがどこかで感じたことがある身近な不協和音を丁寧に掘り下げる取り組みによるものだったのだと思う。
これをポケモンという独自の要素と両立して行っていた所こそ、筆者が本作を非常に好ましく思うに至った一因だったのだ。
身近で些細で胸につかえたまま片隅に残るような内情を、人もポケモンもちゃんと主体的かつ前向きに昇華してくれるのがいいよね。こっちまで清々しい気持ちになれる。
そういった満足感で言うと、後編は物語における「ポケモン」の存在感が少し物足りなかったわけだけれど、上述の通り意図的に場から特別なポケモンを排除している以上、これは制作側の狙い通りなのだろう。
ポケモンとのドラマチックな物語ではなく、人間とポケモンの日常的な生活の中にある物語こそが、このブルーベリー学園編だったと筆者は捉えた。
エリアゼロ最深部・秘宝探索編
ストーリー外縁部
前後編を通して描かれたDLC・ゼロの秘宝を締めくくる場所は勿論エリアゼロ。
全ての道はパルデアの大穴に通ずる。
いままで観念的な宝探しを行ってきた主人公がここにきて本当の意味での「宝探し」に出るというのもオツで良い。
ただ、第2回チキチキ・エリアゼロ探索はホームウェイの時のようなシームレスに会話が発生したりといった仕様が一切なく、ソロのお使いが大半だったのがちょっとゲーム体験として惜しいな〜と感じた。
とはいえ
・ライドンのいる主人公だけフットワークが特別軽いというシステム的な理由
・クライマックスの展開を最深部に持っていくために道中の掘り下げを最小限にしたいという物語的理由
といった事情もわかるのでやむなし。
スグリと主人公とゼロの秘宝
主人公とスグリの友情と決裂、そして和解というメインテーマはシンプル故に納得のいく解決が難しそうだな〜と少しの不安があったが、終わってみると全くもって要らん心配だった。
個人的には百点満点の決着を見ることができたと思っている。
まず、彼の迷走と暴走の結末を「学園のバトルで負けて目が覚めた!説得されて改心した!」で終わらせない丁寧な、一歩間違えば冗長になってしまいかねない構成にした後編シナリオの度胸に感心した。
DLC前編感想文*2でも語った通り、バトルで決裂した関係を再度バトルで負かして修復できるものだろうか?という疑念があったからだ。
とはいえこのゲームの主軸がポケモンバトルにある以上、ストーリーの決着としてバトルは絶対に求められるわけで……
だからこそ、DLCのラストバトルを相手を打ち負かす形にするのではなく、「共闘」という力を合わせ苦難を乗り越える手段としたその鮮やかさに筆者は膝を打った。
その手があったか!!!!と。
憧れと劣等感を抱いていた主人公と肩を並べて共闘することでようやく吹っ切れる事ができた、というスグリの心の動きの納得感たるや。
そして全てが終わった後にスグリが発した「ようやく諦められる」という言葉も苦くて良い味。
色々な解釈の出来る言葉ではあると思うが、少なくとも過剰に後ろ向きな心境では無いと筆者は受け取っている。
全力で打ち込んで、それでも叶わないものを受け止めて諦めるのは青少年にとって勇気ある行動であり、精神的な通過儀礼だと思うのだ。
それにこういう大失敗って若いうちにやっといたほうが後々安心なのでこれからのスグリ少年の未来はきっと明るいぜ。
実際、その後の番外編にてスグリの人間的大成長が見られたので嬉しく思う。失敗と成長とその後をセットで扱ってくれるのは良いライター。
エンディングとダブルミーニング
そして何と言ってもラストのムービーがよかった。
とても。
ホームウェイにしてもゼロの秘宝にしてもタイトルのダブル(どころじゃない数の)ミーニングが上手い。
ゼロの秘宝とはテラパゴスであり、ブライア先生にとってはエリアゼロ最深部での経験であり、ゼイユスグリ主人公にとってはゼロからまたやり直せる互いの友情であり……
主人公とスグリの挫折と再起はベタだけど胸が熱くなったし、言葉足らずですれ違ってしまったこれまでを経たからこその、スグリが言葉にして謝罪してまた友達に……と望む過程がなんかすごく心にきた。
言わなきゃ伝わんねえは不変の真理。
エリアゼロでの冒険を乗り越えてスタート位置(ゼロ地点)に着いたスグリにはこれからいろんな展望のが待っているのだと思うと、エンディングムービーの夜明けは非常に象徴的だった。
タイトルの何重もの意味が見えてくる気持ちよさも相まって「良いもん見たな……」としみじみした。
相変わらず最高のエンディング曲と、最後にようやく見れた夏祭りの写真も味わい深い。
そしてエンディングロール後にブライア先生から与えられた著書『ゼロの秘宝』との別れがあんなに早く来るとはあの頃の筆者は思いもしなかった……
というわけで次項のイベントはエンドロール後の話なので厳密には別枠なのだけれど、話としては最深部探索と地続きなのでここに書きます。
てらす池イベント
過去の博士との邂逅にして、「ゼロの秘宝」と「スカーレット/バイオレットブック」のとりかえっこイベント。
本作の本編とDLCタイトルがそれぞれ本の名前で、かつ最後にクロスする流れがめちゃくちゃ奇麗で良いなと思った。お洒落。
このてらす池での博士との邂逅により、エリアゼロに残されたいくつかの謎の答えがぼんやり推測できるようになる、結構SVの根幹に関わるイベントである。
いくら池の立看板や地下の博士の日記でそれっぽい示唆があったとはいえ、そんな重要そうなイベントがひっそりシームレスに発生するとは思わなくて筆者は結構びっくりした。
でもエリアゼロの謎ってよくよく考えると解明されてもされなくても主人公たちの物語に影響しないものでもある。
そういう意味で制作側からしたらちょっとした裏設定公開!的なオマケでしかなかったのかもしれない。
閑話休題。
とはいえ1プレイヤーとしてはエリアゼロの謎を楽しみにしていたし、せっかくなので以下に判明したことを記載してみようと思う。
しかしこれは公式に明示されたわけではなく、考察というほどしっかりした考えもない、事象による憶測になります。
以下は筆者のぼんやりした妄言とご理解ください。
- ブックに書かれた円盤の正体はテラスタル化?したテラパゴス
- テラパゴスがエリアゼロを覆うテラスタルの結晶の大元である
→これはイベントからの憶測ではなく話の前提条件。
潜るほど結晶の濃度が濃くなるエリアゼロの最深部にテラパゴスが眠っていたことから見て、彼こそが結晶の発生源だと推察できる。
- テラパゴスはテラスタルの結晶が満ちた場所同士であれば時空も座標も異なる場の生き物を引き寄せる力がある
→博士の作ったタイムマシンがエリアゼロでしか作動しないことや、エリアゼロにいた過去の博士がてらす池に現れたことから発生条件が予測できる。
そしてテラパゴスはタイムマシンのような片道切符ではなくちゃんと元の世界への送還能力もある。流石本体。
- 過去/未来は一元的なものではなく、多元的に分岐している。
→今回のような過去/未来の干渉が可能な凡例が出てきた以上、そういったパラドクスで分岐した世界が多くあると見ていいはず。
エリアゼロに存在する過去/未来のポケモンが異様な姿をしているのも、主人公の存在する現在と直線的に繋がった時空の存在ではない「パラドクス」ポケモンだからなのかもしれない。
- 博士によるタイムマシン開発前からエリアゼロで過去/未来のポケモンが確認された原因
→おそらくテラパゴス個人の能力による偶発的事故?だと思われる。
といった具合に、本編で残された謎はふんわりひっそりと解決したのだった。
最深部のやたら意味深な木の結晶やエリアゼロ上部の謎サークルのぶん投げ?
過去作やってたら諦めつく範囲だね!ウン……
話は変わるが、このイベントにて博士が申し訳程度にペパーのことを慮ったりしてたけどそれでも別に行いを顧みる気はあんまりなさそうな描写にちょっと感心した。
個人的には後になって「あの人にも事情はあったんよ……」されるタイプの話はあまり好きではないので、ネグレクトの事実を変に美化したりせずプレイヤーに突きつけてくれてかえってよかったように思う。
ペパーはマジで浮かばれないけれども。
ちなみにその後ペパーに持ってるブックを見せたら主人公との思い出だ!と言われたので彼はマジで博士のことを割り切ってた。タフガイ。
それはそれとして、ゲーム起動画面の何もなくなった机にブックが戻ってきた演出に「とうとう終わったんだな……」と実感が湧いて胸が熱くなった。
良い演出に乾杯。
消化不良感とその要因
この節は後編に対する批判的言説が多くなっております。ご注意されたし。
消化不良については兎にも角にも、テラパゴスについての掘り下げが一切なくただの舞台装置でしかなかった悲しみが強い。
主観的意見だが、本編や前編(+この後に追加された番外編)がめちゃくちゃに面白かったのは登場人物たちの物語を丁寧に描いた事に加え、ライドンやオーガポンというポケモンも主要キャラとしてドラマチックに物語に組み込んだ点が大きかったと思っている。
それこそポケモンの物語はポケモンでしか出来ないのだから。
主人公との偶然の出会いから思い出を重ね、仲間たちを守るためにトラウマに立ち向かって戦うことを決めたライドンや、過去を大切に抱きつつも主人公と共に未来を歩む為に力比べを求めたオーガポン。
本編とDLC前編にはラストバトルに至るまでやラストバトルそのものにそれぞれの物語があった。
一方でテラパゴスはただエリアゼロに眠る謎というアイコンのまま、彼自身の物語もなく「主人公とスグリの物語」の踏み台となって終わってしまった。
主人公の前に立ち塞がる強大な未知のポケモンという意味では過去のポケモンシリーズにおける伝説に近い扱いではあるのだが、こと今回に限っては本編とDLC前編という前例による信頼と期待値があったため、テラパゴスの描写不足への残念さはどうしても拭えない。
言ってしまえば、後編に対する最大の失望はこの点にある。
直前まで出来てたことじゃん!!!!と……
ブルベリ学園編は土着の物語を排除して日常にフォーカスした物語だったと解釈したのでポケモンの存在が薄くなるのはやむなしと納得したが、大空洞探索編はそうじゃないじゃん……めちゃくちゃ土着の伝説(テラパゴス)が残る場所じゃん……
もうちょっとテラパゴスを話に絡めるやりようはあったんじゃないかな、と思わずにはいられない。
ただ、文句は言ったもののどうしてこうなったのかはちょっとわかる気もする。
テラパゴスは現在進行中のアニメポケットモンスターにてシナリオに関わる存在のようなのだ。
彼の掘り下げは多分そちらで行われる事になっていた為に、ゲーム内で先に種明かしをするわけにもいかず、ただのいつものポケモンシリーズ恒例な自我の見えないラスボス伝説ポケモンになっちゃったんだろうな、ということ。
つまるところメディアミックスの弊害なのだろう。
うーん悲しみの雨。
でもアニメとゲームでは明らかに違う世界なので相互補完は程々に、ちゃんと切り離して話を展開させて欲しかったなと……思いました……
以上!愚痴っぽいのは終わりです!!
キャラ所感
いつもの。
- テラパゴス
太古のパルデアにいっぱいいた中の生き残りらしいが、果たしてその結晶化謎パワーは生き残った事で得たのか種族特有なのか。
まだまだ謎の多い彼の秘密はおそらくアニメにて語られるの……だろう……
- 主人公
今回のブルベリ四天王バトルやスグリとのバトルは席の奪い合い的な意味が発生していて、過去作のバトルのような少し切迫した緊張感があったように思う。
そんな中でも主人公が揺らがず真剣に楽しくバトルし続けられるのは、1番最初に戦った相手が「バトルは楽しいもの」と解釈しているネモだったからこそなのかなあと思うのだった。
話は変わるが、テラパゴスが目覚めたムービーで彼のぼやけた視界のピントが主人公に合った瞬間、絶望感というか虚脱感というか、なんかそういう色々が筆者の中に押し寄せて来た。
望むと望まざるとにかかわらず運命は主人公と共にあるのだということを改めてスグリに突きつけた残酷さもそうだが、この主人公はこれからも平穏とは無縁な生き方をする宿命なんだな……というある種の絶望感を覚えてしまったのだった。
当人は一切気にしてないしライドンはじめ心強い仲間がいるから大丈夫だろうけども、小市民プレイヤーとしては好きなキャラクターには平穏な余生(?)を送って欲しくてヨォ……
ブルベリーグチャンピオン戦でオーガポンちゃんを出したら「よくもここで鬼さま出せたな!?(意訳)」と激昂されたけど大切にするって約束した以上は出さねえ方が気い悪くない!?と思いました。見解の相違ですわね!!!!!
前編感想文にて彼のことをDLCならではのライバルだと書いたけれど、今回の後編を経て彼はライバルではなくDLCならではの主人公だったのだと感じた。
常勝の運命を歩むポケモン本編の主人公ではできないしありえない、挫折を繰り返して大きくなる主人公。
余裕なく暴走してしまったのは過ちではあるけれど、己の内の負の感情を自己実現の方向に昇華して努力できるのは本当に立派だと思う。なまじ才能があっただけに周りを巻き込んで色々豪快にやらかせてしまったのが彼の禍福。
迷走もしたけど自分なりの答えを出せて本当に良かったね。
- ゼイユ
前編から変わらずのゼイユ節を放ちつつ主人公にめちゃくちゃ友好的で可愛かった。
そして弟が心配だけどどうすることも出来ず、ちょっと怖くて避けがちになってるあたりが血縁関係の解像度が高いなあと思う。
いくら強引で強気な彼女であっても、スグリがああなった一因が自分にある自覚もあるぶん罪悪感であまり強く出れなかったんだろうな……ヒロインだな……
終始本当に弟が大切で心配で……というのが伝わってきていたので最後に姉弟揃って大泣きするところで良かったねえと筆者も泣いた(オタク特有の誇張表現)。
- ブライア先生
何かしらの思惑を持った黒幕かと思いきや、ただちょっと黒目の瞳孔が縦長で赤くてキービジュアルでヤバ気な表情をしている、デリカシーとブレーキがないだけの人だった。
探究心が溢れまくりつつギリギリ一線は超えていないレホール先生タイプ*3だが、悪意が皆無なぶんブライア先生のほうがヤバ度は上かもしれない。そんなことはないかもしれない。いずれにせよどんぐりの背くらべです。
全部終わったのち、泣いてるゼイユたちを気遣わしげな顔で見ながら「さぞや怖かったろうに……」と語りかけからの「それでも皆……かがやいていたね(両目かっぴらきスマイル)」が面白すぎてひとしきり笑わせていただいた。
このひと前編から一貫して子どもたちに好意的だけど心情を慮るつもりもメンタルケアする気も一切ない!保護者の自覚がまるでない!!
正直ここまで振り切れてマッドな人は嫌いじゃないが、互いのためにも教職に向いてないことだけは自覚して欲しい。
マジもんのいい奴。
部の緩衝材として無くてはならない存在だと思います。お前がナンバーワンだ。
不器用ながらも思いをちゃんと表現できる素直さやライドンちゃんのことをアギャッスさんと呼ぶキュートさに射抜かれた。
スグリに対する淡い恋心(?)も含めて作中で最も乙女だった。ギャップ最高。
- タロ
ノーと言える優等生で面倒見が良く公正で気配りもできるハイパー美少女。身内のゴタゴタに他所の子を巻き込みたくないという価値観の真っ当さよ。
筆者は終始彼女にメロメロすぎてバトル後の選択肢で「タロもかわいいよ!!!!(意訳)」を選び「ブッブーです!!!」と全力バッテンされた。かっけえ主人公の中から美少女にデレデレするキモいオタクが出てきてごめんな……
悪いやつではないはず。
周りの人たちにコイツには気をつけろと釘を差されまくるし負けたスグリへのデリカシーのない言動があったしで警戒してたのだが、本人も「柄にもなくマジになってた」と反省してたのでスグリの暴走やリーグ部のゴタついた現状についてよっぽど腹に据えかねてただけっぽい。
昼行灯風を吹かせた年長者キャラとはいえまだ学生だし余裕がない時もあるだろう。
与太話になるが、四天王の中でもとりわけキャラの濃い3留カキツバタを見ていると、主人公と出会わなかったネモペパーボタンのifを見ているような感覚に陥った。
釦をかけ違えても彼らは彼らなりにどこかで折り合いをつけてどうにかやっていけたのかもしれないな……という変な安堵感と寂寥感を覚えたが、べつにこれはカキツバタの項目で書くことじゃなかったな。申し訳ねえ。
あとがき
後編プレイから感想文投稿まであまりにも感覚が空きすぎました。猛省。
でも不思議と当時思ったことを忘れたりはしていなかったので感想文は己の覚え書きとして非常に優秀。
番外編感想文につづく。
待て、次回!
*1:ただしフィールドの物理的広さはキタカミと同じくらいだと思われる。普通に広いよ!!
*2:スグリの心境についての掘り下げは前編感想文にて詳しく書いているのでよければ↓ 3monopera.hatenablog.com
*3:レホール先生は普通に盗掘してるので一線超えてました。同僚を生贄にしようともしてました。駄目だあのひと。
ポケモンSVのプレイ感想:DLC前編・碧の仮面
はい。
「碧の仮面」最高でした。
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はじめに
本記事はタイトルの通り、「ポケットモンスター スカーレット/バイオレット」のDLC『ゼロの秘宝』の前編、「碧の仮面」の感想文になります。
続き物となっているDLCのため、本当は後編も出てからまとめて感想文を書こうと思っていたのだけれど、前編は前編として非常に楽しくて充実していたため、この続きが待ちきれない衝動が新鮮な内に書けるだけ書いてしまうことにしたのが本記事です。
例の如く長文の感想になります。
お暇な時にお付き合いいただけれは幸いです。
以前に書いたSV本編の感想文はこっち
3monopera.hatenablog.com
3monopera.hatenablog.com
また、以下の感想文は未プレイの方のプレイ体験を損なうレベルのネタバレが含まれます。
プレイ中の方やプレイを迷っている方はご注意ください。
「碧の仮面」の外まわり
新たな舞台
ある日主人公はアカデミーの姉妹校・ブルーベリー学園と合同の林間学校で、遠い東方の「キタカミの里」へと赴くことになる。
ブルーベリー学園の生徒にしてキタカミの里出身のゼイユ・スグリの姉弟たちと交流を深めながら、その地に伝わる伝承を学ぶフィールドワークが始まる。
そんなDLC前編「碧の仮面」。
本編とは異なる舞台、異なる中心人物や新たなポケモンによって話が進むこともあり、劇場版!って感じでとても良かった。
何より林間学校って設定がイイ。
常とは離れた場所で行われる特別授業とはつまり、明確な終わりが決まっているということ。新たな出会いは別れと同義なひと夏*1の青春。
ブライア先生も言ってたけど大人には少しまぶしすぎるぜ……
キタカミの里
キタカミの里の日本のど田舎風なフィールドにとにかく感動した。
いきなり自分語りをぶっ込んで恐縮なのだが、筆者が東北にある人口300人未満の山奥の農村出身であるため、自然に囲まれた(自然に飲み込まれそうな)田舎というものに馴染みが深く、キタカミの田舎町の解像度と再現度に死ぬほど感激したのだった。
山間から繋がる道路の形、田畑に放置されたポリタンクや農具や木材、落ちたりんごが無造作に積まれた青いプラのバスケット、家横にあるトタン小屋の錆び方、玄関の鎖樋、家の立ち並び方、無秩序に色々なものが売られた小さい個人商店などなど、幼少に育った村の原風景がそこに再現されていてちょっと泣いた。
田舎町出身の人々は「うちの村がモデルじゃん!?」と驕ったことだろう。私は驕った*2。
そんな超個人的思い入れもあり、愛するミライドンちゃん(以下、バージョンによって異なるポケモンのため便宜上「ライドン」と呼称する)と共に地元を散策するような気分になれてテンションがブチアガったのだった。
前編としての役割
配信される前まで、前編「碧の仮面」は後編「藍の円盤」がくるまでの繋ぎの話なのだろうな、程度に思っていた。
物語の舞台が本編で大きな謎が残されたエリアゼロから遠く離れていたこともあり、有り体に言ってしまえばフィールド探検は楽しみにしつつもストーリーにそこまで期待をしていなかった。懺悔します。
が、実際にプレイを終えた今言えるのは「碧の仮面」が非常に魅力的な物語だったということ。
そして物語的な面白さを作りつつ、前編としての役割もちゃんと果たしていたこと。
キタカミの里でも起こるテラスタル化現象やテラスタルの結晶を持っていた異国から来た男など、後編に繋がりそうな布石もしっかり打ち、そのうえで独立して見ても魅力ある物語にし、綺麗に話を閉じつつ最後の最後に後編へ繋がる爆弾をぶっこみ……と、前編に求められるものを完璧に備えていたのだ。すごい。
いや〜しかし、スグリ少年との仲違いがまさかここまで深刻になって後編まで引っ張られるとは思いもしなかった。これは勿論良い意味で。
だってポケモンのライバルポジションがあんなに綺麗にダークサイド化(?)するとは思わないじゃないですか。
ゼイユとの爽やか切ない別れの一幕でたまらない気持ちになっていたらいきなりシーン転換、1人部屋に佇むスグリの狂気的な感情の発露を見せつけられて暗転からの「後編へ続く」の文字が出た瞬間、「や、やりやがった……!」と何に向けたものかもわからない呟きが漏れた。
劇場版・少年少女とポケモンのひと夏の大冒険を見守っていたら準主役ポジションの闇堕ちオリジンだったというオチ。
洋画の引きじゃん。ダース・ベイダー誕生じゃん。いや新三部作のアナキンは準主役どころか主人公だけれども。
ちょっと話は脇道にそれたが「碧の仮面」、とても面白い前編でしたということで。
次節ではもう少し物語について掘り下げていく。
ポケモンとバトルと人間関係と
ゼイユ・スグリ姉弟との交流
クララやセイボリー*3くらいの立ち位置だと思ってたらめちゃくちゃ話の中心になっていて嬉しい予想外だった。
正反対なようで似ていて、似ているようで正反対なこの姉弟。
ビジュアルや性格だけでなく、初対面で敵対的だったゼイユと友好的だったスグリが夏祭りを転機に友好的と敵対的にスイッチしたり、別れ際の明暗も含めた全てが鏡のように対照的に描かれていた。
それによってどちらのキャラも魅力が際立っていたのが表現としてスマートで良かった。 とても。
それと、主人公の同行者ポジションが2人いるおかげで片方と別行動になってももう片方が主人公側の狂言回しを担ってくれるため、物語を大きく動かしやすい上に人間関係の衝突もしっかりと描けていたように思う。
これまでのポケモンでライバルの挫折と再起が描かれつつも主人公との深刻な衝突がほぼなかったのは、主人公が選択肢以外で喋らない都合上、いくら衝突を描こうにも相手の独り相撲になってしまう点が大きかったんじゃないかなと思うのだ。
そんなわけで夏祭り前後で相棒ポジションを交代しながら姉弟と交流を深めたわけだが、山があっても谷があっても、林間学校の終わりには笑ってサヨナラ出来ると信じていたんだ……あの時の筆者は……
スグリ少年のあれやこれや
というわけで、スグリのダークサイド化するまでの心の機微について、後編の再会に向けて一旦ちゃんと整理しようと思う。
単純に自分の昔からのアイデンティティだったものがぽっと出の自分より強くてキラキラした存在に鮮やかに掻っ攫われていったらヤケにもなるよな!とも思うが、それはそれとして。
まず、最初の衝突であるスグリ除け者問題については話の中盤で両者の謝罪をもって解決している。
スグリ自身も「どうかしていた」と言っているように、この件に対するわだかまりは解けたと思っていいだろう。
そしてオーガポンのトレーナーになる権利をかけたバトルという2度目の衝突を経て、主人公とスグリは決別することになる。
ただ、スグリとの決別の決定打が「オーガポンが主人公のポケモンになったこと」にあるのは間違いないけれど、案外スグリの中にオーガポン関連の確執はもう無いのではないかと思っている。
勝てないと理解しつつバトルをして決着をつけ、主人公とオーガポンの力試しを見届け、目をそらしながらでもおめでとうと言った彼の言葉に嘘は無いんじゃなかろうか。
何故なら、最後に交わした言葉はオーガポンについてではなく「(主人公の名前)のようになりたかった」だったから。
色々な感情が絡み合いつつも、彼の中にあるわだかまりの根っこは主人公に力及ばないことなのだろう。
そもそもスグリの鬼という存在への想いも根底は「強さ」への憧れであるし、何と言っても姉のゼイユのお墨付きでプライドが高いのだ、スグリ少年は。
だからこそスグリが前編で行き着いた先は「強さ」への渇望だった。
そしてわだかまりはそれぞれ解消されているとはいえ、一度芽生えた負の感情ってそう綺麗に消えるもんでもなし。
友人や姉に対して芽生えてしまった不信感とオーガポンに選ばれなかった敗北感と主人公に一度も勝てない焦燥が「強くなりたい」スグリの根っこでないまぜになって、「強くならないと何も成せない・得られない」という結論に行き着いたのが前編終了時点のスグリなのかなあと思うのだった。
少し話は逸れるが、このスグリとの喧嘩別れ(?)の後にゼイユが発した、走り去った弟に向けた「ムカつく!」に良さが溢れていてすごく好き。
スグリの一方的な去り際に対するこのちょっと乱暴な悪態、弟は心配だし大事だけど間違った肩入れはしないゼイユの厳しさと公正さが垣間見えて良かった。スグリのことは気にしないで良いと主人公に伝えるフォローの細やかさも。
血縁だからこそ言えるその遠慮のなさが主人公にとっては救いだったんじゃないかなあ。
そして話は戻って。
ダークサイドだ何だと言ってはいたが、スグリに焦点をあてて前編の物語を振り返ってみると案外これが王道の成長譚の様相を呈していることに気づいた。
姉の陰に隠れて自分の世界に籠もっていた少年が外部から来た主人公に興味をひかれ、交流を深める中で姉の陰に隠れずに一人で頑張れるようになりたいという意識を芽生えさせた。
友人との衝突を経て仲直りしたり、人と話すのが苦手だった彼が村の人達にオーガポンの誤解を解こうと奔走したところにその成長は顕著だと思う。この行動自体は間違いではないものの、彼の望む結果(オーガポンの信頼獲得)に繋がらなかったのが「現実」って感じがする。泣けるぜ。
しかしだとするならば、既に成長も挫折も経たこの成長譚は最終的にどこへ着地するのだろう。そしてどこへ向かうのが良いのだろう……
強さを求めてはいたけれど、メタ的に見て主人公がスグリに負けるわけもなく、かと言って再度主人公に負かされて憑き物が落ちるのならそもそもこんなダークサイドに堕ちたりしないわけで。
シンプルなように見えて全く見通しがつかない彼の行く先がどう描かれるのか、後編に期待したい。
それと成長途中といえば、カジッチュの新たな進化系であるカミッチュが「しんかのきせき」の効果を受けられることがわかっている。
「しんかのきせき」は進化前ポケモンにのみ効果があるアイテムなので、つまりカミッチュは後編で更に進化する可能性が高いということ。
スグリの手持ちであるこのポケモン*4にそういうギミック(?)を用意しておく粋さに感心すると共に、こんな大事なこと後編まで知りとう無かった……と嘆く自分がいる。
筆者はミステリーでも考察を当てるよりストーリーを追いながらびっくりしたい派。
まあなんかうだうだと語ってみたが、スグリのキレ方が尋常じゃないみたいな話も出ているため、ともっこたちのどくのくさり的なやつに影響されて振り切れちゃった説も無くはなさそう。
筆者のここまでの妄言すべてが無に帰した時は笑ってやってください。できたら愛してください。
主人公の挫折
そして意図せずともスグリのダークサイド化に一役買ってしまった主人公について。
思い返すに、SV本編では勝つ≒蹴落とす、のような残酷だけどある意味正常な「勝負」が存在しなかったように思う。
本編の各ストーリーで幾度となく発生したバトルはそれぞれ、勝ちによって得られる結果が目的だった。
唯一「勝負」が生まれるはずのチャンピオンすら1人だけが得られる称号ではなく、ライバルのネモも冠ではなく全力を出せる相手を求めていた。
本作主人公はここに至るまで勝負の残酷な側面に触れる機会がなかったのだ。
キタカミの里に来て、ようやく主人公はバトルに勝てないことに本気で悔しがる友人をつきつけられた。
友人が憧れていたポケモンの所有者になった。
これまで宝探しの中で様々な存在に立ち向かい、勝つことでたくさんの宝物を得てきた主人公は、1人の友人と軋轢が生じたままの別れという結末を迎えた*5。
勝つことで失うものもあるのだと突きつけたスグリ少年は、ある意味SV主人公のはじめての挫折相手だったのかもしれない。
が、くどいようだがそうだとしても筆者は前編内でスグリと主人公がうまい感じに和解し、また会おうね!後編に続く!!になると思っていた。ラストシーン直前まで本気で。
だって過去作のライバルたちは主人公に負け続けても最終的にいい感じに収まってたから……と思った所で、筆者はゲーム内におけるバトル万能神話に慣らされまくっていた己に気付かされたのだった。
主人公に負け続けながらも自らの進む道を模索して良い方に成長していった過去作のライバルたちは、なんだかんだ前向きで立派なメンタルの持ち主だったのである。至極当然のことながら改めて実感させられた。
主人公とスグリの衝突は、こういうバトル万能神話に慣らされたプレイヤーに向けてのある種のアンチテーゼだったのかもしれない。
勝てば事態が好転することを当然だと脳死しちゃならんぞ、と。反省します。
そして負けを死ぬほど悔しがり、強くなるから首洗って待ってろ的なメンタリティに移行したスグリの超絶負けず嫌いもすごく良いなあと思う。狂気度やや高めだけど。
オーガポンと残された謎
そんな色んなゴタゴタはさておいて。
とにかくオーガポンのこれからに幸あれと言いたい。
というか幸せになろう。主人公とミライドンと友人たちで。
以前のSV感想文:本編にてライドンとの交流が完璧すぎて今後のハードルぶち上がってない?大丈夫?と勝手に心配していた筆者であったが、マジでただの杞憂だったな……とわからされた。
どんどん湧いてくるんだ愛着が。
出会いや交流する際に見えてくる仕草の可愛さや胸が詰まるバックストーリー、お面集めの写真、そしてラストバトル(力比べ)の演出など、こんなん見せられたらオーガポンを愛さないわけがねえよ……と膝から崩れ落ちた。
寂しがりな女の子が長いあいだずっと一人で、共にいた男の形見のお面をよすがに生きてきたのかと思うとめちゃくちゃに辛い。
この子はきっとずっと昔からお祭りを外れの方でひっそり眺めてきたわけで、それをはじめて見つけてくれた主人公のことが大好きになるのは必然だったのだろう。
すまんなスグリ少年。
閑話休題。
そういえばともっこたち、各所の描写で4人目を仄めかされ続けていたと思うのだが、ついに前編では影も形も出てこず終いだった。
サルとイヌとキジモチーフということできっと4人目は桃太郎だと思われる*6が、果たしてポケモンなのかトレーナーなのか。この謎はあんまりエリアゼロに関係なさそうにも思えるけど後編で明かされるのか。
そしてオーガポンと共にいた昔々の男は何故テラスタルの結晶を持っていたのか、キタカミの里で起きるテラスタル現象と関係はあるのか……
などなど、主人公たちのキタカミの冒険は収まるところに収まったもののオーガポンちゃんとともっこ周辺に残った謎は多い。
楽しみだな、後編。
キャラクター所感
いつもの。これを書くために感想文を書いていると言っても過言ではないかもしれない。
- オーガポン
かわいい。鳴き声も仕草も全部かわいい。
でもこんな可愛いオーガポンちゃんが昔復讐のためにともっこたちを撲殺(復活したのでギリ未遂?)したのかと思うと胸がドキドキしてくる。
力比べのお面替えごとに
「主人公と歩んだ冒険の思い出」
「みんなでお面を取り戻した思い出」
「昔々ともに生きた男との思い出」
を力にしていくオーガポンちゃんに筆者はジョビジョビ泣いていた(オタク特有の誇張表現)のですが、改めて見返すとスグリとの思い出が……ないんだよね……
彼も鬼さまを思って行動は起こしていたものの、さみしがりのオーガポンちゃんが求めていたのは村人たちの誤解を解くことよりも、寄り添ってくれる相手だったわけで。
スグリがいくら鬼さまに憧れていたとしても、オーガポンちゃん視点からしたら最後まで友だちの横にいた人でしかないもんな。現実って残酷だぜ。
- 主人公
主人公の優しさは本編でも散々知らしめられていたことなのだけれど、お祭りの外れで見かけた小さな子(オーガポン)を追いかけ、目線を合わせて話しかけに行くという自然体で行われたその優しさがやたら胸に刺さった。
私……恋、しちゃったかもしれない……
それと筆者の一押し好きエピソードは、てらす池にて私は泳げないから思いっきり飛び込め!と無茶を言うゼイユと、そんな無茶振りに珍しく渋る主人公の一幕。ゼイユのかわいい横暴さと振り回されてる主人公がどっちもいい味出してた。
主人公は人からの無茶な頼みごとをだいたい快諾する星の下に生まれた存在なので、こうやって拒否する場面を見ると人間性みたいなものが伺えてちょっと嬉しくなったのだった。
そして一時は共にお祭りに行き、共にりんご飴を食べるくらい仲良くなれた少年と気まずくなり、さよならも言えずにお別れした主人公を思うとなんだか心が痛い。
メタ視点の筆者は主人公とゼイユたちが後編でまた会えることを知ってるけど、当事者たちはそんなこと知る由もなく。
キタカミの里で得られた体験や友情はきっと忘れられない思い出になるだろうその一方で、短くて長い冒険の中に残った小さなしこりを思うとなんか色々込み上げてくる。
- ゼイユ
ジャイアニズムの化身、世の姉の体現者。
初めこそよそ者である主人公にも当たりは強かったが、精神的な成長や根っこの人の良さがどんどん見えてきて良いキャラだった。めちゃくちゃ好き。
主人公のためにお面を必死に探したり、お祭りで1人(+オーガポンと)外れの方にいる主人公を探して声をかけに来たり、そこにいた見知らぬ小さな子(オーガポン)に危ないから戻っておいでと呼びかけたり、優しさの垣間見えるエピソードに事欠かない。好き。
ともっこたちに浴びせる罵声(?)やオーガポンに向ける優しい目も好き。
ただ唯一、彼女の弟に対する良かれと思っての行動が定期的に悪い方に作用していて、スグリのことを大事に想っていることも傍目には明白なだけにままならんな……と遠い目になった。血縁ってそういうもんなんだよな。
それはさておき、ゼイユとの別れの挨拶のシーンが何回も見たくなるくらい好き。
沈んだ顔を隠し、笑顔で「さよならなんて言ってあげないから」といって手を振り、背を向けて去ってゆくゼイユのヒロインレベルはカンストしてた。
その背中に静かに笑って手をふる主人公もエモ。
筆者のプレイヤーキャラが女の子だったこともあり、序盤はスグリと主人公のほのぼのボーイミーツガール感にソワソワしていた。今となっては懐かしさすら覚える。
それはさておき。
後編が来るまで完成しないライバルって考えると非常に面白いキャラクターだなあとしみじみ思う。
続き物でしかできないタイプの闇堕ちだし、変化球も投げられるDLCだからこそ出来たライバル像だろう。
スグリがどう成長するかと同じ位、彼と主人公の物語の着地点も現状全く想像つかないので、どうなるのか今からとても楽しみ。
せっかく築かれた友情が砕かれることなく上手く収まることを願っている。
- ブライア先生
引率の先生。
黒目の瞳孔が縦長で赤いという要素1点突破でなんかものすごく警戒してしまっている。
子どもたちの青春眩しいねって言えるだけの情緒がある人になんて失礼を……
ブックの作者の子孫だし後編のお話で大穴に向かう動機はこの人由来だろうことは予想がつくけれど、まあレホール先生以上にヤバイ先生なんておらんだろ!と呑気に構えておこうと思う。
あと物語とかシステムの都合とはいえ引率なのに他校の子どもたち置いて帰るのはあんまりですよ!!!!
茂みに担任が隠れていて良かった。
- サザレ
気さくでさっぱりした感じの美人なお姉さんがポケモンを撮影しながら「カーッ!たまんねえな!」とよだれを垂らしている倒錯感よ。とても好きです。
彼女の最初と最後の自己紹介、「ちょっぴりカメラ好きな旅の者」が「カメラが大好きなカメラマンです!」になる変化に心臓を撃ち抜かれた。こんなヒロインムーブされたら恋しちゃうって。
ヒスイカーディの片割れを託されていつかの再会を願う別れも良かった。
なんで本筋に絡まないキャラを最後に持ってきたかって?そりゃ恋しちゃったからだよ……
あとがき
以前のSV感想文のあとがきで、DLCでパルデアの友人たちと冒険が出来ないのは少し残念、と書いた筆者であったが、そんな気持ちもふっ飛ばされるくらい魅力的な新たな出会いと物語だった。
ライドンとパルデアの友人たちも、オーガポンとキタカミの姉弟たちも、どっちも最高。
ライドンといえば今回、スグリがピクニックを提案しようとした際に「サンドイッチ」に反応してボールから飛び出し、スグリの内なる劣等感(?)をほのめかすという一瞬の出番で終わりちょっと笑った。
ホームウェイ前でもプレイ可能だからあんまり出番を作れないのは仕方ないね。
それにしてもピクニックがお流れになってサンドイッチにありつけなくて残念だったね。かわいいね。
話は脇道にそれたが、とにかく翠の仮面めちゃくちゃ楽しかったです。
離別フェチの筆者はゼイユやスグリやサザレさんやビリオ・ネアなど色んなキャラとの多種多様な別れ際が見られて非常〜〜〜に興奮するとともにめちゃくちゃ寂しくなりました。過剰摂取はよくない。
早く再会を喜びたいね……
ということで待て、後編!そして次回!!
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*1:田んぼの稲の育ち具合から見て劇中6〜7月あたりだと思われる。トンボ(ヤンヤンマ)とホタル(バルビート、イルミーゼ)が並んで飛んでる時点で現実と繋げて考えるのは野暮かな……
*2:ちなみにキタカミの里のモデルは岩手県北上市が有力。その他東北の名所や名物が色々と取り上げられている。
*3:剣盾DLCの泥臭愉快なライバルポジション。いい大人(暫定)なのであんまりライバル感は無い。
*4:カミッチュがスグリの手持ちに入るのはお祭りの翌日から。祭りから帰ってウキウキで進化させたのかな……とか考えるとあの除け者イベントに対する罪悪感がマシマシになる。
*5:筆者のプレイ順が本編→ホームウェイ→碧の仮面なのでこういった言い回しをしているが、「碧の仮面」は本編中にプレイ可能のため実際は順不同。
*6:ちなみに「4人目は桃太郎じゃない?」と指摘したのは筆者のポケモン語りを辛抱強く聞いてくれたポケモン未プレイの友人。筆者は「それだー!!!!!」と叫んだ。安楽椅子探偵は斯くして生まれたり。
ポケモンSVのプレイ感想:ザ・ホームウェイ
はい。
前編に引き続きポケモンSV感想です。
後編ではザ・ホームウェイ全体のお話と、最後にいつものキャラクター所感があります。
再三の注意喚起ですがネタバレをドシドシしていきますのでご注意ください。
前編はこっち↓
3monopera.hatenablog.com
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ザ・ホームウェイ
本編の3つのストーリーを最後まで進めると始まる新たな物語にして、主人公の冒険のエピローグでもあるザ・ホームウェイ。
SVの何が最高って、とにもかくにもこの話。
お話も演出も本当に最高だった。
冒険の決着
学園で立ち入りを禁止された、パルデアの中心部に位置する未知の領域・パルデアの大穴。
その大穴ことエリアゼロの最深部で研究を続ける博士に届け物を依頼され、ミライドンと主人公・ペパー・ネモ・ボタンによる秘密の大冒険が始まる。
それまで個々に進められていた本編の3つの宝探しが最終的に4人の冒険に帰結するという話型は物語のお約束だとは思うけれど、やっぱり良いものは良い。
数日にも満たない子どもたちによる大人には内緒の大冒険。
知らない場所に集まった「友人の友人」たちの距離が徐々に縮まっていく、ぎこちなくてちょっと浮足立つような空気がたまらない。
筆者は青少年の交友関係が広がるときのあの独特なフワフワ感が大好きなのだ……
そして奥に進むにつれ漂ってくる、ポケモンらしからぬ生と死の匂い、緊張感、家庭環境の告白などなどが物語のスパイスとして効いていて……すごい、すごかった……
クライマックスに近づくにつれ展開は加速し、怒涛の展開が過ぎ去ったあとに残されたしんみりした空気感も良かった。
おそらく多くの人が想起する通り、この子どもたち4人(と1匹)による短い大冒険は映画『スタンド・バイ・ミー』リスペクトなのだろう。
ある意味ポケモンの原点回帰とも言えそう。
エンディングクレジット前の空にフェードアウトしていくムービーシーン、スタンド・バイ・ミーのあの同名曲が流れそうな空気感にドキドキした。
歌付きのエンディングだったので近からず遠からずだった。
ラストバトル
そんなエンディングから少し立ち戻ってラストバトルの話。
主人公と最強のAIによるタイムマシン攻防戦の決着が着いたかと思いきや、博士の組んだシステムによって更にAIが暴走し、ライドンのトラウマでもある楽園の守護竜が主人公たちの前に立ちはだかる。
戦おうにも自分たちのモンスターボールはシステムによってロックされ、なにも手出しが出来ない。
ラストバトルはそんな絶望的な演出で始まり、そこからはコマンドを選択するその一つ一つに意味があり盛り上がりがあり、プレイ時の筆者は楽しすぎてちょっと指が震えていた。
言い方は悪いけどやることがだいたいパターン化する単調なコマンドバトルをここまで激アツなクライマックスに持っていくなんてすげえや!!!!!
前編で述べた「本作だからこそ出来たストーリー演出」とはまさにこのことである。
オープンワールドでずっと行動を共にしていたライドンへの思い入れにしても、手持ちポケモンの表示形式にしても、テラスタルというシステムにしても、全てがこのための布石になっていたのが何より素晴らしかった。
ストーリー外縁部
そして今までとは毛色の違うシリアスなストーリーを盛り立てる演出部分も非常に良かった。
とりわけエリアゼロの神秘的なフィールドやその音楽には圧倒された。
光が降り注ぐフィールドと荘厳なBGM、渦巻くように地下へ降りていく異様なマップ設計がワクワク感と不穏さを高めてくれて……最高だぜ……
全体の色調がビビッド?に変化したのも「違う世界へ来てしまった」感があってよかった。
更に、ザ・ホームウェイでは道中が4人行動になったり、移動中に会話がシームレスに展開されるようになったのも特筆すべき点だろう。
これによって4人の冒険であることが可視化され、物語への没入感や緊張感が維持できていた。
RPGの宿命ではあるが、話がある都度立ち止まって操作不能になるとどうしたって物語への没入感も薄れてしまうものだ。かといってそれを最小限にするとなかなか物語や登場人物を掘り下げることが出来なくなる。
ホームウェイでは一部の会話が移動中に展開されることで、物語の緊張感や没入感を維持したまま4人のぎこちなく絆を深めていく行程や本編で明かされなかったパーソナルな情報等がが丁寧に掘り下げられていて、非常に効果的な演出になっていたと感じた。
とてもよかった。
何よりポケモンでこういった最近(?)のRPG(?)みたいな演出が見られるとは思っていなかったので尚更新鮮に感じたところもある。
「博士」の立ち位置
ラストバトル後の、旅立つ側であるAI博士の別れの言葉が「ボン ボヤージュ!(よい旅を!)」だったのがなんだかとても味わい深くて好きだった。
未来ある子どもたちへ向けたシンプルなエールだともとれるし、エリアゼロでしか稼働できない機械が「過去/未来へ旅立つ」ことの真意をペパーに隠すためのオブラートに包んだ別れの言葉ともとれるし、自分の願いに向かって旅立つ高揚感もあるだろうし、何よりポケモンにおける「博士」という立ち位置のことを非常に意識している言葉のように感じた。
というのも、これまでの作品において主人公の旅立ちはいつでも博士から始まっていたからだ*1。
しかし本作の博士は違う。
博士からはミライドンの面倒を見て欲しいという画面越しの依頼こそあったが、主人公の旅の動機はそれとは別の課外授業「宝探し」にあった。
SVでは、従来の旅を促し図鑑を授ける博士のポジションを学校および「先生」にスライドし、強大なポケモンを使った秘密の計画を行う大人(所謂ラスボス)の役割を「博士」側に隠していた。
筆者はエリアゼロでの真相を知ってから博士の別れの言葉を目にする直前まで「博士という呼び名はミスリードだった」のだと解釈していた。
実際「博士」と「ラスボス」ポジションのスライドは事実ではあると思う。
しかし一方で、最後の「ボン ボヤージュ!」という旅に関係する発言により、やっぱり彼もポケモンの「博士」だったんだな……という理解に着地した。
主人公たちの旅立ちの場面には博士がいるのがポケモンだよなぁ、と。
3つの物語は学校(校長)にもたらされたもので、エリアゼロの冒険は博士にもたらされたもので。
ポケモン研究所のような設備だった校長室が実は博士の学生時代の研究室だったことも後に発覚したし、制作陣の意図としても「博士」ポジションは表の校長/裏の博士みたいな感じで設計したのだろう。
そんなこんなで、「ボン ボヤージュ!」によってなんだか視界がクリアになった心地だった。
帰る場所について
ザ・ホームウェイ(帰り道)というタイトルがミライドンの帰郷とラストの主人公たちの帰路のダブルミーニングだということはプレイすれば察するところである。
そして、ラストバトル後の主人公の「帰ろう」という言葉が指す場所は、おそらく友人たちと共に過ごす学校だった。
主人公にとってのホームは、この冒険を通して実家から仲間たちのいる学校へ変化していたのだ。
このことはエンディングクレジット後の再スタート場所からも伺える。
従来のシリーズにおいて、主人公の家は始まりの場所であり帰ってくる場所でもあった。
これまでの主人公が殿堂入り(エンディングクレジット)後に冒険を再スタートさせる場所は常に家の自分の部屋だったのに対して、SVの主人公の再スタート地点は学校の寮にある自分の部屋であり、プレイヤーが意図しなければゲームのはじまり以外で実家の部屋に向かうことは一度もないのだ。
これって案外大きな変化だと筆者は思っている。
もとより親元から離れて冒険するのがポケモンシリーズであるけれど、それがテーマとしてより顕著になっているような。
子どもたちによるコミュニティの確立については前編でも語った通りだが、そう感じた根拠の最たるものはこの再スタート地点だった。
子どもだっていつかは大人の庇護下から抜け出すわけで。
それに、世の中は優しい大人も立派な大人もちゃんといるけれど、それでも世界の全てが子どもに優しくは出来ていない。それぞれの大人の事情が交差して、折り合いのつかない部分の皺寄せは時として子どもに振りかかってくる。
スター団のいじめ問題だったり、ペパーのネグレクト被害だったり、ネモの並び立つ相手のいない孤独もそれにあたるかもしれない。
そんな子どもたちが独り立ちして社会性を獲得する過程や、彼らにしか出来ない世界への立ち向かい方が見られたのが本作だったんじゃなかろうか。
それを象徴するのが主人公の帰る場所の変化だった*2。
家だけが世界のすべてじゃないぜ!
というメッセージだと受けとるとドライかもしれないが、作中で親を亡くしたペパーの割り切り力(ぢから)も帰る場所を新たに見つけたからだと考えればけっこう納得できる気がする。
その他与太話
余談だが、本編の3つとホームウェイ、それぞれタイトルに「道」がついているなあとあとから気づいた。
- チャンピオンロード
- スターダストストリート
- レジェンドルート
- ザ・ホームウェイ
冒険中にたまに目にするパルデアの格言(?)「全ての道はパルデアの大穴に通ず」って言葉にかかっていてオシャレ。
また、エンディングクレジットを終えるとゲームのスタート画面が変化するが、あのスタート画面てペパーの机だったのか……!と変な感動があった。
主人公が学校の机にブックを置くタイミングはなかったもんね。
だとしたらもしかしてあのボールもライドンを入れていたやつなのかな〜とか考えるとしみじみエモい。
そしてさらなる余談。
エリアゼロ最深部の研究所前で主人公がペパーに「ここは俺に任せて先に行け!」と言われたときは「こっちの台詞だが!!!?!?!?」という気持ちになった。
それの前にもペパーが所持していたブックを主人公に預けたりなんだり、博士に召喚されたのは主人公だったことを忘れないペパーの聞き分けのよさにネグレクトによる傷の深刻さなどを感じたのだった。
あそこは普通お前が先に行くべき場所だぞペパー。
(2023.10.10追記)
「あそこはペパーが先に行くべき」と書いたが、よくよく振り返ってみるとペパーが過去のトラウマをおしても再度エリアゼロにやってきたのは「親に会うため」ではなく、あくまで「主人公を自分と同じ目に合わせないため」の付き添いとしてだった。
彼にとって「ザ・ホームウェイ」は主人公の受けた依頼を完遂させることが第一の目標だったのだ。
そう考えると聞き分けの良さとか関係なく、ペパーは本当にただ純粋に「先に行け!」と主人公に言っていたのかもしれない。
とはいえ、ペパーの親に対する希望のなさとか自己肯定感の低さとかが言葉の随所に出ているのはマジ。
(追記終わり)
キャラクター所感
- ミライドン/コライドン
主人公の大事な旅の仲間。
今作の伝説枠のポケモンなのだけれど、「実は現代にいる普通のポケモンの過去/未来の姿でした〜!」は良い意味で肩透かしを食らった。
しかも種族としてはめちゃくちゃ強いけど同種のもう1匹(せいかく:ひかえめ)にいじめられて戦うのがトラウマになるくらい大人しい子(せいかく:きまぐれ)だったという二段構え。
そこからのクライマックスバトルの高揚感は先にも述べた通り。
この再起が成功体験等のきっかけによってではなく、ただただ「後ろに仲間がいるから」という事象によるものなのがイイよね……
ボールから出てきてまず後ろにいる主人公たちの方をチラと見て口を引き結び、対峙するトラウマの相手に向き直ってバトルフォルムに変形するムービーシーンが好きすぎて何回も見てしまう。
そして仲間の応援でトラウマを乗り越え、バトルフォルムにも自由に変身出来るようになった相棒ライドンなのだが、それでもやっぱり暴れん坊ライドンは苦手らしい。
ストーリー後、エリアゼロ研究所を見下ろす場所に1人佇む暴れん坊ライドンをゲットすると相棒ライドンはボールの中で悲鳴をあげるのだった。
可哀想だけどかわいいし変にこだわった演出で面白かった。
それにしてもライドンの快適な運用には2体必要な仕様にした制作者は割と鬼だと思う。
話は立ち戻り。
オープニングで滑空するライドンが博士やペパーと過ごした思い出の灯台を目指していたことに後から気づいたわたしはそのいじらしさに奇声を発した。
研究所に入って落ち着きたかったのかペパーに助けを求めようとしたのかはわからないけれど、ただひたすらにかわいすぎる……
ペパーはペパーでライドンを忌わしく思いつつも常に空のボールを持っていたようだし、この2人(1人と1匹)の関係性がめっちゃエモくて少しくやしい。
その他諸々の事情を考慮してライドンはペパーのもとにいるべきでは?と理性のわたしが囁くのだが、今更この子を手放せるわけねえだろ!!!!!!!と本能が叫んでいる。
そもそも公式で主人公のポケモンになっているのだからこんな理性と本能の戦いなど無意味。
ずっと一緒にいような……ミライドン……
- 主人公
今作は特に表情や動きが豊かで、見ているだけでも楽しかった。
それぞれのイベントをこなしたあとの記念写真に写る主人公、本当に楽しそうでかわいい。好みの顔の美少女にカスタマイズできたので尚更。
これだけ表情豊かになって「はい/いいえ」以外の選択肢もあるので、だいぶキャラクターとして独立した存在になってきたように思う。
そして、周りから託されるヘビーな依頼を全てこなしていくマルチタスクの天才な主人公が、協力者ポジションだからといって影が薄くならなかったのはこの表情による影響も大きいのかな〜と感じた。
主人公が出来事に対してボディランゲージや表情といった何かしらのリアクションをすることで、当事者としてちゃんとものを考えその場に存在しているのだとプレイヤーの目にもはっきりとわかったので。
話は変わるがジム再挑戦時のハイダイさんによる主人公への言葉がすごい好き。
良くも悪くも周囲を巻き込み多大な影響をもたらす激流と主人公を評し、その激流に食らいついてくれる周りの奴らを大切にしろよ!という激励である。
強さへの求道、仲間との絆、ポケモンとの絆に奔走した主人公にまさしくぴったりの言葉だった。
- ネモ
ようやく肩を並べられる友人が出来たことに大はしゃぎするラストバトル後のネモが可愛くて本当に大好き。
あの「やったー!」は恋に落ちちゃうよ……ズルいぜ……
ただのバトル狂いに見せかけて、体力がなかったりボール投げるのが苦手だったりお嬢様だったり、そしてバトルにおける孤独を抱えていたり、話を進めるごとに魅力が増すギャップの塊だった。かわいい。
溌剌とした性格だから表には見えにくいけど、ライバルの不在は結構深刻な問題だったと思う。
大好きなバトルにも関わらず相手のために手を抜くようになったり、負けの悔しさをまだ理解できないほど真剣勝負に飢えていたわけだし。
主人公が強くて本当に良かったねえ。
ザ・ホームウェイではバトル狂としてもムードメーカーとしても縁の下の活躍を見せた。
過剰に重たい空気にしないように明るく振る舞える気遣いと天然さのバランスが頼もしく、どこまでもシリアスに転がり落ちてしまいそうな設定と空気感の中、「ポケットモンスター」として踏み留まれたのは不謹慎サイコバトル狂ネモの働きが大きいと思う。
静まり返った帰り道に買い食いしよ!と提案してくれる友人の有り難さを皆で一緒に噛みしめよう。
- ボタン
ボタちゃんのパパ、もしかして剣盾のピオニーサン……?
言及される要素は完全にピオニーなんだけど見た目がシャクちゃんにもピオニーサンにもトレーナーカードに映る暫定奥さんにも似てないから確信がもてずにいる。
まあガラル出身だしそうなんだろうけども。
ボタンは見た目と天才ハッカーという設定がかなり奇抜だけれど、キャラクター造形は妙にリアルだった。
蓋を開ければめちゃくちゃ優しい子である一方で、コミュニケーション事故の起こりやすそうな性格と口下手さが随所に出ていたり、いじめ問題で親にも頼れず(頼らず)結果的に留年という遠回りをすることになったところなんかも、妙〜〜〜な生々しさを感じた。
こういうちょっとヤな感じの生々しさを持つキャラクターは賛否両論になりがちだが、それによってスター団との紆余曲折が生まれたりペパーとの衝突が起きたりと物語の起伏のために間違いなく必要な存在だし、味わい深くて個人的には非常に好き。
主人公・ネモ・ペパーという根明人間の集いではたぶん察せられなかったライドンの翳りに気づけたり、AI博士が旅立った後のペパーに拙くも励ましの声をかけたり、スター団のボス達が学校に馴染めるかをあくまで陰で見守ったり……と、他者の心情にちゃんと寄り添おうと出来るボタンは立派だぜ。
- ペパー
まず初めに、ペパーの気の毒な過去の境遇とストーリーで進行形に展開される仕打ちに悲しくなると同時に、非常にテンションがブチ上がったことをここに懺悔します。
不幸な境遇のキャラクターに興奮するのはオタクの悪い性です。
この後のペパー青年の人生に幸多からんことを……
ペパーって明るいし元気だしネグレクト被害者のわりに社会性?社交性?はあるように思っていたけれど、思い返すと初対面は主人公につっけんどんだしネモの話は全スルーだしエリアゼロでボタンにもつっかかってたし、「根は良いやつだけど親しくなるまではちょっと……」という評価が適切かもしれない。
そもそもベクトルは違えど主人公の友人3人全員そうだわ。
逆になんで主人公に対してはすぐ好意的になったかを考えたときに思い当たったのは、主人公は常に聞き手のポジションにいたという点だ。
子供にとって一番最初の自己表現の相手、つまり聞き役は親であり、それがペパーには欠けていたものだった。
制作陣の意図的なものかどうかはわからないけれど、自主的に言葉を発さない、コミュニケーションの一投目は常に相手からとなる「主人公」というキャラクターのスタンスがうまいことペパーと噛み合っていたのかなあと思った。
自分からキャッチボールの一投目を投げ、受け止めてくれる相手がペパーに必要なものだったんじゃないかな。
コミュニケーションを取ろうとしてくれたネモのことをウザいと言ってたくらいだからな……
そんな彼が主人公に心を開き、衝突しながらもネモやボタンやライドンとも絆を深め、彼自身の世界を広げていった過程を思うと感慨深い。
(以下追記)
再プレイして気づいたのですが、ネモあるいはボタンに対してペパーが態度を硬化させたのは「博士の息子」という扱いをされた後だった。
ペパーが学校にあんまり行かないし他者との交友関係が見えないのも、学園中で「息子」であることが有名だからだと考えると色々スッキリする。
上で筆者が主人公との交流に関して深読みしていたけれど、原理はもっとシンプルでした。お恥ずかしい限り……
まあでもどちらにせよ主人公に対して態度を軟化させたのは余計なこと言わなかったからなのは間違いなさそう。
(追記以上)
余談だが彼の部屋に飾られたオラチフ(現マフィティフ)の写真がちょっと怖かった。
構図的にエリアゼロの研究所にある写真(ペパー少年とオラチフ)と同じもの(の複製)と思われるのだが、その場合自分が写った部分を切り取ってオラチフ単品の写真として部屋に飾ってることになるんだよね……
博士のことは吹っ切れても幼少期からの人格形成的な問題はまだまだ根深いのかもしれない。
そもそもこれはただのオタク特有の深読みかもしれない。忘れてください。
- クラベル校長
おもしれー校長……
終始礼儀正しく心優しく、少しズレたノリの良さとコミカルさを持ち、全力で子どもたちと向き合う理想的な教育者だった。
就任前の不祥事についての不十分な引き継ぎを言い訳にせず自ら問題解決に奔走する出来た人間っぷりに脱帽。
子どもたちに誠実に謝罪できる大人は格好いい。
あと校長戦のBGMがめちゃくちゃ好きです。
サントラ出してくれねえかな……
- 博士
とうとう博士が黒幕なシリーズが登場したのがなんだか感慨深かった。黒幕というか元凶って呼び方のほうが合ってる気もするけど。
さらに言えばポケモンで本気(マジ)のネグレクトする大人が出てくるとは思わなかったし、主要登場人物にして死者、というのも初じゃなかろうか。
主人公が冒険を始める段階で既に死者だったため伝聞や日誌で推し量るしかないけれど、博士自体は完全な悪人でも善人でもなく、常人の理解の及ばない狂人でもなく、才能に対してメンタルが追いつかないアンバランスな人のように感じた。
まあやってることは欲求にストッパーをかけられなくなったただのマッドサイエンティストだけどさ……
過去/未来のポケモンでパルデアを埋め尽くしたいという野望を「生態系が壊れるからやめとけ」と真っ当な意見でAI博士(自分自身の理性的存在)から諌められてるのに「壊れるならそれもまた自然の姿」とかいう素人目にもわかる詭弁で自己合理化してるのがとりわけ印象的だった。
マッドな思想というよりも、言い方が回りくどいだけで要は子どもの駄々にしか見えないのだ。
各観測基地にある研究日誌?を読むにいっぱいいっぱいになってたんだなというのはわかるし。
それに研究の成功に必死とはいえ別に自分の家族に興味がないとか自分の野望以外どうでも良かったというわけでもなく、息子のペパーを愛していたというAIの証言も真実だったと思う。
なんというか、そこまで常識外れのヤバい人ではなかったはずなのだ。
けれど、博士の目には「今そこにいる自分の家族」ではなく「自分の作った楽園で幸せに暮らす家族」という完成形しか見えていなかった。
目標に目が眩んで足元の現状を見失う研究者……昔の映画で観たことあるな……*3
だからこそ校長がこぼした「目標に一直線で周りが見えなくなる」という人物像がただただその通りなのだろう。
その側面だけを切り取ればまさしくペパーのような、よくある物語で描かれるような、コミカルなキャラクター性を持った人だったのだ。
ただ、ぺパーが言うように「タイムマシンなんて大層なものを作るのに子供に構っていられるわけがない」という最悪の前提がついていたわけだが……
博士の目指したゴールにはペパーの存在があったとしても、たった今顧みるべき現在を見落としては仕様がない。
仮に博士が自分の楽園を完成させられていたとしてもペパーの失われた幼年期は報われないわけで、嬉しさより遣る瀬ない気持ちが残るのみだろう。
研究は結果が求められるけど人間関係は過程が求められるのだ。
多忙な仕事と家庭を両立出来る人間が如何ほどいるかと問われれば口を噤んでしまうが、それが庇護の必要な子供を放任する理由には全くならない。
まあとにかく、博士が根っからの悪人ではないからこそ、むしろその行いは最低最悪だったぜ!
- AI博士
博士がタイムマシンに狂っちゃったせいで相対的に常識人みたいになった合理性と優しさの塊。
ラストバトルで無理矢理暴走させられた時の「フトゥー(オーリム)AIはこれ以上戦うつもりはない!」と一瞬表示されて塗り替えられる絶望的な演出めちゃくちゃ好きです。
こういう物語において暴走する役割はAI側であることが多い中、本作では人間の方が暴走していてAI側がタイムマシンの停止やペパーに愛情の伝達などといった尻拭いを行う役回りになっていて面白かった。
おそらく過去/未来でAIの停止は免れないだろうけれど、最後の最後だとしても自分の目で憧れの世界を見るという望みを叶えられていたらいいなと思う。
- レホール先生
本編には出てこないが本作ナンバーワンマッド人間でした。博士の能力とレホール先生のメンタリティが合わさると悪の組織のボスが錬成されそう。
自分の知的好奇心のためにヤバいポケモンの封印解除を生徒にけしかけるな!!!!!!
まあそれでも授業の進行に不満を持ちつつ指導要領に逆らわない程度の自己抑制ができてるし仮にも教師だからスレスレ踏みとどまってる感はある。
なんでメインキャラじゃないレホール先生にいきなり言及したんだ?と思われることでしょう。
無論ビジュアルが本作中一番好みだったからです。以上です。
あとがき〜DLCについての与太話を添えて〜
前後編合わせてで約2万字に及ぶ感想文になってしまいました。
授業やバトルシステムやBGMといったストーリー以外の要素を泣く泣く削った筈なのに全然文字数が減らなくて怖かった。
ここまで読んでくださった方は本当にお付き合いありがとうございます。
貴重なお時間を割いていただき非常に……非常に恐縮です……
11月から感想文を書いていたはずなのに気づけば年を跨ぎ、DLCの情報が出てきて、更にはブログの最終更新日から1年が経とうとしていることにも気づき、流石にらやなきゃ……と本腰を入れて何とか書き上げた本感想文でした。
そう!DLC情報出ましたね!!!
ストーリーを通して4人と1匹が大好きになった筆者としてはこの5人組でDLCの話も展開してくれないかな〜という淡い期待を抱いていたため、DLCでメインとなりそうな新キャラクターの情報が出た時は嬉しさ半分残念半分だった。
が、よくよく考えるとこの5人の話ってホームウェイでちゃんと完結しているわけで。
新たな冒険とは確かな地盤のない場所に踏み入れた主人公が足場を固めていく行程を指すのであって、これ以上山あり谷ありな関係値にはなりそうもない彼らについては物語で描くこともないだろう、と割とすぐ納得がいったのだった。
新たな仲間の登場に素直に期待しようと思う。
ポケモンのDLCは今年の秋以降なので、期待に胸を膨らませつつまた何かしら別の作品に触れられたらな~と思っています。
そして今年はもう少し記事を書きたいな……とも……
とはいえ明日には明日の風が吹く。
次の感想文がポケモンのDLCになるか別の何かになるかは定かでないが、待て、次回!
.
ポケモンSVのプレイ感想:本編について
はい。
結論から言いましょう。
最高でした。
_
はじめに
本記事はタイトルの通り、「ポケットモンスター スカーレット/バイオレット」の感想を書き連ねたものとなります。
最高だったので感想文が長すぎて2つに分裂しました。
前編は主に3つのフリーシナリオについて、後編はザ・ホームウェイについてを書いています。
マジで長いので気が向いた時にでもお付き合いください。
また、以下の内容は根幹的なネタバレを含むストーリー感想文となるため、プレイ中の方、プレイを迷っている方はご注意ください。
ちなみに筆者はバイオレットの方をプレイしたため、博士やポケモンについての呼称が無意識にそちらに寄ってしまうかと思われます。悪しからず。
後編はこちら
3monopera.hatenablog.com
余談:前作剣盾プレイ時に書いたポケモンの思い出はこちら。
読まなくて全然大丈夫です。
3monopera.hatenablog.com
「ポケットモンスターとわたし」の中にも書いていることなのですが、筆者はBWとサンムーン未プレイ者です。
作品に関する知識の偏りがあるかと思いますがご容赦ください。
本編について
作品概要
「ポケットモンスター スカーレット/バイオレット」は
などなど、今作からの新たな要素が加わった新境地的なポケモンだった。
本作はポケモンやキャラクターやBGMの魅力は勿論のこと、とりわけストーリーの面白さが飛び抜けていた。なかでも秀逸だと感じたのは、新システムに進化したポケモンSVだからこそ出来たストーリー構成だった点。
上で箇条書きした新要素がとっ散らかることなくストーリーと噛み合い、物語の演出として最後の最後にめちゃくちゃ輝くんですよ!!
システムも組み込んだ「これだからこそ!」という固有のゲーム体験はなかなか出会えるもんじゃない。
やっぱりなんだかんだ最高だぜポケモンは。
まあその……かゆいところに手が届かないユーザーインタフェースや細かなバグ、ボックスのシステムといった前作から改悪された仕様も多く、システム周りは口が裂けても評価できない……けど……
今回はストーリー最高!というお話をしたくて書いた記事なのでそのあたりの批評は置いておく。重箱の隅をつつかない勇気。
3つのストーリー
本記事では
の3つのストーリーを本編と呼称しています。
ザ・ホームウェイも本編だけれど別枠として一旦除外。
そんな上記3つのストーリーは、主人公が転入したアカデミーで行われる課外授業「宝探し」として始まる。
転入して早々に3人(博士の依頼を含めると4人)の人物から協力を仰がれた主人公は、宝探しを兼ねてそれらの依頼をこなし、冒険を進めていく……という流れ。
そしてこれらの物語を自由な順番に進められるフリーシナリオシステムは、本作の大きな特色でもある。
これはゲームのオープンワールド化に伴った形式の変化なわけだが、そもそもポケモンにて複数の話、それもゲーム内でタイトルのつけられた独立の話を進めていくこと自体が非常に新鮮だった。
なんとなくここからも本作ポケモンの「ストーリー」への比重が高まっているのが汲み取れると思う。
それと、バトルの形式(ボス戦の切り札や前哨戦など)や話のパターン(ムービーの挟まり方やメインキャラの関わり方)が各タイトルで一様でなかったのも良かった。
本作はメインストーリーだけでもかなりのボリュームがあるため、飽きさせないための試みなのだと思う。後編で語るつもりのザ・ホームウェイも、無論どの話とも毛色が異なっていた。
確かに全ての話の形式が変わらないのならタイトルを分ける意味も必要もないだろうから、こういう作り込みは丁寧で好感がもてる。 味変は大事。
ちなみに、依頼者のネモ・ボタン・ペパーたちは皆同じ学園の生徒であるが、物語開始時点で各々の間にほとんど面識が無い。
それ故に互いの話に登場や干渉することも無いわけで、これらの話が独立している理由がちゃんと作中にあるのも地味に丁寧でよかった。
最終的にこの3人はパルデアの大穴の中へ向かう主人公の協力者として集結するのだが、「同じ所属」設定による友人ほど気安くはないがまったくの他人というわけでもない距離感が序盤の各ストーリーの独立と終盤の集結に上手く作用していたな〜という感想。
3人の仲間と3つのテーマ
ストーリーおよびそのメインキャラクターたちにはそれぞれをつらぬくテーマ的なものがあった。
物語の最後にて博士にも総括されているが、簡単に言うと下記の通り。
ネモの強さへの求道
ボタンの人間同士の絆
ペパーのポケモンとの絆
別ベクトルに伸びたこれらのテーマを1つずつの話として独立させることで、明快かつ丁寧に、しかも色んなアプローチでストーリーを展開することが出来ていたように思う。
ポケモンって広げようと思えば色んなテーマを展開できるポテンシャルがある一方、テキストメインのゲームではないから下手に欲張ると話がとっ散らかって竜頭蛇尾になりかねない訳で……*1
その解決策として「3つのテーマを1つの話にぶち込むんじゃなくて3つのテーマの3つの話にすればいじゃん!」という形にしたのはシンプルだけどめちゃくちゃ画期的だと感じた。
また、上記の各テーマは主人公が目指すゴールであると同時にネモ・ボタン・ペパーそれぞれのテーマだったように思う。
むしろ後者の方に比重が寄っていたとすら言える。
更に言うなれば、これらのテーマは各キャラクターたちにとって本編中で新たに獲得を目指すものではなく、主人公と出会う以前に各々の物語として達成したものを一度喪失し、再度獲得を目指す話のように思えた。
強さへの求道
→先の課外授業にてチャンピオンになったネモは、強さ故に全力で競える相手がいない孤独に直面した。
ポケモンとの絆
→マフィティフと深い絆のあるペパーは、父に会うために乗り込んだエリアゼロでマフィティフすら失いかけた。
仲間との絆
→スター団の仲間といじめっ子に立ち向かったボタンは戦いに勝ったが、スター団を守るために自らそれを手放した。
そういう意味では作中の各ストーリーは3人のための物語だった。
しかしここで「それなら主人公いらないじゃん!!」とはならない話運びだったのが本作の良いところ。
そもそもこれらの話が好転するきっかけは間違いなく主人公なのだ。
「過去/未来」がモチーフの今作において、主人公は停滞した現状をぶち壊し過去から未来へ進むために欠かせない重要な鍵として存在していたのだと思う。
また、これらの停滞した問題が個人では解決の成せないタイプのものであり、かつその解決は子どもたちの間で行われたところが本作の肝だな〜と筆者は感じた。
保護者ではない他者の介入によって問題解決をはかるというプロセスに、個々の閉じられた世界から開けた世界へ、という子どもたちの社会性の獲得を見たというか……
本編各話にて主人公と依頼者は協力者から友人同士へと関係が深まり、ザ・ホームウェイにて「主人公と主人公の友人3人」から「4人(+1匹)の仲間」へとコミュニティが広がったあたりに顕著な気がする。
ただ、保護者の介入なしと言ったもののスター団のゴタゴタに関しては校長がメインキャラ並みに登場&活躍している。この辺はまあ学園規模の問題だしね……
とはいえ校長も途中まで学生に扮して介入しているあたり、子どもたちのコミュニティに大人が入るべきではない(あるいは入ることは出来ない)というある種の線引きがあったんじゃなかろうか。
「ポケモンって昔からそういうもんじゃろ」と言われそうだが、前作剣盾では比較的大人による問題への介入とサポートが充実していたことを考えると、逆説的に今作のこれは意図されたものだと言える、と思いたい……
そんな本作の大人の存在と子どもの自立?に関しては後述する「ポケモンにおける冒険の再解釈」と、後編記事の「帰る場所の位置づけ」でも似た話をしています。
最後の方は脱線してしまったがなんにせよ!!!
テーマが明確だったためメインキャラクターたちの魅力がしっかり表現されていたし、主人公との関係構築も1人1本のシナリオで丁寧に書かれているため、キャラクターたちへの思い入れの深まりもひとしおだった。
そして思い入れと言ったらミライドン/コライドン(以下、便宜上ライドンと呼ぶ)の存在を忘れるわけにはいかないよなあ!?
ということで次に行きます。
パッケージポケモンについて
従来のシリーズにおけるパッケージの伝説ポケモンたちは、その作中の鍵となる存在であり、ストーリー終盤で出会ったり手持ちになるのがお約束だった。
あの手に負えなさそうな存在と対峙してゲットする瞬間の達成感イイよね……
ただ、ストーリーのクライマックスを担当するから仕方ないのだけれど、伝説ポケモンをゲットする頃には旅パが完成していたり、共に旅するにしても残るは殿堂入りだけになっていたりして、どうにも薄くなってしまうのだ……影が……!
かといって序盤に捕まえられるレベルだと特別感がないうえ、後のイベントのために育てるのだとしたら自由なパーティを組もう!というポケモンのスタンスに反するような気もするのでなかなか扱いが難しい。
そんなわけで、ライドンが冒険の序章に主人公と出会い、移動手段としてそのまま旅に同行するという流れは上手い変化球だな〜と感心した。
序盤の偶然の出会いから仲良くなるまでの過程が丁寧に描かれるし、すぐ仲間になるし、強そうだけど戦わないし、手持ちとは別枠でずっと一緒にいる!!!!
特別感がいっぱい。
そも、本作はオープンワールドのためバトルする時間よりフィールドを駆け回る時間のほうが圧倒的に多くなる設計になっている。
つまり本編中で共にいる時間が一番長いのは間違いなく移動要員であるこの子なのだ。
ストーリーでも道中でも、主人公とライドンは完全にニコイチ。
そして本作になってポケモンや人間の表情・仕草がより豊かになったことの恩恵もかなり大きい。
ライドンちゃん、表情も動きも最強にかわいいのだ。愛してる。
そんな相棒ライドンとの冒険の日々とそれによる愛着は、間違いなくクライマックスの盛り上がりの一端を担っていた。
ライドンがバトルフォルムを取り戻して嬉しかったのはずっと一緒に冒険した仲間だからこそだし、そうなれなかった期間を噛み締めたからこそ。
共に旅した日々を糧に輝いてくれ、ライドン……!!!
それにしても、ライドンがこれだけ最高の相棒ポジションに収まると次回作からの伝説ポケモンのハードル上がるけど大丈夫け?と心配になる。
とはいえ常に出し惜しみせず全力で良いものにしよう、いい演出をしよう!という制作側の気概が感じられるのはプレイヤー的には嬉しいので有り難い。
その心意気をユーザーインターフェース方面にも見せてほしかったよ。
なんにせよ、ライドンは最高だという話でした。
筆者はミライドンのぬいぐるみ(5,500円)を買ったし受注生産のフィギュア(29,700円)も注文した。
マイスウィートミライドン……ずっと一緒にいような……
ポケモンにおける冒険の再解釈
旅の変化と悪の組織の分離
ポケットモンスターといえば主人公がポケモンと旅に出て、悪の組織の野望を阻止しつつチャンピオンに登り詰める冒険譚がお約束だ。
しかし今作SVをプレイし、近年の作品(前作剣盾や未プレイなので詳細は語れないがおそらくSMも含む)において「冒険」の形は地味だけど大きく変化していると感じた。
実力を見込まれ博士に依頼され旅に出た歴代主人公たちに対し、剣盾では「ジムチャレンジ」、SVでは「課外授業」という催し物への参加として主人公は旅立つ。
どちらも一人旅に違いは無いが、近年の作品は既定路線を進む安心感があり、そのかわりに冒険心を刺激するスリリングさを失ったと言えるだろう。
主人公の旅は安全な旅行へと形を変えたのだ。
そしてもう1つ。
剣盾のエール団とローズ委員長、SVのスター団と博士のように、〇〇団と強大なポケモンの利用を企む大人の所属が分離されたのも大きな変化だ。
道中主人公に立ちふさがる迷惑な小悪党集団とヤバめな計画を立てる倫理観のズレた大人を分けることで、「主人公が単身で組織立った悪い大人たちの世界に首を突っ込む」というわりとシャレにならない危険さをできるだけ緩和しているように感じる。
節の題である「冒険の再解釈」とはつまり、主人公の冒険に降りかかる危険がだいぶ軽減されたよね!ということ。
これは初代が発売された頃より子どもたちへの保護意識が高まった現代だからこそでもあるし、ドットから3Dモデルへとゲーム内世界のリアリティが向上し、重箱の隅がより鮮明に目につくようになったという理由もあるのだろう。
子どもを1人放り出して世界の命運を託す周りの大人は何考えとんじゃ!!!!という倫理や良識に寄り添った変化ではあるが、とはいえポケモンである以上は未知の世界を冒険して悪の組織の野望を阻止して世界を救いてえ!!!!という冒険譚への希求も間違いなくあるわけで……
そういう意味では改善でも改悪でもあるこの変化。
冒険の再解釈によって生まれたジレンマがある種の問いかけとして最近のシリーズには横たわっているように思ったのだった。
剣盾における解答
そんな問いに対して、剣盾のストーリーを思い出してみる。
ジムチャレンジをする主人公たちの冒険には他の参加者、バトルの観戦者、ソニアやダンデのような保護者といった見守る目が常にあった。
エール団の迷惑行為はともかくとして、道中の不穏はそんな周りの大人たちによってほとんど取り除かれており、主人公たちが危険に身を投じるのは本当に最後の最後だけだった。
子どもが大人による庇護のもと力を身につけ、大人たちを超え、一人前として認められていく……というストーリーラインが剣盾の解だったと思う。
「世代交代」がテーマだと受け取った身としては、ちゃんと子どもが守られる立場に置かれていた剣盾のことは非常〜〜〜〜に好意的に思っている。
ローズ委員長のせっかち独断専行に対するツッコミはあれど、主人公とライバルたち4者4様の苦悩と着地点がしっかり描かれ、大人も大人なりに頑張ってるし苦労もあるんだぜ、という部分にまで焦点を当てた良い作品だった。
が、今振り返ってみると主人公たちの進む先8割くらいがお膳立てされた安全な道筋だったわけで、かなり過保護というか、子どもより大人の心情に寄り添いすぎた感も否めない。
筆者個人としては子どもに危険なもん背負わせんな学閥の者なのであの大人たちによる見守りの安心感はめちゃくちゃ好ましいと思うものの、大人の目線で見れば安心できても常に未知の大冒険を求めている子どもの立場からしたら物足りないわけで。
冒険という概念の変換期ゆえのアンバランスさと言えるかもしれない。
バランスって難しい。
SVの解答
それでは本作はどうだっただろうか。
SVは冒険の舞台を「学校」という子どもたち主体のコミュニティにすることで、大人の見守る目はありつつもあくまで子どもたちが主役として冒険が成り立っていた。
授業であると同時に自由に何でもやっていいという方針のため、剣盾で新たに出てきた「大人の主張強すぎちゃう問題」へも対応出来ていたのではなかろうか。
そしてすべてが学校の敷いた予定調和ではなく、ヌシポケモン討伐(?)や学校のはみ出し者達への殴り込みや、更には学校外部の人間(博士)の導きによる立入禁止エリアへの冒険など、明らかに学校の管轄外なイベントも発生する。*2
大人たちに黙って立入禁止区域へこっそり突入し、ともすれば世界の危機にも転じるような事件に立ち向かう大冒険をしてみせた主人公たち4人と1匹。
そんなザ・ホームウェイのお話について詳しくは後編で語るが、とにもかくにもこの秘密の大冒険にはめちゃくちゃ心躍った。
人は誰しも「未知の冒険」を求めてるんだなって……
そんなこんなで本作は楽しい課外授業とスリルある冒険、大人たちの良心と子どもの冒険心といったものの両立がいい塩梅で出来ていたと感じた。
前作の良さを引き継ぎつつ反省点の改善も成されていて、本作はこれからのポケモンにおける冒険の概念のひとつの指標になるんじゃないかな~などと思うのだった。
各編所感
ザ・ホームウェイは後編を丸々使って語るので、それ以外の3本の所感。
チャンピオンロード
チャンピオンクラスという形式は本作独特の設定とはいえ、ジム巡りをして「チャンピオン」になるのはポケモン恒例であり、特に捻りや壁もなくまっすぐ進む。
ストーリーとしてはすごくシンプルで、3本の中で一番薄いと言えなくも……ない……
しかし、個性的なジムリーダーや四天王という楽しみは今作も十分にあったし、ネモとのラストバトルの爽やかさがとにかく最高だった。めちゃくちゃ好き。
バトル狂ネモの抱えていた孤独が明言されるのは本編後のことなのだけれど、それでも本編中ですらネモがライバルを渇望していたことは明確だった。
だからこそラストバトル中の噛みしめるようなネモのコメントと、決着後の全力の「やったー!!!」にこっちも嬉しくなるのだ。本当によかったねえ。
また、この話は3つの話の中で唯一主人公が主体の話である。
他の話の主人公は完全なる協力者ポジションであるのに対し、チャンピオンロードだけはネモの誘いありきとはいえ主人公自身がチャンピオンクラスになるお話なので。
話や形は変わっても、ポケモン本編で「チャンピオン」になるというのは特別なものなんだろうな〜としみじみした。
スターダストストリート
ボスを倒すたびに過去の出来事が回想される流れ、不良漫画っぽくてよかった。不良漫画を読んだことがないので圧倒的偏見です。
前哨戦やボスたちの切り札ポケモンが特殊だったり、話としても完全にスター団たちの過去に焦点が置かれていたりでどこか物語の外伝感が強く、そこが新鮮で面白かった。
雇われ用心棒の主人公はぶっちゃけほぼほぼ蚊帳の外だったわけだけど、3本立てお話の1本だからこそ出来た面白い構成で面白いアプローチ。
ボタンの対人関係の不器用さや筋はちゃんと通す頑固さや真面目さが凄く愛おしい。友達を大事にできるいい子だよ……ガチもんのハッカーだったケド……
あとこのお話は校長がとりわけ輝いていた。
問題児たちの事情を汲むための努力を惜しまず、指導者でありつつも生徒を対等な存在として扱い時に頭を下げることも厭わない大人、めちゃくちゃかっけぇ。
ちなみに社会人としては引き継ぎをちゃんとしない前任やトップを思うと胸が苦しくなりました。やだよこんな職場で管理職は……
レジェンドルート
終始めちゃくちゃ面白かった。
登校中に変な絡み方してきた変な先輩の印象がどんどん良好に変わって行き、話がどう転ぶか読めなくて続きが気になり、ライドンはどんどんパワーアップし、オレモヌシー、そして最後には新たな冒険の布石が打たれ……
ペパーの弱ってしまった相棒ポケモン・マフィティフの弱った姿が、昔筆者の近所で飼われていた老犬の晩年の寝姿にそっくりで、最後までわりと本気で助からないんじゃないかとハラハラしていた。
なので元気になって本当に安心したし最後の洞窟でのマフィティフがモンスターボールをペパーに渡すムービーシーンは喜びで少し泣いた。
そしてそれを見守りながら目配せする主人公とミライドンも良かった。撫でる手と目がめちゃくちゃ優しくて……
その後の博士とペパーの確執や不穏さが漂う研究所でのシーンも好き。
明るい陽の下の課外授業から人気のない無人の研究所へ、一気に空気感が変わってしまう緩急が最高だった。
あの研究所のモニターが起動した時の何かが始まるワクワク感たるや……!
課外授業の宝探しが未知の冒険に姿を変えるまさにその瞬間だった。
そして始まるザ・ホームウェイ。
後編に続く!
3monopera.hatenablog.com
カリギュラ2のプレイ感想
はい。
本記事は現代病理と偶像殺しをテーマとした学園ジュブナイルRPG「Caligura2 (カリギュラ2)」の感想文になります。
カリギュラ“2”というタイトルからわかる通り、本作は「カリギュラ」及び「カリギュラオーバードーズ」*1の続編にあたります。
筆者は当時前作未プレイだったのですが、ニンテンドーe-shopをぼんやり眺めていた際に存在を知り、キービジュアルに惹かれてそのまま予約購入に至った次第。
ナンバリングを見ると前作をやったほうがいいのか不安に思う人も多いと思いますが、前作未プレイの筆者がプレイしても充分に楽しめる作りでした。
この感想文ではネタバレは極力しない方針ですので、もし本作の購入を迷っている方がいらっしゃればここを判断材料の1つにしていただければ幸い。
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はじめに:ゲームの特色
本作は2021年6月24日にSwitchとPlayStation4から発売されたRPGである。
グラフィックやモーションはなんと言うか……なかなか拙い感じだけれど……
難点を挙げるならこのグラフィックくらいなもんで、そこさえ気にならないのであれば非常におすすめ出来る作品だった。筆者が半年かけてダイレクトマーケティング感想文を書くくらいには……
本作には大きな特色が2つある。
それは登場人物たちの隠された正体と、それをもとに有名コンポーザーが作成した個性豊かな楽曲たちである。
まず1つ目について。
現実での後悔を無かったことにできる理想の仮想世界「リドゥ」が舞台となる本作、登場人物たちは敵も仲間もほぼ全員が「後悔をやり直した姿」であり、その裏に暴かれたくない秘密を隠し持っている。
禁止されることほど暴きたくなる「カリギュラ効果」をタイトルに冠している通り、このゲームは登場人物たちが目を背けた生々しい現実をプレイヤーに暴かせ突きつけてくる尖った作品性が売りである。
とはいえ、尖ったテーマではあるものの全体を通して見れば個人の成長・仲間との絆・譲れない想いの衝突・苦悩と克服……などなど、シナリオの運びは良い意味で王道だった。
デリケートな題材を扱いながらも下手に道徳的でなく、かといって露悪趣味に走ることもなく、絶妙なバランスを保っていた。
2つ目について。
このゲームでは心の拠り所、求心力のツールとして歌が大きな意味を持っている。
メインビジュアルにデカデカと登場する謎の美少女「リグレット」、あるいは主人公の半身となる「キィ」はバーチャドール*2という歌を歌うことを目的として作られた存在である。
彼女らは歌によって人々を癒やし、そこに寄せられた信仰によって仮想世界リドゥで大きな力を得られるのだ。
そのため作中では敵対勢力の登場人物たちが作った曲という設定で、有名コンポーザーたちの手掛けたボカロチックで個性豊かな曲が複数登場するというわけである。
プレイヤーはさまざまな後悔を内包したリグレットの歌を各ダンジョンのBGM、戦闘曲として耳にすることになる。
歌詞付きの曲が複数登場すること、ダンジョンごとに曲のテイストと雰囲気がガラリと変わることも本作の特徴だ。
バトルに入るとシームレスにフィールドが展開され、曲もインストから歌付きに変化するのが演出として超好きだった。
特色2つには含まなかったが、本作はバトルも個性的でめちゃくちゃ楽しかった。
基本はコマンドシステムだが単調な戦闘にはならず、独特ながらシンプルで爽快感のある仕様になっている。
難易度調整も細やかなため戦闘が苦手な人も好きな人も満足できる仕様だったと思う。
これについて詳しくはバトルシステムの項にて。
あらすじ
「カリギュラ2」は、冒頭でも述べた通り「カリギュラ」及び「カリギュラオーバードーズ」の数年後の世界を舞台としている。
設定や出来事は地続きであるため前作ネタのようなものが随所に登場しているし、コレって前作のあの人では!?というキャラも存在する。当然と言えば当然だが、前作をプレイしていた方が楽しめるのは確か。
だが、「カリギュラ2」は「カリギュラ2」で話として独立しているので前作未プレイの方にもご安心いただきたい。
本作に登場してストーリーを動かしていく殆どのキャラクターたちは前作のキャラたちと赤の他人なわけだし、本編中の問題は本編中でしっかり解決しているし。
一個だけ前提として踏まえておいた方がわかりやすいかなと思った点は、敵組織のリーダー・ブラフマンの楽曲を担当したコンポーザーさんは前作の敵リーダー・ソーンの担当と同じ人だということ。とはいえこれも別に必須項目じゃない。
それはそれとして以下あらすじ。
舞台は仮想世界「リドゥ」。
後悔を持つ者が謎のバーチャドール「リグレット」の歌に導かれて訪れることになる「やり直しの世界」だ。
現実での後悔を忘れて思い通りの人生をやり直せるその世界で、人々は平穏な生活を送っていた。

しかしリドゥはただの理想郷ではない。
リグレットの歌に取り込まれた者は現実を忘れて精神をリドゥに囚われ、肉体は現実世界に残って心神喪失状態となる。
そこはあくまでかりそめの、緩やかな死に向かう空間なのだ。
そんな仮想世界を破壊すべく、未発表の新型バーチャドール「キィ」が単身リドゥに乗り込んだことで物語は動き出す。
キィが内部へ無理矢理侵入した影響でリドゥの仮想の空には亀裂が生まれた。
そしてその亀裂から現実世界の記憶が幾人かの住人の中に悪夢として流れ込んでいった。
そんな悪夢で現実を思い出してしまったリドゥの住人の一人が主人公だ。
主人公はひょんなことからキィと接触して身体を半分乗っ取られ、同じように悪夢を見た面々と「二代目帰宅部」(初代帰宅部は前作の人たち)を結成し、現実世界への帰還を目指すこととなる。
そしてそんな異分子を排除する為に立ちはだかるリグレットの楽曲提供者「オブリガードの楽士」たち。
彼らはそれぞれの思惑のもと、リドゥの平穏を守るために帰宅部と敵対する。
帰宅部たちは現実に置いてきた後悔と傷に悩み、葛藤し、時に楽士たちと衝突しながら、現実に戻るための活動を続けていく──
あらすじはこんな感じ。
用語が多いため長くなってしまったが、閉じ込められた世界からの脱出と考えれば作品構造は至ってシンプル。
しかし構造は明快でも解決は容易ではない。
この世界に囚われるのは皆どうにもならない後悔を抱いた人間たちだという問題が常に横たわっている。
帰宅部の面々も心のどこかで帰りたくない、現実を忘れてまたリドゥで平穏に暮らしたい、という葛藤を持っているのだ。
一時の虚構だとしてもリドゥに救われていたことは事実である。
それを真っ向から否定出来るのか。否定していいものか。
理想を打ち捨て、解決の無い後悔という現実に向き合う覚悟はあるのか。
そんな巨大な壁にどう折り合いをつけるか、向き合うのか、が本作の大きなテーマになってくるわけなのだ。
カリギュラと現代病理
はじめに少し触れた通り、「カリギュラ効果」を名に冠する本作は登場人物達が抱え、そしてひた隠しにする等身大の苦悩を暴く過程が描かれる。
ここで描かれる秘密とは今を生きる人々特有の超現代的な悩み、言わば「社会病理」だ。
社会病理は現代を生きる中で普遍的に存在する一方、社会の在り方の変化と共に形を変え、細分化され、その形を捉えるのが非常に困難なものでもある。
そんな世の中に巣食う心の病を出来うる限り拾い上げ、明文化し、「秘密を暴く」という背徳的な行為を経て作品に取り込んでいるのがこの「カリギュラ」シリーズなのだ!
そんな現代病理はメインキャラクターだけに収まらずネームドモブたち全員が抱えている。
それらは本編とは別のサブクエストやストーリーをこなす事で明らかになっていく。
クエスト自体は簡単なものが多いため、秘密の開放はそこまで苦にならないのでご安心を。
百を超えるその後悔の中には恐らく、プレイヤー自身に深く突き刺さるものも出てくることだろう。
「理想 (おまえ) に、現実 (じごく) を見せてやる。」
というカリギュラ2のコピーはストーリー中だけでなく常にプレイヤーに突きつけられ続けるわけである。
この本作のコピーからも伺えるようにゲームの掲げたテーマはかなり殺伐としたもの。
社会病理、後悔、現実(ルビは地獄)などなど、挙がるワードの一つ一つがなんだか鬱々としていて、露悪的な作品なのだろうか……と身構える人もいるかもしれない。
が、はじめにで述べたとおり本作はむしろ優しく前向きな作品であるように筆者は感じた*3。
それらは一見ちぐはぐに見えるかもしれない。
人の秘密を暴くことをエンターテイメントにしながら優しいもくそもなくないか?と。
しかしこのゲームにおいて、人々の抱える情けない/悪辣な/どうしようもない/目を背けたくなる、そんな後悔や現代病理を暴かせるという行程は、プレイヤーにゴシップを見せる厭らしさよりもむしろ現代人に向けた悩みの共感や発露や気づきのためにあるように感じた。
軽いネタバレになるが、とあるモブキャラの中に「サ終」という後悔を持つ者がいた。
つまり熱を入れていたソシャゲのサービス終了が受け入れられず、リドゥに来てしまった人物だ。
大多数の人からはそんなことで?と笑われてしまいそうな後悔だけれど、それでも本作ではちゃんと1つの後悔として括られているのだ。
他者にはしょうもないように見える後悔を持つ人が、片やどうにもならない深刻な後悔を抱える人も数多存在するリドゥというフィールドに同じように存在することに、筆者はなんとなく救いを感じた。
このゲームは抱える悩みの相対的大小ではなく、苦しみを抱える事それ自体に比重を置いているのだ。
そしてどんな悩みを抱える人にとっても、似た悩みを持つ人がいることや、大小様々な悩みがあることを知ること、またはそんな悩みがあることを知っている人がいるのだと感じられることは、何かしら救いになるものだと思う。
悩むことが許される場、多くの悩みを知る場、共感する場としてこのゲームはあるんじゃないかなあと。
しかしこういった他者への共感を促す優しげな行為が行き過ぎると忌避感を覚える人もいると思う。
説教や道徳の押し付けは往々にして嫌われてしまうものだ。
本作はそれを「秘密を暴く」という背徳的な行程を経ることで緩和させ、無意識の気づきの場にしているのかなあとぼんやり思ったのだった。
まあそれはそれとして、敵も見方も各所で激情そのままにカチキレて怒鳴ったり相手の事情も考えず傷を煽りに煽りまくったりもするので、そういうプロレス的エンターテインメント性もゼロではない。
筆者も作中のそういうハートフルと真逆の煽り合いを楽しんでいたことをここに白状する……
キャラクターとの交流
どんな後悔も拾い上げる器の広い本作ではあるが、大部分として物語になる後悔とはにっちもさっちもいかない重苦しいものばかりだ。
そして当然ながら主要登場人物たちの後悔はそちらの類がほとんどである。
そんな彼らのままならない現実を交流を通して暴いていくのが本作の「キャラクターストーリー」である。
帰宅部メンバーと主人公は戦闘を通じて親密度が上がり、ストーリー進行度と親密度によって個々の話が解放されていく。
そこで本編では明かされない、彼らのひた隠しにする個人的事情や内面を深堀りしていくことになる。
ちなみにこれらは開放せずとも本編クリアに支障はない。知るかどうかはあくまでプレイヤーの自由意志というスタンスだ。
キャラストでは時折「そこまで突っ込む!?」と言いたくなるくらいズバッとモノを言わなければならない選択肢が出てきたりする。
彼らの後悔に寄り添うだけ、共感するだけでは拒絶されたり良い方向に進まないこともある。
また、重要な局面で選択を誤ってしまえばそれ以上踏み込むことを拒絶されることとなるため、自分の発言には相応の責任が伴う。ウ~ン現実的。
社会的営みの中で他人の事情を詮索することなぞ滅多にないだろう大多数の人間にとってかなり胃の痛くなるキャラストであるが、いろいろと考えさせられるのも確かだと思う。
隠してきた苦悩を覚悟を決めて打ち明けた当人にとって、中途半端な共感や慰めは時として不理解よりもつらいものだと思う。それが親しい相手ならば尚更だ。
誰でも言える耳触りの良い言葉は、言い換えれば思考停止ですらある。それを聞いて解決する悩みなら端から抱えるはずもないのだし。
でも、解決策のない問題で疲弊した心がただひたすら優しい慰めの言葉で癒され救われることだってあるのも確かだし。
コミュニケーションのとり方に正解はないことを改めて考えさせられた。
そんなこんなで緊張感のある交流を経て帰宅部の皆を深く知るのは主人公ことプレイヤーの特権だ!
是非張り切って仲間たちの後悔を暴いていこう。
そしてこの作品は「優しく前向き」なお話ではあるが、ストーリーに万事解決!ハッピーエンド!は無いところが肝。
気の持ちようを変える以外の解決策が無いようなままならない後悔にどうやって、あるいはどのような折り合いをつけるのか。あらすじでも書いたことだが、これがストーリーとしての一つの命題だったと思う。
物語作品を作る以上、ストーリーにご都合やデウスエクスマキナは必須である。
しかし現代社会の問題を取り上げる中で、彼等の後悔とその解決に対するリアリティラインはできうる限り踏み越えないようにかなり慎重に話が作られていた。
そういう真摯さも本作のいいところだと思う。
そして物語特有のカタルシスをしっかり織り込みながら、気の持ち様で清々しくも重苦しくも見えてくるよう作られたストーリーと背景設定の絶妙さには感心しきりだった。
また、キャラクターとの交流にはチャットツールも存在する。
相手に色んな質問を投げかけて人となりを知ることが出来るシステムだ。
相手にとってはわりと地雷みたいな質問もある気はするが、こちらは何を聞いても関係性に支障は生じないので安心して質問しまくろう!
ちなみにこれは帰宅部だけでなく知り合ったネームドモブ全員に送ることができる。すごい。
オブリガードの楽士と楽曲
話は変わって楽曲について!
ゲームには帰宅部と敵対する8人の「オブリガードの楽士」が登場する。
彼らはリドゥの実態を知りながら歌姫リグレットに楽曲を提供し、人々の支持を集める助力をするリドゥの中心人物である。
帰宅部たちはその楽士たちを倒すことで信仰によって成り立つリドゥの均衡を破り、現実世界への帰還を実現させようとするわけだ。
そんなわけで本編は基本的に楽士たちを各個撃破しながら話が進んでいく。
楽士たちの楽曲は各章のそれぞれのダンジョン的な場所にてフィールドBGMとして流れてくる。
次の敵はどんな曲だろう!?というワクワク感もあって楽しかった。
音楽に疎い筆者では上手いことが言えず歯がゆいが、とにかくどれも本当に良い曲だった。
個性豊かで素敵な曲でありつつ、キャラクターの後悔や設定を深いところまで盛り込むのは流石プロだなあと。
そして各曲に込められた感情を高いクオリティで表現するリグレットの歌唱力も圧巻だった。
リドゥに君臨する創造主としての説得力が歌声から溢れていた。声優さんってすごい(こなみかん)。
個人的にはパンドラの「オルターガーデン」が好き。
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ピアノ(?)の伴奏が好みなのもあるが、歌詞から受ける印象が真意を知る前と後でガラリと変わるので愉快。
そういう意味では「ミス・コンダクタ」も相当クオリティが高かった。
それと楽士曲ではないが街中で流れる本作のメインテーマ・「SINGI」がいっちゃん好き。こちらは冒頭に置いたトレーラーで流れている曲。
リグレットの綺麗な声と綺麗なメロディライン、そこはかとなく退廃的な歌詞のアンマッチがたまらない。
リドゥにぴったりすぎる。
そして対する我らが帰宅部のバーチャドール・キィ。
キィは倒した楽士の曲を習得し、話が進む毎に歌える曲が増えていく。そしてそれらをバトル中にスキルとして使えるようになるのだ。
ゲージを溜めるとフィールドに流れるリグレットの歌を自分の歌声で上書き出来るようになる、「フロアージャック」という技だ。
フロアジャックの名の通り、リグレットの歌から一転し全ての曲を明るくパワー溢れるものに塗り替えるキィの歌声が最高だった。
敵陣のアウェイな空気をこちらに持ってくる説得力といったらすごい。
シリアスな歌でも頓珍漢なパフォーマンスが入ってたり聴き手を楽しませる工夫(?)満載で、ズレてはいるけど流石天性のバーチャルアイドルだなあとしみじみ。
キィの歌からは「人間の気持ちわかんね!でも歌うの楽しい!」→「徐々に気持ちも掴めてきた!」という歌い方の変化が一曲の中でもありありと伝わってくるので聴いていて面白かった。
キィの声と感情を演じながら難度の高い曲を歌い上げる声優さんには恐れ入る……
キィver.だと「永遠の銀」、「Q愛セニョリータ」が特に好き。
そんなわけで、歌の感情に寄り添って歌い分けるリグレットと全てを自分の歌にしてしまうキィ、という二人の歌姫の歌の聴き比べも本作の楽しい部分だった。
バトルシステムについて
基本は先述の通りコマンドバトルシステムになっている。
反射神経やプレイングスキルなどは必要ないため、アクションが苦手な方でもお手軽に楽しめる。
そしてその様相は従来のコマンドバトルシステムとも少し違っている。
このゲームでは各キャラ毎に行動のタイムテーブルが存在している。
プレイヤーはタイムテーブルの中で行動内容と行動するタイミングを決めることになる。
フィールド全体の動きを見て、好きなタイミングに行動を差し込んでいくのだ。

やってることは動画編集とか楽曲編集に近いかもしれない。
説明を読んでもなんのこっちゃとしか思えないだろうけど、コレが本当に楽しいんです。
タイミングや行動がハマれば攻撃のモーションで敵の攻撃が回避できたり、カウンターで相手の行動キャンセルが出来たり、打ち上げ花火のごとく敵をぶん投げまくってコンボをキメられたり……
上手く行動キャンセルやカウンターを出し続ければこちらが一方的に殴り続けることも可能なので、レベル差が大きく開いた強敵も立ち回り次第で攻略可能。
一度選択した行動はキャンセルできないため一撃で敵に形勢が傾いたり常に緊張感もありつつ、うまくハマった時の爽快感もあり。
感覚としては立体的なパズルゲームやSRPGに近い気がする。感覚としては。
め、めんどくさそう……と思う方には難易度選択と戦闘のオート設定も搭載されてるのでご安心を。
キャラごとに性格の反映された武器と戦闘スタイルがあるため差別化もしっかりされていて、プレイヤーが思い思いのパーティを組める良いバランスをしていた。
8キャラもいるけれどどんな組み合わせでも面白いコンボを考えられるので見事なバランス調整だったと思う。素人の感想だけど。
それと、2周目から登場する敵のレベルを+100まで好きに上げられる機能がめちゃくちゃありがたかった。
強くてニューゲームとお好みの難易度調整を両立できるのは非常に嬉しい。
そんな楽しいバトルシステムだが、しかし行動選択時の行動予測が等速で再生されるため、高難易度でしっかり攻略しようとするとかなりの時間を食うこととなる。
倍速が欲しかった。倍速が欲しい。倍速……
と、最後にちょっと余計なことを話したが、難易度と爽快感がかなりいい感じで個人的には最高!なバトルシステムだった。
ぜひ遊んでみてほしい。
帰宅部キャラクター所感
楽士も拾ってたらアホほど長くなるので泣く泣く省きます!わたしは山本が好きです!!
リドゥで現実の存在に気づき、懊悩しながら現実への帰宅を目指して集った帰宅部たち。
彼らは後悔を思い出したことを切欠に、キィの力で「カタルシスエフェクト」という戦う姿を手に入れる。
手脚が黒く染まり、胸からは砕けた硝子の破片と花が突き出している。痛々しく攻撃的なその見た目は当人の心が反映されており、その後悔の片鱗が伺える。
帰宅部たちはその心の内を体現した異様ともいえる姿についてお互いにほとんど言及しない。
暗黙の了解というやつだ。
その距離感は「自分が辛い思いをしたのと同じように皆も辛い思いをしているのだろう」という気遣いが根本なので、彼らはその善良さで割を食ってきた人たちなんだろうな〜となんだかしみじみした。
親しくなろうとも深入りはしない・許さない。大人な付き合いをする帰宅部たちがリドゥでどんな過程を歩み、どんな結論に達するのかは是非プレイしてみていただきたい。
そんなこんなで以下各キャラクター所感。
ちなみに胸の花については無学な筆者が必死に調べて特定したものです。間違いもあるかもしれないので話半分に受け取って欲しい。
また、それらの花言葉についてもピックアップするとあわやネタバレ一直線なので省きます。
- 部長 (主人公)
胸の花はリンゴ、武器は2丁のナイフ。
その他、男性はツバキ(赤)、女性はハイビスカス(白)モチーフのものを身に着けている。
巻き込まれ型主人公こと2代目帰宅部部長。
特別な理由や能力でなく、現実を偶然思い出して偶然そこに居合わせた、という理由で物語の渦中に躍り出ることとなった名誉一般人。
カリギュラ2で描きたいのは英雄ではないどこにでもいる誰かというテーマの体現なのかなあと思う。
まあ後々パーフェクトコミュニケーション無双するけど……
- キィ
主人公の身体を半分乗っ取った天真爛漫なバーチャドール。大好き。かわいい。 大好き。
AI故に人間の感情という不合理の塊への共感性が低かった彼女が、メンバーたちの苦悩に向き合って理解しようと変化していくさまは我が子の成長を見ているような心地だった。人はそれを愛と呼ぶんだ……
序盤の無垢ゆえの邪悪ムーブも結構好き。
また、キィには象徴する花が無い。心の貌があるのは人間だけということなのだろうけどちょっと寂しい。
- 能登 吟
胸の花は薔薇(青)、武器はボウガン。
1番最初の仲間にして頼れる相棒ポジション。
小器用で多趣味、気配り上手で社交的だが心の壁が分厚い、まさにTHE・現代人的キャラ。
相棒ポジションに据えるには抱えるものがあまりにもヘビーだが、だからこそ「カリギュラ2」の象徴のようなキャラクターだった。
この人はネタバレせずに語るのが難しすぎる。ちょっと面倒くさい性格が生々しくて好き。
- 編木 ささら
胸の花はカンナ(赤)、武器は薙刀。
すべてを包み込んでくれる博愛おねえさん。
おっとりしててすっとぼけてて非常にかわいい。
ささらさんの安定感や寛容さや皆を現実に帰すという絶対の指針は、重い話が続くストーリーの中でプレイヤーの清涼剤として機能していたと思う。帰宅部の精神面エース。
話が掘り下げられるほど好きになる素敵なキャラ。キャラストも1番好き。
- 宮迫 切子
胸の花はサクラソウ、武器は日本刀。
何者にも引かず媚びず我を通す一匹狼サムライガール。
話し方がとにかく自然な若者そのもので、ローテンションな語り口なのに感情が伝わってくる声優さんの表現力がすごかった。ツンツンしてて怖いかわいい好き。デレの威力が最強。
抱える事情はなかなか難しいものだった。まさに現代的な問題で、対となる楽士と合わせて刺さる人は多いのかもしれない。
- 釣巻 鐘太
胸の花はヒイラギ(セイヨウヒイラギ?)、武器は刺叉。
規則を重んじるカタブツ風紀委員。その一方で、自分で何かを選択することが出来ない困った先輩。
2次元キャラクターならではの極端でコミカルなキャラクター性が内に抱える後悔の深刻さの裏付けになっていて、キャラ付けとして上手いなあと思った。
キャラスト、キャラスト後の取得スキル、メインストーリーで出した答え、全て感慨深いものがあってかなり好き。
- 月島 劉都
胸の花はナデシコ(白)、武器はマインゴーシュと聖杯。
冷静沈着、歯に絹着せずズバズバ話す天才少年。詰めの甘さは若さの証。
子供っぽさを隠さない子供らしくなさが面白くて良いキャラをしていた。他の帰宅部たちはいい歳の大人たち(推定)(曖昧な表現)故の落ち着いた掛け合いが多いので、こういう小生意気な子ども(推定)(曖昧な表現)がいるとメリハリがつくなあと思った。
チャットの返信は彼が一番打てば響く感じで好きだった。
- 風祭 小鳩
己の感情に素直なチャラい先輩。
序盤はなんだコイツ筆頭キャラだったが、人となりを知るごとに案外良識を持った誠実な人なのだと認識を改めることとなった。
メンタリティは割と立派な大人だと思う。それ故に抱える事情がキツすぎて胃が痛くなる。生きろ。
帰宅部は温厚で落ち着いたキャラが多いため、激情家な彼はバランサーとしてなくてはならないキャラだった。
- 駒村 二胡
胸の花はニリンソウ、武器は巨大なチャクラム。そして最強バッファー。
いつもニコニコハイテンションなかわいい後輩ちゃん。こんな世界でハイテンションムードメーカーを担う時点で抱えている闇の深さは察せるだろう。
キャラストの緊張感は間違いなく吟とニコちゃんのツートップ。
彼女のキャラスト中のプレイヤーキャラの異常な察しの良さと無神経さが怖くて面白かった。プレイヤーはキィと共に「何考えてんだお前……?」と困惑すること必至。
あとニコちゃんは某楽士とのカチキレ大舌戦が最高に好き。
- 天吹 茉莉絵
真面目で優しく公正な生徒会長にして学園のマドンナ。そして他の帰宅部の面々とは明らかに何かが違うキーマン的存在。
前作に同一人物と思しき存在がいたのだが、苗字が違うし性格も違うし立ち位置も違う。一体全体どういうわけだ……?と、前作プレイヤーにとっては存在自体が疑わしいキャラである。
前作未プレイ者から見ても彼女はあまりに完璧な優等生なので胡散臭く感じさせようと言う意図がありありと伝わってきた。
疑いたくないのに疑ってしまう罪悪感とジワジワとした緊張感を味わっていこう!
それはそれとしてお化け屋敷を怖がるマリマリ超かわいい。愛してる。
これくらいはネタバレにならないと思うけど以下注意。
ゲームクリアした後日、彼女の抱える問題に関連した喜ばしいニュースを現実で見かけ、なんだか非常に感慨深かった。わたしは二次元と現実のリンクではしゃぐ駄目なオタクです。そんなこんなでマリマリは個人的にめちゃくちゃ思い入れが深い特別なキャラ。
以上の心強い(?)仲間となる帰宅部たちは、ストーリーや個別のキャラクエスト、ダンジョン攻略中のフィールドトーク、拠点での座り方や置かれた私物、個別のチャット、あるいは戦闘スタイルといったところから多面的にそのキャラクターが掘り下げられていくことになる。
ストーリーだけでは取りこぼしてしまいそうな彼らの関係性や小さな人間性をしっかり作り込み、ゲームに落とし込んでいくその丁寧さがよかった。
だからこそこちらもゲームを楽しめたし、彼らの苦悩を暴いては頭を抱える羽目になれたので……
丁寧に大事に作られているものって受け手としてもなんだか嬉しい気持ちになる。
「カリギュラ2」、本当にいいゲームでした。
おわりに
ネタバレを控えた割にかなりの長文の感想になってしまいました。
ここまで目を通して頂いた方は本当にありがとうございます。
うまくまとめきれていないものの、ひとまずカリギュラ2の良さについては多少なり語る事が出来て筆者は満足した。
もしこの記事でゲームに興味を持っていただければ幸いですし、この記事を通してプレイした方と感想を共有できたら死ぬほど嬉しいです。
しかし正直言うとまだまだ語りたいというか、主にシナリオと登場キャラクターたちについてネタバレありで書きたいことが山ほどあります。
また少し時間を置いて、うまくまとめられそうであればネタバレ込みの感想文も投稿しようといます。
その時はまた。
去年(2021年)は個人的に楽しいゲームに沢山出会えた年だったのですが、その中でもカリギュラ2にリアルタイムで出会いプレイできたことは僥倖だったなとしみじみ思います。
現実世界の出来事と妙にリンクするニュースを見かけたり、なかなか経験できないような立体的なゲーム体験がきました。
やってよかった「カリギュラ2」!というわけで。
改めまして、ここまで目を通してくださった方はお付き合いいただき本当にありがとうございました。
また何かの雑記やら感想文やらを投稿しようと思いますのでご縁があればよろしくお願いいたします。
-
グノーシアのプレイ感想:考察編
はい。
本記事はSF人狼ゲーム「グノーシア」の感想文になります。
ゲーム内容とストーリーについての感想文は以前書いたのですが、その時には書ききれなかった考察などしていこうと思います。
内容は主にループ関連。
未プレイの方からすると頭から爪先まで意味がわからないうえにネタバレというアレな記事ですのでご注意されたし。
もくじから既に若干のネタバレを孕んでいるので……
未プレイでプレイを迷ってる方がもしいらしたら前編の記事をどうぞ!よろしければ!!!
ネタバレはほぼない (はず) のゲームシステムの話とキャラクター紹介↓
3monopera.hatenablog.com
ネタバレバリバリのシナリオ感想・考察↓
3monopera.hatenablog.com
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ちなみに今回は画像添付自粛しました。
ブログを検索すると記事内の画像がヒットしてしまうことを知ったので、画像によるネタバレ防止のためです。
本当にこのゲームだけはネタバレなしで最後までやっていただきたいのです……拙者は……
「銀の鍵」考
以下の考察は話半分に読んでいただければ幸い。
考察・解釈とはいつでも作品の受け手の妄想に過ぎないのだ……
ループの仕様
まずストーリーにおけるまさしく鍵である「銀の鍵」(以下、鍵と呼称)のループについて。
ループと言っても、この鍵が起こすのは同一世界間の時間遡行ではなく平行宇宙間の移動である。
そして、鍵による次元移動は一部例外を除いて宿主の精神のみの移動だろうということをおさえておきたい。
その根拠としては
- 宿主の肉体の喪失(グノーシアによる襲撃)や損傷(セツのデブリ衝突など)が起きても、次のループでは五体満足であること
- ループ数が増えても、成長や老化などの身体的変化が一切見られないこと
- 不可逆のはずのグノーシア化が次元移動によって解消されること
の3点が挙げられる。
③についてはその宇宙によってグノーシアか乗員かという大きな肉体的変化がある以外にも、AC主義という心理的変化が発生するのも注目したい。
突然AC主義になったり戻ったりという心の動きを数日間隔で繰り返すのは、全くあり得ない話ではないかもしれないが人格の一貫性を著しく欠いてると思う。
ゲームだから仕方ないと言えばそれまでだが、これらの原因はその宇宙にいた自分の肉体の情報に依ってしまうからとは考えられないだろうか。
SQの肉体に入ったマナンの精神がその主導権を握れない宇宙がいくつもあったように、結局のところ精神はその肉体に引きずられるものなのだろう。
まあとにかくざっくり言うと、肉体を継続的に使用する場合に見られるはずの変化や一貫性がないじゃん!という話。
これらを踏まえて、肉体はその宇宙の本人のものを使い、鍵は寄生者の精神のみを次元移動させているのだと判断した。
物理的変化は何故起こる
さて、鍵によるループが物理的なものを伴わない移動だとなるとおかしなことがある。
各宇宙で、ループに関連していて且つ自然発生するわけがない物理的な変化が起きているのだ。
それは以下の2つ。
- ラキオの所持する鍵の紛失
- 主人公の二重存在問題(同一存在が各宇宙に2人存在してしまう矛盾を以下、便宜上「二重存在問題」と呼称する。呼び方が無いと長いし。)
①について、ラキオの鍵はセツの始まりの宇宙にて主人公に譲渡され、セツを宿主にする手続きが行われた。
この1連の行動はセツの始まりの宇宙でしか起きていない。鍵がラキオのものだと判明した周ではラキオ自身が「失くした」とも言っていたし。
自主的に毎回ラキオからセツへ譲渡しているわけではないのだ。
また、②について。
二重存在問題は同じ人間が物理的に2人存在してしまうから発生するのであって、鍵のループが肉体を伴わない移動ならば普通起こり得ない問題である。
だがしかし、数多く行ってきたループの中でたった1回だけ、物理的存在ごと次元移動した例がある。
これはプレイ済みの方ならご存じ、「次元の扉」のこと。
扉を開いて別の次元に行ってしまったセツとループしていない方の主人公は、その宇宙から存在がまるごと消失した。物理的に別の宇宙に移動しているのだ。
作中最大の問題であった主人公の二重存在問題はこの「扉」による移動で解決し、そして同時にここで発生したのだろう。ストーリー的にもそんな感じだった。
この2つの物理変化は、たった1度、1箇所の宇宙でのみ起きた変化でありながら、主人公たちのループするすべての宇宙に適用されている。
完全なる憶測になってしまうが、状況から考えるに銀の鍵によって起こった物理的な変化はそのまま他の宇宙にも適用されるということなんだと思う。
ちなみにこの二重存在問題、主人公以外にも発生している。
ご存じSQちゃんのママことマナンちゃんことククルシカ。
作品の裏のキーパーソンとなる彼女は、身体が人形という違いこそあれど、主人公と同じく各宇宙にループして来た存在(inマナン)とその宇宙に元いた存在(本来の自立型ドール)が同時に存在していた。
作中で解決に奔走した「凍らせたククルシカが何故動く?」のアンサーが「2体いたから」と明かされた時はノックスの十戒!!*1と思わずつっこんでしまったけど、振り返って見るとこここそがノックスの十戒における「双子の存在の開示」だったのだなあと気付いて膝を打つしかなかった。
ククルシカも鍵の所持者だという重大な情報の布石を直接的な関係はない謎の答えの中に隠すという巧妙さよ。グノーシアは本当にシナリオ構成が丁寧だし上手いなあと思う。
話が逸れた。
とにかく、ククルシカでも二重存在問題が起きている以上、鍵による物理変化は一箇所で起きたらすべての場所で適用されるという解釈でいいんじゃないかなと思う。
上記がこの節の結論で、ここからはただの誇大妄想 。
すべての平行宇宙でこの物理変化が発生していると考えるよりは、それが起きる「可能性」が各宇宙に生まれたと考えるほうが自然な気がする。
あくまで上記の物理変化が起きるのはセツと主人公(とククルシカ)がたどり着いた宇宙だけなんじゃなかろうかと。
各宇宙には事象が起きる「可能性」が等しく存在していて、それの対象(ここでは主人公、セツ、ククルシカ)が特定の宇宙を観測した時点で、その宇宙での事象の有無が決定するみたいな?
あるいは世界を構成する選択肢の中に「主人公が2人いる」「ククルシカが2体ある」「ラキオの鍵がセツのものになる」が加わって、ループして来た時点でその選択肢が選ばれるみたいな?
なんかあの量子物理学でそんな感じの考え方があったように思う……コペンハーゲンとかシュレディンガーとか……いやこれらの原理からして解釈がズレてるかもしれないけれど……
これは文系の愚かな妄言だと哀れんでください……許してください……
イレギュラーは誰なのか
気を取り直して作中のループの話に戻ります。
じつは上の物理変化の話で1つ問題が増えてしまった。
次元の扉をくぐったから二重存在問題が起きたというロジックならば、それはセツにも適用されるのでは?という問題である。
しかし、セツに二重存在問題は起きていない。
主人公とククルシカに起きた事象がセツにだけ起きていないこのイレギュラーは何事か、というのが本節。
しかしまずもってこの問題、人数比で言えばたしかに少数派はセツであるが、イレギュラーはセツではない。
仮にセツがイレギュラーだとすれば何某かの要因があるはずだと思うのだが、扉をくぐる時のことを考えても、ククルシカと主人公にあってセツにないその「何某か」が見当たらないのだ。
そもそも根本的な話になるが、鍵によって扉を開いたら確定で二重存在問題が起こるのはシンプルにヤバすぎる。
なんてったって宇宙崩壊の危機だ。情報を求めて周辺宇宙をさまよう鍵が餌場を積極的に壊すような真似をするわけは無いように思う。
それに、ストーリー内で鍵は宇宙崩壊する条件(グノーシアがいない=主人公が2人存在する)を移動先から自動的に除外していた。
鍵が移動先の条件をそれなりに細かく絞り込めることはゲームをプレイしていればよくわかる。それなのにわざわざそんな宇宙崩壊してしまうところに扉を開けることはまずあり得ないのではないか。
と、いうことを踏まえてもう一度ククルシカと主人公の二重存在問題を振り返ってみると、存在の二重化が宇宙崩壊の因子になるという重大な問題を抱えているのは主人公だけということに思い至る。
そして主人公の場合、扉をくぐった時にセツとククルシカにあって主人公になかった「何某か」がある。
それは意識だ。
自分の意思で次元の扉をくぐり向こう側から鍵を閉めたセツとククルシカに対し、主人公は意識のないままセツに伴われて扉をくぐっているわけだ。
上記から、やはりストーリーで指摘されている通り主人公こそがイレギュラーの方が筋が通っているように思う。
そして考えるべきは何故セツには二重問題が発生せず、主人公には発生したのかである。
ここで一旦グノーシアのいない世界で宇宙がぶっ壊れた時のことを思い出してみる。
セツと主人公でグノーシアのいない平和な船をしばらく満喫した後、2人は医務室の医療カプセルを恐る恐る開く。そこに眠っていたのは自分こと主人公。そしてその目がゆっくりと開き……目が合おうとした瞬間、宇宙が崩壊した。
ここから、二重存在の矛盾から対消滅が起きるタイミングは同一存在双方の「意識がある」時だということがわかる。
つまり問題は同じ人間の肉体が2つあることよりも精神が2つ存在することにあったのだ。
だからこそ、人形は2体でも精神は1つだけのククルシカでは主人公のような事故が起きなかったと考えられる。
そして鍵について。
鍵は1個につき1人用であり、もとより扉で2人移動することは想定されていないはずである。
それに扉を開いて閉じることも意識のある人間でなければ行えない動作だ。
そう考えると、扉をくぐる人間が2人いるとか、ましてや意識不明の人間を引き連れてくるなんて、鍵さんサイドとしては全くの想定外だったんじゃないかな……という気がしてくる。
そんなわけで。
- 同一存在双方に精神(意識)があると宇宙崩壊→精神(意識)が無いものはノーカン?
- 鍵は1つ1人用のため、開く扉も1人用想定?
という2点を考慮し、筆者は以下のような顛末だったのではないかと考えた。
鍵は扉による次元移動で二重存在問題が発生することが無いよう、移動者・セツのいない宇宙に条件を設定する。一方、セツに伴われて扉をくぐった意識不明の主人公は鍵にも宇宙にも認識されず、条件の絞り込みが適用されなかった。
そして不運にも移動先が「セツはいないが主人公はいる宇宙」だった。その船に本来いた主人公がグノーシアに消されて宇宙崩壊は免れたものの「主人公が2人いる」状態となり、他の宇宙にも二重存在問題が適用されることとなった。
みたいな。
ククルシカの場合はそもそも二重存在による宇宙崩壊が起らないからそのような条件を絞る必要がなかったのだろう。
ここまでの考察、個人的にはけっこう筋は通ってると思うのだが
「その宇宙にいた主人公がグノーシアに消される世界に移動してるんだから鍵は意識不明の主人公も認識してるんじゃ?」
「根拠がすべて想像の域」
「結論ありきの暴論すぎる」
「そもそも条件の違う3例を比較する時点でアレ 」
とか言われたら土下座するしかなくなる。
なんにせよ扉をくぐったのが
- 普通の人間
- 意識のない人間
- 人形
という見事に前提条件の異なる3例しかないためハッキリとしたことは何もわからない。
しかも普通の人間ですら意識のない人間を伴って扉をくぐってるので凡例らしい凡例がない。
イレギュラーは誰なのかというこの節の問いかけ、ぶっちゃけこの3人まるごとイレギュラーと言っても過言じゃないのでは?という答えが正しい気がする。
その上で、主人公が意識不明の状態で扉をくぐったために宇宙が崩壊するタイプの二重存在問題が発生したのでは、というお話でした。
始点の理由
最後に主人公の始点について考える。
上の節で語った「扉の移動先は対象者のいない宇宙」という考えは根拠のない妄言だけど、そうした場合に辻褄が合うことがある。
それはセツが何十何百と繰り返してきたループの中で、この宇宙にだけはたどり着けなかった理由だ。
主人公が連続するループの1つとしてセツの始まりの宇宙にたどり着いたのに対し、セツが主人公の始まりの宇宙に行くのは最後の最後。
しかも物理的な移動の必要な次元の扉を開いた先だった。
これってつまり、鍵によるループができない宇宙だったということなのではないだろうか。そして先の考察の通り、扉の移動先は二重存在問題の発生しない、対象者がいない世界だとすれば。
セツ本人がこの宇宙に存在せず、鍵による精神のみの移動の叶わない宇宙だったため、主人公のように繰り返すループの中で不意に到達することがなかったのではないだろうか。
そうならば、これらはセツが最後まで主人公の始まりの宇宙にたどり着かなかった理由の根拠になるんじゃないかな、と考えた次第。
まあでも、そもそも主人公のループが始まった時点でセツと主人公の結末は決まっていたわけで、主人公が終点にたどり着かないとセツも始まりの宇宙に行けないのは当然と言えば当然である。
これはもうニワトリが先かタマゴが先かの水かけ論なので深堀りしないのが吉。
あとこれはこじつけだけど、この始点の宇宙にはセツと主人公を含めて5人しか乗員がいないのでこの宇宙はセツがいないためにルゥアンでの犠牲者が多い宇宙だったのかなあと考えられなくもない。
ただし次のループも同条件だし一応鍵で選べる最低人数でもあるのでそこがなんとも言えないところ。
話は変わるが、この宇宙でループを閉じる場合、セツはもう1人の主人公に鍵を渡さないことになる。
しかし主人公はループを経験しているのでセツから鍵を受け取っている。
つまり主人公の始点の宇宙には「鍵を渡すセツ」「ループを終えるセツ」の2人が重複して存在したことになる。同一宇宙に2通りの可能性が発生したというわけだ。これもある意味二重存在と呼べるんじゃないかな、とふと思ったのだった。
でも意識のみとはいえ不可逆のはずの一度経験した宇宙に主人公が再度移動した以上、真エンドの宇宙は始点とはまた別の宇宙なのかもしれない。その場合始点で会ったあのセツは救えていないことになり……?……アレ?
深く考えないのが吉!!!!
後半になるにつれグダグダになってしまったけれど、ループの考察は以上になります。
考察とは自分が納得するためのこじつけだと見つけたり……
その他考えたことなど
以下、考察までは行かないけど諸々思いついたことの殴り書き。
乗員問題
上で少し触れたけれど、ループの中で登場しないキャラクターはどういう扱いなのだろうか。
序盤で主人公が話し合いの中にいない夕里子はどこにいるのか尋ねたら「誰?」と返されているし、船に居ないことは確定。
真エンドでは登場しないにもかかわらずジョナス、ステラの名前が出てきたため存在自体はある。
以上を踏まえて、そのループで登場しない面々はルゥアンのグノーシア騒動で消滅したということなのだろう。
登場人物たちは割とゆるっとドライに船の中で話し合いにいそしんでいるけれど、生きるか死ぬかを乗り越えた直後に消えるか凍るかの瀬戸際に立たされているのだと思うとゾッとしちゃいますね。避難が叶ったというのに船内にグノーシアがいるとわかったら私なら取り乱す。
ゲーム進行の都合とはいえ、乗員たちの達観具合には感心する。
ループ始点のできごと
初日にラキオが吊られ、最初のグノーシアの襲撃が起きた際のこと。
あの周だけやたらセツが焦って主人公の安否を確認に来た理由が、通常エンドを見たあとだとなんとなく察せるのが面白かった。
あの時点ではまだ主人公に鍵を渡してない状態なんだからそりゃ焦るよね。
ループの因果を繋げるために覚悟を決めてこの主人公を連れてきたのに、鍵を渡す前に主人公が消えちゃったら取り返しがつかないもんね。
ラキオのコールドスリープを見届けた後、主人公の部屋に行ったもののSQと話し込んでいたから何も出来なかったのだろうか。
なんだかんだでツメの甘いところのあるセツがかわいくて好き。
あと2周目以降のセーブデータについて、プレイヤーが真エンドに行く選択肢を選ばない場合はまた初めからループが始まるの、主人公がセツと別れたくなくて自分も再度ループの円の中に入っていく無限ループオチになるなあなんてことを思った。
身を張ってくれたセツに申し訳が立たないからやりたくないけど、2周目以降のデータは日数ロードが出来てイベント回収に死ぬほど便利なんだ……水そうめんとか……
ごめんよセツ……
精神と肉体とグノーシア
SQちゃんとマナンの人格分離でグノーシアも分離するもんなのか?というのがちょっと疑問だった。
が、ステラがグノーシアに汚染されていてもLeVi自体は正常に機能していた例もある。
グノース自体も魂(精神)の集合体なわけだし、グノーシア汚染は人格毎に発生するって解釈で良さそうだなと納得したのだった。
それにしても、肉体に人格が宿ったSQやステラ、人間の体を求めたオトメと猫の体を求めたシピ、肉体の性別を排したセツとラキオなど、精神と肉体に関連する問題 (問題って言い方もアレだけど……) を抱えた登場人物たちが多く登場しているのはテーマに拠るものなのかなあと思った。
グノーシアと鍵が求めるのは精神 (情報) のみというのも対立構造っぽくて面白い。
元ネタなんだから当然っちゃ当然だけどまさしくグノーシス主義的というか。
そんなグノーシス主義もといグノーシアによって肉体が排除される一方で、グノーシア化したSQちゃん(マナン)は気に入った人間を手元に置こうとし、消すという行為に移らないパターンが複数あった。
グノーシアの本能が人間を消すことだというのはプレイしていく中で幾度も聞くことになる。時折ジナのように理性と良心でその本能とは違う行動を起こす者もいたけれど、それは非常に珍しい例だった。
一方のマナンは疑いようもなく本能のまま動く快楽主義者でありながら、グノーシアの本能には傾かずあくまで人間の頃からの本能で動いていたのは面白いなあと思った。
ストーリーの最後の切り札にしてワイルドカードだったマナンはまず作中の立ち位置からして特異な存在だった、というのは妙に説得力があって好き。
とはいえ人格移植でゴリゴリ人間性が削られると流石にどうしようもないらしく、ククルシカまで行くとグノーシアの本能が優勢らしい。
主人公記憶喪失問題
筆者は感想前編で主人公のことを「自分のことすら覚えていない記憶喪失」と紹介した。
しかし振り返ってみると主人公、雑談のときに初恋とか子供の頃の怖い体験の話しているんですよね。
き、記憶喪失とは……?
というわけで、主人公の記憶喪失についてすこし考えてみる。
そもそも主人公自身は誰にも記憶喪失を自称していないし、他の人たちも深堀りしないので主人公の記憶喪失がどの程度の話なのかもはっきりしていないのだ。
それどころか、記憶喪失は主人公の始まりの宇宙でしか言及されていない。
つまりこの記憶喪失というのは意識不明で別の次元に連れてこられた主人公の状態を誤魔化すためにセツが考えた方便の可能性すらある。というかむしろこの説が有力かもしれない。
あるいは記憶喪失ではなく大怪我によって記憶混濁状態になっていたとか。ルゥアン騒ぎで自分が大怪我を負っていた事は知らなかったようだし。
しかし一方で、主人公はあの世界の宇宙や宇宙船の様相に全く明るくない様子が作中で描写されている。
娯楽室で何を遊びたいか聞かれた時のLeviとの応酬からしてあの世界のゲームについて詳しくないようだし、あの世界の常識らしい電脳化のことを知らないし、レムナンが50年同じ仕事をしていたことにもかなり驚いていたし。
不老と長命はわりとスタンダードっぽいのに。
上に挙げた場面を見ると、やっぱり記憶喪失は記憶喪失なんじゃなかろうかとも思えてくる。
あの世界の住人でありながら一般常識を知らない理由付けとして記憶喪失より適したものはないだろうし。メタ的な話、主人公とプレイヤーの作中世界の知識量を合わせるという都合があるんだからやっぱり記憶はないんじゃないかね?
まあどちらにせよこの問題は結論が出ません!
考察しようにも判断要素が少なすぎる。
情報がない以上、記憶喪失以外にも辺境の地で育った箱入りや数日前に起動したばかりのサイボーグや過去から来たタイムトラベラー、みたいな可能性すら等しく存在するので……
思い返すになんの情報もないなこのプレイヤーキャラ。
情報の少なさで言うと間違いなく主人公とセツがツートップですぜ。
そんなこんなで考察関連は以上!
セツと主人公とイベントと
好きなイベントをピックアップして語ろうと思っていたのですが、誇張でなく「全て」語ってしまいそうな勢いだったので泣く泣く削減した結果、だいたい本筋のイベントに行き着いた。
ついでなのでセツと主人公の関係性についてまたくだを巻くことにしました。オタクは関係性の話になると途端に饒舌になります。
ちなみにここで取り上げられなかったけど一番印象深いイベントは夕里子さまお着換えイベント「混沌」です。
ゲームの一枚絵を見ただけなのに目で捉えた情報を上手く処理できず脳みそがフリーズする貴重な経験ができました。怖かったです。
- 始点
ゲーム開始がセツの顔のドアップっていうのがかなり鮮烈だったし、2日目の話し合いの何もわからないのに決定権をこちらに委ねられる居心地の悪さはなかなか味わえない緊張感があって楽しかった。あの段階だとセツもSQもめちゃくちゃ怪しいもんね……
この2点のおかげでいい没入感を味わえたと思う。
良心的にはセツを信じるルート一択だけど、己のせいへきに正直になるとセツコールドスリープルートの方が好みだったりする。
未来から来た一方がこれから起きることを案じながらもきっと大丈夫だから、と伝えるシチュエーションが死ぬほど好きなんです。同じ理由で、「セツの始まり」の主人公がただセツを抱きしめたシーンも好き。
それと、コールドスリープ室で「また会おう、ね」と複雑な笑みを見せるこのセツはもう主人公と会うことはないセツなんだよなあと思うと味わい深い。
ちなみに信じるルートだと柔らかい笑顔で「これからよろしくね」と微笑んでくれる。
どちらにせよもう二度と会えない相手に対しての、嘘を含んだセツの挨拶なわけだけど、最後に主人公に信じてもらえたか否かの心理的な余裕が表情の差になったのだろうか。
- 一緒に遊ぼう
おててをつないで無防備に眠るセツもニッコニコでオトメ釣りするセツも愛おしい。選べない。
セツの様々な表情や反応を見られる貴重なループ。主人公のファインプレーが光る。
セツの年相応?素?の表情が見れるのが本当にうれしくて大好きなんですよ……
別のループの話だけど始点の2日目朝に主人公の部屋の前で取り乱して言う「ねえ、大丈夫!?」とか、沙明呼び出しの同行を拒否り続けた際の「もう、いいからついて来て!」とか、いつもの理性的な口調が剝がれたシーンが超好き。パーソナルデータの少ないセツの数少ない人間性が見られる気がして。
閑話休題。
この何十周も後になる例のタイミングで主人公がこのループの話題をいきなり振るわけだが、セツもそれにすぐ反応するあたり両者にとってこれが大事な思い出になってるんだなあとしみじみした。
普通の友人のような時間を過ごせた唯一の宇宙だもんな。
しかしここでの出来事をセツが「借り」と言うあたりに双方のディスコミュニケーションを感じる。
ちゃんと対話せえや!と思うものの、コミュニケーション取ろうにも両者の時系列がバラバラな時点で取れるもんも取れないんだよなあ〜〜〜〜!!!!と頭を抱えてしまう。
2人が対等な友人になるには時間の足並みを揃えないといけないし、その足並みが揃う日がくることはないよ……
- 最終問題
ラキオバグイベ。セツは絡まないイベントだけど、ここの種明かしが本当に大好きで大好きでどうしても取り上げたかった。
どちらと答えても正解であり誤りである問題を出してこの状況そのものが矛盾していることを示すラキオのトークスキルがめちゃくちゃお洒落だし真似したいと思った。
人狼の0日目のフレーバーテキスト*2やバグという設定をストーリーに組み込んでいたその情報開示が一気に押し寄せてきて脳汁がすごかった。まさしく盲点を突かれたというか、あそこまで視界が一気にクリアになる感じはなかなか味わえない経験だったと思う。
- セツの始まり
ループを抜け出したくて苦しんでるセツを知っているから解放したい、けれど死なせたくない、という自分のエゴで結果的にセツに鍵を渡すことになった主人公好き。いいキャラしてるなと思う。これ以降罪悪感に苛まれながらセツと接する主人公を思うとニコニコしてしまう。
そしてセツはこのあとどんな気持ちでループに巻き込まれて行くんだろうな。セツ視点のループも見てみたい。
最終的に主人公と共に経験した宇宙を「無かったことにしたくない」と思えるほどになったのは知っているけれど、そう受けとめるまでの心の動きもちょっと気になる。
プレイヤー及び主人公にはその苦悩がないので……
それと自分が消されても凍らされても問題ないように鍵を目につく場所に準備しておいたラキオはかなり人が良いと思う。だってセツと主人公がループしようがしまいがラキオには関係がないし、放っておいたって良かったのだ。事の顛末を予見して準備しておいた点よりもそこに感心してしまった。
ラキオはけっこう面倒見がいいし人の心の機微に敏いし慮ることができる。
若いのに偉いね。
- 再び狭間にて&通常エンド
ここは話も続いているのでワンセットにした。
セツの最後の「これから、君が生きていく世界を──私の大切な、君に」って台詞が最高にエモくて……
その後湿った顔(コメット談)でパーティ会場に戻った主人公が乗員たちと会話を交わし、セツがくれた宇宙はその後も続いていくんだとわかる流れも含めてすごく綺麗なエンディングだと思う。
「グノーシア」のエンディングの良いところって、通常エンドと真エンドのどちらか一方のエンディングしか選べない選択式じゃなくて両方が同時に成立するところだと思う。
主人公もセツも、ちゃんと両方ループから抜けられるエンディングが用意されている優しさというか……なんて言ったらいいんだろ……
閑話休題。
主人公はセツの始まりの宇宙を経験してからずっと「セツをループに巻き込んでしまった」と思っていた一方、セツは主人公から与えられた宇宙という借りを「返さなければならない」と思っていた。
無論セツは義務感だけではなく、ここまで共に経験したループをなかったことにしたくないという思いや、自分に生きる宇宙をくれた主人公への感謝も相まってこの行動を覚悟したわけだけど。
「一緒に遊ぼう」や「セツの始まり」でも少し語った、この双方の負い目のようなものがようやく解消されるのは2人の時間の足並みが揃った主人公の終点だった。
そしてようやく心理的隔たりがなくなったかに見えた瞬間に物理的隔たりが発生するんだからままならないもんですなあ。
すれ違いが物語をドラマチックにするのは古来からの常なので致し方なし。私の中の離別フェチも大喜びしてるし……
セツとの別れについては「グノーシアのプレイ感想:後編」でも語っているのでこのくらいにしておく。
- 真エンド
今まで集めてきた情報の点が線になって収束していくカタルシスと言ったらなかった。
意識だけ入り込んだ主人公が再会するのは遠い昔に出会った始まりのセツでもあり、今までずっと一緒にいたセツでもあるのだと思うとなんか……こう、“イイ”よね……
大昔に会った、と、ずっと一緒にいた、が矛盾せずに同居するなんとも不思議な関係性が主人公とセツなんだなあということをこの周で改めて感じることになった。
それにしても主人公の再会第一声が昔あった出来事のお説教だったのが絶妙だと思う。
通常エンドのセツの覚悟と優しさを否定したくはないし、そもそもああしないとループは終わらなかったし、かといって1人犠牲になることを黙って決めて去っていったことには恨み言のひとつくらい言いたいし。となって昔経験した事のお説教に繋がったのかなと。ちょっと穿ち過ぎだろうか……
もちろん1番は二人にとっての共通の楽しい思い出だからなのだろうけど、なんとなく主人公の複雑な心境が伺えるようで、この目覚めの第一声はかなり好きな台詞。
ラストの会話はセツの表情と言葉が本当に素晴らしくていまだに見返すたびに胸が苦しくなる。
私と君がそこにいる、それだけで充分なんだ、という台詞最高ですよね。
セツと主人公の絆は単純接触効果*3に近いものだとは思うけど、それでもやっぱりその時その状況でその場にいたということが何よりも得難いものなのだと思う。セツのこの台詞の通り。
それと、きっと今度こそ本当にお別れだ、と言うセツの表情が全セツの表情の中でいちばん好き。最後までこの今生の別れについて悲しいとも寂しいとも言わないが、その表情が心情をすべて物語っていた。
「グノーシア」はゲーム性もシナリオも最高だけれど、このイラストが更にいい味を出していて素晴らしいと思う。すべてが完璧に噛み合っていて、いいゲームに出会えて良かったと心から思える最高のラストシーンだった。
おわりに ~グノーシア感想文振り返り~
まず、今回や以前の記事で考察どうたらを偉そうに講釈垂れてたけれど、初めて真エンドを見た時はセツとのお別れに関して一切理解が至ってなかったことをここに懺悔します。
とにかくまたセツに会えた嬉しさとセツがループから脱せた喜びとすべての点が繋がって最善の道が開けた気持ちよさで、主人公とセツが今生の別れということが都合よく頭からすっぽ抜けていた。
スタート画面にセツが収まって大ハッピーエンドじゃ〜〜ん!とニッコニコだった。
ニッコニコで2周目に入り、情報を整理しながらプレイして、アレってそういう意味か……が積み重なり、真エンドでセツがこれで本当にお別れだねと行った意味を徐々に察し、ニコニコ顔から一転、受け入れられない別れに1人暴れ倒したのだった。
アラサー社会人としての威厳なんてないよ。
人間、浮かれてる時ほど重大な情報を取りこぼしがち。
また1つ人生の教訓を得たのだった。
ブログにてたびたび離別フェチだとやかましく言っている筆者ではあるが、仲の良い人たちが別々の道を進む所を見るのが悲しくないわけはないのだ……
離別のほろ苦エンドから抽出されるエモーションに中毒症状起こしてはいるけれど、悲しみは悲しみとして存在してるので……
まあそれはそれとして。
感想文を書くにあたって何度もゲームプレイに勤しんだけれど、グノーシアは本当によくできたゲームだなあと何度も感じた。
シナリオの練られ具合と余白の残し方や、登場人物たちの個性と魅力を同居させるバランス感覚や、UIやSEといったゲーム部分も疎かにせずこだわっていたり。
細かいところまで丁寧に作られた作品をプレイできるのはこちらとしても嬉しい。
年内にはSteam版も出るという話だし、これからまた多くの人があの感動を味わうのかと思うとニコニコしちゃいますね。
長くなりましたが、グノーシア感想文は以上となります。
ここまでお付き合いくだすった方におかれましては、誠にありがとうございました。
次の記事は雑記になるか最近遊んだゲーム等のプレイ感想になるかは定かではないけれど、とりあえず待て、次回!
グノーシアのプレイ感想:後編
はい。
引続きグノーシア感想、後編になります。
ここからは作品のネタバレ配慮ナシで語っていきますので、くどいようですがグノーシアをプレイする予定のある方はご注意されたし。
画像の添付を覚えたのでちょっと調子に乗ってスクショを使いまくってます。
前編はこちら ↓
3monopera.hatenablog.com
追記:この記事で書ききれなかったループ関連の考察↓
3monopera.hatenablog.com
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シナリオの話:謎について
本作、散りばめられた情報を集めていく中で何度も謎が生まれたり解決したり何気ない情報が収束して新たな事実が明かされたり、という話の起伏が多く設けられていた。
とりわけ謎の解明的な意味でのクライマックスは3度もあり、かなり贅沢な気持ちになった。
- バグの発生理由と初日に消されたはずの主人公について
- ループの解決方法と主人公が何故2人存在したかの答え合わせ(通常エンド)
- ククルシカの人格についてと主人公の正体?について(真エンド)
謎の解明という物語の山場が随所にあるのでストーリー的な中弛みも軽減され、点と点が繋がる気持ちよさを何度も楽しめて満足感も大きかった。
筆者としては上記の中でも特にバグと主人公の存在の種明かしが好き。
人狼の妖狐にあたる本作のバグについて、「ルールだから組み込んだ」だけではない意味を持たせたのは恐れ入った。
加えてゲームシステムとして疑いもしなかった「船にグノーシアがいる」という意識を破壊し、なぜグノーシアがいる世界線にしかループしないかの理由付けもそこで成されているのだからたまらない。
良いシナリオを書ける人というのは盲点を突くのが上手いんだなあと当たり前なことをしみじみ思った。
そして情報の散りばめ方や開示の仕方がとてもさり気なく細やか。
例えば下図はエンディング後に見ることが出来るイベントイラストの一覧なのだが、イベント毎にそのメインキャラのイメージアイコンとタイトルがついている。

注目するのはククルシカ初登場イベント「懐かしい君に花冠を」。
ククルシカのアイコンが色褪せた赤 (本来このアイコンはSQのもの) なのだ。そして「懐かしい君に」というタイトル。ま、マナン!!!!!!
ただの初登場お披露目イベントかと思いきや、振り返ってみると実はしっかりした動機と理由があったことをオマケ要素で種明かしするというのが小粋でイイ。
それにしてもマナンにも再会を喜ぶ(?)気持ちはあったんだな……
また、本作において最初に提示される大きな謎である
「なぜループを繰り返すのか」
「グノース及びグノーシアの目的は何か」
という2つの真相がシナリオの観点からするとゴールではなくスタートだったのが個人的に非常に高ポイント。
もったいぶらずに中盤であっさり真相を明かしてきたのも逆に衝撃的で面白かった。
この二つの謎は言ってしまえばストーリーの中の舞台設定的役割でしかない。異星体グノースの正体を突き止めて人類の脅威を根絶する!みたいな宇宙規模な話にも発展しない。
ストーリーの主軸は人と人の交流であって、ループやグノーシアはそのきっかけに過ぎないという事がゲーム性としてもシナリオとしても一貫してて好ましかった。
あくまでこれは一隻の宇宙船の中の、偶然乗り合わせた15人の、更に言うならセツと主人公の物語だったのだなあと。
こういう世界中を轟かすような規模ではないが(まあたまに手違いで宇宙が消滅したけど……)手の届く範囲にある大事件みたいな話が好きなので、変にそういう規模に範囲を拡大させなかったのが個人的にすごく嬉しかった。
シナリオの話:■■■■について(ネタバレ配慮)
見出しの■■■■はメタ構造。
近年、主軸や隠されたテーマにメタフィクションを持ってくるゲームが散見されるようになった。
正道な展開が成熟し、そこからの脱却を図るために搦め手のアプローチに行くのは近代ミステリでも通った道なわけで*1、ある意味正常な流れなのだけれども。
しかしメタフィクションはインパクトがあるぶん1回こっきりの禁じ手であり、増えれば増えるほど食傷してしまう。
かくいうわたしも「もうメタフィクションオチは懲り懲りナリよ〜」側の人間でして……
見出しに提示した通りグノーシアにもメタ構造の文脈は確かに存在していた。
存在するどころか、それが最後の最後に重大な鍵になる。
が、そこに到達するまでの道筋がとても丁寧で、メタフィクションにわりと否定的な自分でも楽しめたのが嬉しかった。
順を追って話そう。
まず実を言うと、夕里子さまにイレギュラーイレギュラーと詰られていた序盤の頃は「これもメタ系かぁ……」と、ちょっとげんなりしかけていた。
特に下図の夕里子さまの台詞を読んで、わたしはてっきり「お前がゲームプレイするから作中人物たちが巻き込まれるんだぞ」系の話だとばかり……
多分そういうミスリードの意図はあったと思う。

しかしバグの種明かしの段で主人公=イレギュラーの本当の意味が判明し、メタフィクション風に見せていたこのミスリードに衝撃を受けることになった。
主人公は1つの宇宙に「ループしているプレイヤーキャラ」と「一番最初のグノーシア犠牲者」の2人が存在していた。同一人物が同一空間に2人という矛盾を生じさせないため、鍵は常にグノーシアが紛れ込む宇宙船という条件でループしていたのだ。
ループしている主人公が存在する為にはもう1人を消すグノーシアが必要で、上図の夕里子さまの指摘はおそらくこのことだったのだ。
主人公は作中存在として純粋に特異な立ち位置にいたことがわかったときは本当に痺れた。
そうしてなんだかんだで終点にたどり着き、主人公が2人存在してしまうイレギュラーの発生原因も明かされ、ループの点と点がしっかり繋がって閉じられた時の興奮と言ったらなかった。
エンディングの余韻で放心しながらエピローグを眺めていたら夕里子さまの最後の立ち絵が登場し、「な〜んだゆりこさまが第4の壁を認識してるだけだったんじゃ〜ん!」と序盤の明らかなメタ発言についても納得することになった。

が、その後真エンディングに到達し、
やっぱりメタフィクションだコレー!!!となるわけである。
グノーシア制作陣、二段構えが上手い。
それともわたしが勝手に騙されただけなのだろうか……
閑話休題。
本作におけるメタ構造とは何なのか。
それは、真エンドで開放された主人公に関する最後の特記事項
「別の次元から、意識だけ繋いでいる」
この情報そのものである。
ここで注目したいのは別の「宇宙」ではなく「次元」という表現をしていること。
別の次元という表現をすることで、この特記事項はこうも解釈できる。
「3次元」のプレイヤーが「2次元」の本作に意思を持って介入している、と。
つまりこの特記事項は
別次元からセツのいる次元の宇宙へ意識を繋げた主人公
と
二次元の画面を通じてゲームをプレイしている三次元のプレイヤー
という2つの意味を含むのではないだろうか。
違う次元に自分の分身を通じて意識だけ介入するという構造や、その空間に本来はいない存在だという点、ゲームシナリオが終わればもう2度とその後のセツに会うことはできないという点も、主人公とプレイヤーで状況が一致している。
状況だけでなく、ノーマルエンドが終わってセツにもう一度会いたい、セツが助かる道は無いのかと縋るように新規セーブデータを作るプレイヤーの心境とセツと別れた時の主人公の心情はきっとシンクロしているとも思うのだ。
主人公が「鍵」もないのにセツのいる宇宙に介入できたのはまさしくプレイヤーとシンクロしたからなわけで、つまりは愛とメタフィクションの為せる業。
セツの行き先が主人公の始点≒ゲームオープニングだからこその力技なわけである。
そうして真エンドに入って最後の最後、次元を超えてループの終わりを見届けた主人公にセツはこう言う。
ありがとう。
「君」がそこにいてくれて。
ここで初めて鍵括弧付きの「君」という呼称が登場する。
主人公の名前でもただの二人称の君でもなく「君」と強調する言い回し。
まあつまり、主人公に3次元から意識を繋いだ「プレイヤー」を含めたが故の、セツがそれを認識したが故の「君」なのだろう。
プレイヤーが新規セーブデータを作りこのルートを観測することでようやくセツもループの終点にたどり着くわけだから、プレイヤーも間違いなくセツにとって不可欠な存在になるわけだ。

わたしがメタ構造だなと確信したのはそこだった。
「君」への感謝はセツなりのThank you for playing !なのだなと。
メタフィクション構造の開示の仕方が優しさに溢れててとても良かった。
それにしてもこのエンディング最高だったな……
セツと主人公の長い旅路は万事円満に解決したが、たった1つ。互いの存在だけは失うことになる。
清々しくもほろ苦さの残る素晴らしいラストだった。
この辺はまた後述するとして、次節では主人公とプレイヤーのメタ構造についてもう少し整理したい。
シナリオの話:主人公とプレイヤー
「別の次元から、意識だけ繋いでいる」
この特記事項、よくよく考えると真エンドのループでのみで発生したわけではないように思う。
プレイヤーが確認できる「鍵」(メニュー画面とも言う) の表記を見るに、各人の特記事項は最初から求められる情報の数が提示されている。
セツが真エンドで情報を満たした時に「最後の特記事項」と言っていたことからも、おそらくそれがゲームシステム的な表現ではなく「鍵」そのものの仕様なのだと伺える。
また、開放された謎をメニュー画面で確認すると、項目の上から埋まっている訳ではないことがわかる。
鍵の中で「この項目にはこの情報が入る」ということが決まっているのだ。
つまり、主人公が真エンドのループに介入する前から、それどころか鍵がセツに寄生した最初の時から、この特記事項の情報は存在していたということになる。
「鍵」はプレイヤーが「グノーシア」をプレイしているという情報を初めからずっと求めていたと。
しかしこの情報を持つ者(プレイヤー及び主人公)に自覚が無い以上、それが鍵の情報として開放されるにはなんらかの切欠が必要になるわけで。
真エンドまでこの特記事項が開放されなかったのは、なにもセツの探り不足だったわけではなく*2、それまでは当然の事象として誰も知覚出来なかったからだったのだ。
作中にプレイヤーが操作する前の主人公を知る者がいないため人格に変化があったとしても誰もそれに気付けないし、こちらとしても「プレイヤーがプレイヤーキャラ(主人公)を操作する」ことなんてゲームに関係する特記事項だとも思わない。
こういう主人公の名前が固定じゃないゲームは特に「主人公=プレイヤー」な側面が強いし。
その当たり前として誰も目を向けない盲点にトリックを持ってくるのは流石だなあと思う。
そもそも振り返ってみるに、「グノーシア」はセーブデータ作成時からプレイヤーと主人公をとてもさりげなく近似の存在にしようとしていたように思う。
あくまでさりげなく。
例えば主人公の記憶喪失設定がある。
主人公の記憶喪失が回復するような展開が最後までなかった事を見るに、主人公の記憶喪失自体はそこまで話の中で重要な問題ではないのだろう。
この記憶喪失はただ、作中世界に関する知識量をプレイヤーと合わせるための設定だったのではなかろうか。
また、主人公の情報自体も極端に少ない。
プロフィールやビジュアルなどはプレイヤーが設定したもの以外一切出てこないし、セツがループ中に解放したであろう主人公の特記事項も、他のキャラクターのようなエンディング後の消息も、ついぞ語られることはない。
デフォルトネームが存在しないのもその一環かもしれない。
このように主人公が情報を持たず、且つ作中で主人公の情報が開示されないことでプレイヤーとの乖離が防がれていた。
それに本作はゲームオーバーが存在しないゲームであり、プレイヤーがゲームで見聞きした経験がそのまま主人公のループ体験になっている。
ストーリーもルート分岐こそないけれど、メインであるゲームパートの展開は各プレイヤーによって全く異なってくる。通る道筋はそのプレイヤーだけが体験出来るもの。
同じ展開同じ決着になることは2回と無い人狼のランダム要素がここで効果を発揮する訳ですよ!
そうやってプレイを進めるにつれ主人公≒プレイヤーという意識が自然になっていく中、しかし通常エンドで一気に主人公とプレイヤーが分離することになる。
エンディングで1人1言ずつ各キャラと会話する主人公の傍ら、プレイヤーは暗転してそのキャラのその後を一足先に知る。
プレイヤーが当事者たちは知る由もない情報を受け取ることで、自分とゲームとの間にある決定的な隔たりを自覚する。
そこでプレイヤーは思い出すのだ。
今まで無意識的に同一存在だと思っていた、同じ知識と同じ経験を持つ「主人公」と自分が、別の視点にいる個々の存在なのだと。
話は立ち戻るが、例の特記事項解放に必要だったのは主人公及びプレイヤーが別の次元に介入しているのだと自覚することだった。
プレイヤーと主人公を解離させる通常エンディングはそれを芽生えさせる切欠となる終わり方だった。
そして主人公とプレイヤーが別の存在だという自覚が構造として明確になるのが真エンドである。
何故なら、プレイヤーはこれから作中で何が起きてどんな結末になるかを知っている以上、2周目以降の「まっ更な状態の主人公」とはどうやっても同一化出来ないからだ。
1周目の没入感は薄れ、介入しているという意識が強くなる。
その意識は主人公とプレイヤーが近似の存在になっている1周目にはないものだし、通常エンドでプレイヤーの手から離れた主人公を新規セーブデータとして再度こちらに引き寄せるプロセスを踏む2周目以降だからこそのものである。
作中としても、何も知らないもう1人の主人公にループ済の主人公の意識が入り込んだことが最初の選択肢で明らかになる。
ようやくそこでセツと主人公、プレイヤーを含む当事者たちの目にも「別の次元から、意識だけ繋いでいる」ことが情報として表出するわけである。
まあなんにせよ。
主人公のループを終わらせ、セツが因果を繋げるために主人公の始点の宇宙に行ってしまうことが、セツの「鍵」の特記事項を埋める必要条件だったのだ。
あのままループを続けていても絶対に埒は開かなかった。
ループが始まった時点で、共にループを繰り返すセツと主人公の二人が同じ次元宇宙にたどり着く終点はあり得なかったんだなって思うと……悪い、やっぱ辛えわ……
シナリオの話:ループの終点
セツのループの終点、めちゃくちゃ運命的かつ綺麗に纏まっていて大好き。
主人公のループの始まりがセツの終わりになるというのが構成として美しすぎる。
始まりの宇宙にいたSQ、ラキオ、ジナは1人の犠牲もなくループを終わらせるために必要な3人だし*3、この終わりのためにはじまりが作ってあったんだな〜と思うと感心しきり。いい構成だよなあ。
ククルシカとマナンの存在も含め、全てがちゃんとループの円の中に収まっていてすごい仕掛けだった。
ループを脱する手段でしかなかった乗員たちのとりとめもない情報が、真エンドで何よりも重大な鍵になるのも良い。
ただの「鍵」の起動ワードでしかなかったはずの言葉、「全ては知ることで救われる」の通りになったのだ。
「疑うな。畏れるな。そして知れ。全ては知ることで救われる。」
初めてグノーシアがいない宇宙船に来た際、セツは始点の自分にこれを伝えたのが主人公であると同時に、自分もまた始点の主人公にこの台詞を教えたのだと知ることになる。
セツはそれが切欠で通常エンドのループの抜け出し方を思いついたように見えた。
「この言葉を最初に教えてくれたのは相手である」という2人の認識の齟齬が発覚した時、セツは何かに思い当たったような言葉を漏らすのだ。
※21.3.21追記
ゲームのスクショ見直してたら主人公がセツの始まりの宇宙に行くのは自分の2重存在問題発覚後だった。
そのため、この時の何かに思い当たったようなセツの言葉は主人公が「始まりの宇宙のセツ」にまだ会っていないことに対してという解釈が適切っぽいです。
考証が雑で申し訳ない。
でもセツがループの抜け出し方に思い至ったことについてはこのタイミングで間違いないはず。
次元の狭間の情報整理回で主人公「は」助かる、的な発言をして終わるので……
(追記終わり)
始まりの言葉が要所要所でさりげなく意味を持つことになる話の運び方が匠!って感じ。素晴らしい。
それと、ループの終点の何がたまらないってセツとのお別れシーンなんですよね……
「グノーシア」は通常エンド真エンド共に、離別エンドフェチこと筆者にはたまらない渾身のラストだった。
セツの別れの言葉一つ一つがすごく「愛」に溢れてて……すごくて……
長い人生の中できっと1番濃度の高い時間を共有した2人が、それでも別々の道を歩んでいく話が大好きなんです*4。
共にありたいと思っても離別の道しかないやる瀬なさ。
相手の存在と過ごした日々の記憶を胸に、その後の長い長い人生を送ることになる切なさと苦しさ。
さよならはエモーションなんです。胸に残るしこりが想いの証左なんですよ。
セツと主人公のループの終点はまさしくそれだった。
2人が今後歩んでいく道は二度とと交わることがない。相手のおかげでたどり着いた終点で、これから互いのいない人生を歩んでいくのだなあと思うと……非常にエモですよ……
しかもそれが通常と真の2回にかけて味わえるのでめちゃくちゃ贅沢。むねがくるしい。
もちろん言うまでもないけど、わたしの個人的な離別エンドフェチを差し引いても「グノーシア」のエンディングは素晴らしいと思う。
綺麗に終わりつつも、その終わってしまったことに寂しさを覚えてしまうような、どっと力が抜けてしまうような虚脱感を味わえるいい終わり、いい作品だった。
セツと主人公
「グノーシア」は主人公とセツの出会いと別れの物語だった。
ループはお互いがお互いを救おうとしたために発生したという成り立ちからしてがんじがらめですよ。
主人公が鍵を渡さなければセツはループすることなく死んでたし、セツがループの因果を繋げなければ主人公はグノーシア騒ぎの前に消失しておしまいだった。
まさしく運命共同体。
そんな運命共同体だった2人の結末が離別だなんてなんたる皮肉と思いつつも最高にドラマチックだとも思う。最高。
そしてこの2人は本当にお互いを想い合っていて、友愛より重たいけどしかし恋愛ほど盲目的ではない不思議な関係性だったなあと思う。
お互いに深い情を向けているんだけど、どこか一線引いているようでもあった。
「鍵」の情報収集があるから行動を常に共にすることは出来ないし、騙し合い疑い合いの当事者だから踏み込みすぎないよう遠慮があったのだろうとも思う。
2人が同じ時間の流れを進むわけじゃないのも大きい。そのループ毎に自分と相手の記憶が断裂しているのはもどかしいだろうなと。
それでも、終わりの見えないループの中で、立場上敵対関係になったとしても、より深い部分の理解者であり味方でもある存在は何よりの支えだったのも確かだろう。
セツは最終的に自分を犠牲にして主人公のループを終わらせるわけだが、いくら1度命を助けられたからとはいえ、それだけで永遠に同じ時を彷徨う役割を買って出るのは流石に釣り合い取れてないように思う。
なんというか、このセツの自己犠牲はループの中での想いが積み重なった結果なのかなあと。
ずっとループから抜け出したがっていたセツがそれを選ぶのが辛いしエモい。
通常エンドでセツが語った「このループをなかったことにしたくない」が全てというか。
自分の人生をなげうって、主人公に自分以外の全員が助かる世界をプレゼントしようという愛の深さよ。無論船の乗員皆に対する情も浅からぬものだっただろうから一石二鳥といえばそうなんだけどさ……自分をもっと大切にしなよ……
セツもそれで主人公が喜ぶわけがないのもわかっていたから決定的な状況になるまで隠してたのだろうし、そういう面でも一線は常に引かれていた気がする。
というかセツがこのループの終点を自覚したことが一線を引く契機だったのだろう。少なくともそれ以前はセツの方も主人公と一緒にありたいと思っていたようなので。
ククルシカ暴走事件の前夜に、もしここでループが終わったら私と一緒に……と主人公にプロポーズまがいの発言をしかけていたことをわたしは忘れません。
それでも、自分一人が犠牲になればそれ以外の全員が助かる道があるのだと察した時点でセツに選択肢はなかったのだろう。
だとしてもわたしは主人公とセツが共にある未来が欲しかったよ……ョョョ……
ところでセツ、上記のプロポーズまがい以外にもたま〜〜に主人公への恋愛的な想いを仄めかしていたように感じたのは主人公とセツくっつけおじさんこと私の早合点なのだろうか……
選択的無性だから恋愛に関心自体ないのだろうけれど、SQちゃんの追及から逃れる為の言い訳に恋人を使って照れてるし、それに主人公が嬉しかったと答えたら満更でもなさそうだし、恋バナ雑談の時に誰かに心を預けたい気持ちはわかるとも言うし。
プレイヤーによって性別可変な主人公の相棒キャラを汎という中性にしたのはそういう意識を排除する意図があるのかむしろその逆なのか、いまいち判断がつかないでいる。
好きに解釈しろ!という制作側の優しさなのかね……多分ね……
まあ、セツと主人公の関係は簡単にカテゴライズできないからこそ尚のこと魅力的なわけで、そのへんはぼんやりでいるのが1番かもしれない。どちらにせよ結ばれることはないしね……
本節の最初に言った通り、セツと主人公がお互いを大切にしているのは確かなんだし。
それになんというか、セツの主人公への想いは会話中の表情が全てを物語っている気がする。

もう2度と会えない2人だけれど、その世界でそれぞれ時を進められること自体が相手からの贈り物なわけで。
そうである以上はそこでそれぞれ懸命に幸せになってほしいと思う。
離別エンドはあくまでお互いの幸せのための離別であってほしい。
おわりに
長々とした感想文にお付き合い頂き誠にありがとうございます。
己の萌えと衝動を言語化するのって大変なんだなとつくづく感じました。セツについて書こうとすると「セツ……」という鳴き声しか出てこなくて……
心を揺さぶられるような、本当に良いゲーム体験が出来た。
大好きなゲーム四天王に入り込むレベル。
そのくらいドはまりした作品なので、グノーシアのことについては正直まだまだ語り足りない。
そのうち雑記として追加の感想文を書くつもりでいますので、もしまたご縁があればお付き合いください。
とはいえループ関連の考察となると時間はもう少しかかりそう!
待て、次回!!
追記:ループ関連考察編書きました。
3monopera.hatenablog.com
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*1:両者とも過激さを求めエスカレートする受け手批判や問題提起的なものが多い。 そういう批判的メタ要素が作品テーマになるのがミステリやゲームといった受け手が介入もしくは参加しやすい作品という傾向を見ても、作り手側の心労が伺えるよね……
*2:21.5.30追記 ふと思ったんだけどセツって最後の方はループを抜ける気もなかったんだからそもそも探ってすらないのかもしれない
*3:SQは言わずもがな、ラキオは「鍵」の説得力を知る人で、ジナはアラコシア星系の座礁事故に対応できる唯一の人。
*4:何故ならその時の激情が穏やかな日々を共に過ごす中で希釈され薄れていくのが辛いから。離別によって思い出として瓶詰めにし、その想いを永遠に大切にしまっておいて欲しい。これは注記にしてまで書くことか?